かえる目他情報
8/6: かえるさん+宮田あずみ/workroom(大阪)
8/13: かえるさん/火星の庭(仙台) guest: 澁谷浩次
Twitterのログを記録する日録。ところどころ備忘録を足してあります。ブログはこちらへ。
八月三十一日 犬上川河口 http://t.co/oax9PHn
posted at 18:56:44
ロボット演劇、アンドロイド演劇を鑑賞しに大阪へ。再来月のトークショーのための下見。平田オリザさんにご挨拶申し上げる。ロボットを派手にプレゼンする、というのではなく、ロボットが実際に家庭に入り、その家にいる、というところから劇が始まっているところがよかった。
posted at 02:40:30
帰りに中島4117に寄ったら中西美穂さんも池田朗子さんもいて、やあやあとなった。grafは店内がファーマーズ・マーケット風になっていて、日曜日らしい気分を味わえた。
posted at 02:43:25
SMA(脊髄性筋萎縮症)のお子さんと介助者とがMy Tobiiを使ってやりとりしているところを分析する。レッツチャットに比べて、使い手が迷っているプロセスが可視化されているところがいい。入力が確定するまでの時間が、ぐっと濃密になっている。
posted at 02:47:07
ロボット演劇を大阪で鑑賞。そのあと、grafや中之島4117に。
VNV二日目。漫才のツッコミのパフォーマティヴな気づきに関して発表。
VNV一日目。
『浅草十二階』増補新版、本日発売です。高さと低さを併せ持つ帝都のスカイツリー、菊五郎、舞姫、乱歩、花袋、藤村、啄木、金子光晴、辻潤など。299->326ページに増補。 http://t.co/ITRjhb7
posted at 08:35:13
集中講義四日目、例によって2kg痩せてた。12コマ終わったが、まだ1920年代。『蒸気船ウィリー』で4コマ使ったからなー。
posted at 08:47:15
京都のまちなかは土日に地蔵盆をシフトしていたが、長岡京は今日からだった。
posted at 19:33:53
平日にともる地蔵盆の提灯あかりというのはいいもんだな。
posted at 19:34:43
@hiyokohasegawa こんにちは。FUKUSHIMA!の写真、涙出るなあ。こんなだったんだ。 http://t.co/JlE3GVk
posted at 01:08:03
@hiyokohasegawa いつもは自分のうつっている写真を見るのは苦手ですが、この写真はあのときの空気が閉じ込められているようで、何度も見返しています。ありがとうございます。
posted at 09:48:54
『浅草十二階』増補新版の見本が届く。9日に校了でお盆を挟んでもう見本、すごく早い。『絵はがきの時代』に引き続き、高麗隆彦さんの装丁。絵はがきの肌理が活かされていて、とてもうれしい。カバーをとって息をのんだ。
posted at 09:53:43
プロジェクトFUKUSHIMA!で配った紙を託してみました、Lilmagさんに。内容は同じだけど、レイアウトはちょこっと変えてます。無料だけど送料がかかるので、zineやCDとあわせるといいんじゃないかな。 http://t.co/dAy7fFO
posted at 10:20:23
アニメーション史講義。まずは、作品の隠れた意味は後の世に見出され更新される、という話をしてから、ふと岡本太郎『明日の神話』とChim↑Pomのことを取り上げる気になった。 それから、例年の如く『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』の作成年代あてクイズ、と相成ったのだが、
posted at 14:46:03
『サザエさん』のアニメ版スタートは、まさに『明日の神話』制作の時代の60年代末。そして当初、提供は「明日をつくる未来の東芝」一社だった。サザエさん一家は万博に行き岡本太郎描く太陽の塔を見上げ、東芝館を訪れ、原子力発電の勃興期を謳歌していたことに気づいて慄然とした。
posted at 14:47:37
@leeswijzer 分量的には単行本で30p弱、最終章を追補改変して最後に補論をつけました。1-11階はほぼ前の版のままです。
posted at 23:16:24
さらに英語ゼミ合宿。
あててもらうの楽しそうだなー
posted at 00:58:57
自転車
posted at 01:16:15
立ちこぎ
posted at 01:16:35
陸橋
posted at 01:16:59
ところで「なげる」なのですが(昨日の話)
posted at 02:01:29
なげやり、ということばはいかなる「なげる」感覚に根ざしているのだろうと考えてました(「翳りゆく部屋」を思い浮かべつつ)。
posted at 02:02:36
捨てる、というと、対象とひととの関係のようですが、「なげやり」というと、対象とひとと、そしてもうひとりいるような気がするのであります。
posted at 02:06:56
あなたまかせ、といいますか。
posted at 02:07:29
「なげやり」なとき、それはただゴミ箱に向かっているというよりは相手に向かっており、そのくせ、相手に渡す姿勢というよりは自分が放棄する姿勢をとっている。
posted at 02:10:44
それで、なげやられた側はといえば、受け取るというよりは、放られたものを拾わされているような気になるという、ものとひととひととの三項関係が「なげやり」にある。
posted at 02:12:28
と、そこまで考えたところで、はたと気がついたのですが、そもそも「なげる」ということ自体、ひとりごとではなく、相手あってのことばではないか。「なげといて」「なげでいいよ」というとき
posted at 02:15:00
「なげといて」「なげでいいよ」というとき、話し手は、相手にそのモノの扱いを託している。それは、捨てるという行為ではなく、ある種の託し方。相手が海(地面、部屋などなど)に向かう態度へと、モノは託されている。
posted at 02:20:27
うーん。
posted at 02:21:37
一度寝てまた考えよう。
posted at 02:21:45
カンタータとファミレスで城さんと英語ゼミ合宿。
ああ、お盆を過ぎたのに、目の前の仕事に移れない。そんなあなたとわたしの夏をなぐさめるべく、レイチェル・ダッドを聞いてみるのはどうでしょう。 http://t.co/tffNJUP
posted at 18:44:28
今日気づいたどうでもいいこと。ブレーキっていうのに、コミュニケーション・ブレーキ・ダウンっていわない。
posted at 18:47:57
ミルク・セーキっていうのに、サム・クックは「セーキ!」って言わない。
posted at 18:49:41
ケーキっていうのに、小田嶋隆さんの日経ビジネス連載は「ア・ピース・オブ・景気」ではない。
posted at 18:52:00
定期っていうのに、テーキ・イット・イージーとは言わない(だんだんずれてきた)。
posted at 18:52:50
ほのぼのレーキっていわない。
posted at 18:53:09
ナチュラル・メーキっていわない。
posted at 18:53:30
がんばれ元気っていう。
posted at 18:56:23
ところで仙台でのことをずっと書きそびれていましたが、思い出すだに涼風が吹く体験でした。暑かったけれど。喫茶ホルン、いいお店だった。またルーリード詩集読みながらジンジャエール飲みたいなあ。 @kissahorn
posted at 19:13:34
自分のライブのことを書くのは難しいでござる。
posted at 19:14:12
「火星の庭」みなさんに歓待していただきありがたい限りでありました。ああそれなのにそれなのに、またしても打ち上げでユーミンを歌ってしもた。調子こいて。あと、その日作った歌のタイトルが『火星人ゴーホーム』とは。
posted at 19:17:19
澁谷さんのピアノで「シブヤくん」を朗読したり。細胞分裂ならぬシブヤ分裂。
posted at 19:21:39
小室哲哉のピアノってコード弾きから来た奏法ですよねーって話の流れで知ったのだが、「シブヤさん」は小室哲哉がタイホされたときに作られた詩だそうで、そうと知っても、というかそうと知るとなお、詩はますます線の強度を増すのでした。
posted at 19:27:35
日本の人の書く外国語の歌詞に心動かされることは滅多にないのだが、なぜか澁谷さんの書く詩とその訳は、対照の力がとても強く、イメージが広がるのだ。
posted at 19:34:46
the next song と the last song というふうに。
posted at 19:37:07
崖から落ちる手前で呼びかける、と歌うと助かる。でも、崖から落ちる、手前でよびかける、と歌うなら。叙述の節目に打ち込まれる一息のくさび。(yumboの歌のことですよ)
posted at 19:42:27
あと、澁谷さんのいるところで『街の名は渋谷』を歌った。いつかそんなときがくるとわたしにはわかっていたの(と、恋に落ちている人が過去を捏造することは『ある日突然』を聞けばわかるのである)。
posted at 19:49:59
@KishinoYUICHI 宅孝二に関するトーク拝読、いやはやこれらの映画をまるで見ていないとは、情けない限り。というより、見ずば。ぼくが聞いたのは京都府立文化芸術会館でした。おぼろげな記憶ながら、スカルラッティからミヨーやプーランクを思わせる洒脱な小曲だったような。
posted at 20:02:26
ところで、宅孝二といえば高木東六は?と思ってたまたまみた林光のこのページ、おもしろいなあ。 http://t.co/UYUi88J
posted at 20:02:56
長いことTwitterやってますがトゥギャられたのは初めてかも。 RT @gamme 「細馬宏通@kaerusanさんのフェスFUKUSHIMA!@四季の里のレポート(音楽解放区に参加)」をトゥギャりました。http://t.co/WKBAfvH
posted at 20:22:23
和合亮一、大友良英、坂本龍一のセット。大友さん、坂本さんの置いていく、これ以上割ることができない塊のような音。これ以上割ることができないところまで壊れた後の、これ以上割ることができないものがぶつかるような音。
posted at 02:11:37
坂本さんがピアノに投げ入れているのはコインだろうか。コインが当たる音だと思うのだが、響いているのはグランドピアノ。小さなものと巨大なものとが、一つの音で一度に明らかになる。
posted at 02:17:23
そのコインのひとつがピアノからこぼれてステージに落ちたときの、くぐもった音。
posted at 02:37:24
夕日も星のひとつ。
posted at 03:01:29
今日は星みたいな夕日を見た。おやすみなさい。
posted at 03:34:33
オーケストラFUKUSHIMA!の演奏終了後、大友さんがミュージシャンの紹介をしていき、坂本龍一、と言ったとたんに客も演奏者も、え、どこどこ、とのびるように立ち上がる。大友さんが「ちょっと君たち、態度ちがいすぎ!」と笑いながら突っ込む。ライブには、客の反応への反応がある。
posted at 09:35:56
木村真三さんの壇上での講演を見ていて、これは大変な場所に立たれたなと、背筋が固まる思いだった。学会発表でも、千人もの一般聴衆が自分の発表に聞き入るという事態はなかなか体験できない。しかも、その中の数百人はずっと立ち尽くしており、雨がぱらつきだしても去ろうとはしない。
posted at 09:52:35
強い結果だけでなく、強い留保が必要とされる場所。
posted at 09:54:09
住んでよいか。食べてよいか。千人を前にイエスノーを高らかに言うことはできない。そこで必要とされているのは、ただの結論ではなく、考えるための材料は何か、それはいまどれだけあるか、ということ。木村さんは、そういうことをずっと応答してこられたのだなと、断言への躊躇を見て思った。
posted at 10:04:18
福島に来て、ライブで雨に濡れ、それでもそこを去らないとき、その人はそれだけで、一つの選択をしている。
posted at 10:08:06
会場の放射線量に話が及んだとき、正確なことばは忘れたけれど、木村さんはあえて、ここにいてよい、という結論を強く言われたと記憶している。それは科学的結論というより、相手がそこにいることを承認する態度だと受け取った。
posted at 10:08:29
プロジェクトFUKUSHIMA!で広げられた大風呂敷の中に、うちで長いこと使っていた無地のシーツがあって、その狭い一角から妙にアットホームな空気が漂っていておかしかった。送った人がそれぞれのシーツの上に立ったらどうなるか、なんて図を想像した。
posted at 11:07:43
驚いたことに、ひと区画の風呂敷には、それぞれ周囲にハトメがしてあり、そこにくの字型の金具を打ち込むと短時間でみるみる設置できる工夫になっていた。たぶん、誰もやったことないことだよなあ。どうやって思いつかれたのだろう。
posted at 11:11:53
ツイートを追ってる人にはわかると思うけど、ぼくはずっとウォーターステージ(+サブステージ)の付近にいて、他はほとんど見てない。グループ魂も頭脳警察もスターリンも。スタジアムやフラワーステージにいた人はきっと全然違う感想を持ってるはず。
posted at 12:23:54
南三陸町の田の浦地区に4日間通った。まだ、知らないことだらけ。知らないことだらけだということがわかった4日間だった。もう少しわかってきたら書けなくなるかもしれないから、何を知らなかったか少しメモしておこう。
posted at 15:07:39
たとえば、いまはもう「南三陸町」ということばが、しっくりこなくなっている。田の浦という部落にずっと通っていると、南三陸町、という単位がだんだんわからなくなってくる。そもそも地元の人から「南三陸町」という単語は滅多に聞かれない。うだづ(歌津)なら、まだ聞くけれど。
posted at 15:09:20
田の浦は、入り江の道沿い部分が200mほどの小さな湾だ。漁民のみなさんは現在十数人で、主にホヤ、ホタテ、ワカメなどの養殖業をしておられる。Google mapで歌津田の浦を検索すると岬の部分にマークがつくけれど、その南の湾が、田の浦湾。
posted at 15:17:26
・・・ところで、ホヤやホタテやワカメをどうやって養殖するのか、ぼくは全く知らなかった。それどころか、漁師に知り合いがいないこともあって、漁の基本的な営みを知らない。津波のこと以前に、海のことをまるで知らない。
posted at 15:19:09
一緒に聞き取りに行ったレンちゃんと電車の中で話していたのは、まずぼくらはまだ何も知らないのだから、あれはどうかこれはどうかとこちらが話題を絞り込む前に、まずは、漁のことを教えて下さい、昔のことを教えて下さい、あたりから始めてみようということだった。
posted at 15:22:30
田の浦で会長さんに会う。「契約会」の会長さんだという。この「契約会」というのがすでにしてわからない。田の浦区には区長さんもいる。けれど区長さんと契約会の会長さんは違うのだという。どういうことか。
posted at 15:29:24
田の浦で漁業を営む人は、昔はほとんど田の浦地区に住んでいた。けれど、家を建てる土地が少なくなってくると、他の地区に移り住んで田の浦に漁をしに通ってくる人が出てくる。そういう人は、行政単位ではよその地区の住民だけど、実際には田の浦の漁民で、仲間も田の浦にいる。
posted at 15:31:46
南三陸の海岸はリアス式で、一つ一つの湾は田の浦に限らずアップダウンのきつい山や岬に隔てられている。湾の地形はそれぞれ異なり、養殖に合う湾もあれば海水浴によい湾もある。一つ一つの湾に異なる営みがあり、それぞれの湾に濃いコミュニティがある。
posted at 15:35:39
そこで、住んでいる区とは別に、昔ながらの田の浦の人で作られた「契約会」という単位ができる。この「会」の感じは、平地に暮らしているとピンと来ないが、山々で隔てられた小さな湾にいると、なるほどと納得させられる。
posted at 15:37:27
田の浦を訪れた初日の夕方、ちょうど瓦礫船が岸に着いたところだった。満潮の波が、地盤沈下したコンクリートの護岸部分を半分ほど洗っている。ミナト海事の第二十八昭栄丸。巨大なクレーンが、海底から引き上げた漁具の山を船板から釣り上げて、ごっそり岸に置いていく。ウミネコが何羽も集まる。
posted at 15:42:40
岸に積まれた漁具の山からは、もうもうたる異臭がする。それは黄色や橙色や黒のプラスチックの玉が網やロープとからまり、もつれた塊で、初めて見たぼくにはほとんど「瓦礫」としか見えなかった。待ち構えた人びとが二人、三人、やれやれという感じでナイフ片手にゆっくりその山に近づいていく。
posted at 15:46:23
あ、うちの!と声があがる。山の頂上、プラスチックの玉にうっすらと読める漢字が一文字。これら「浮玉」にはひとつひとつ屋号が記されている。高いものだと一個3000円弱になるのだという。だから使えるものがあれば、からまったロープをナイフで切り、一つでも回収するんだそうだ。
posted at 15:52:46
では、山と積まれた、青や緑や黒の網、ひっからまったロープは何だろう。「これは、ホタテの講習会かね」と二人のホタテ先生が、ホタテの育て方を一から教えてくれた。最初に取り出されたのは、何の変哲もない二種類の網。片方は緑で片方は青。「よぐ見ると網目が違うしょ」。
posted at 15:57:03
細かい網目の網を適当に丸めて、粗い網目の網の中に放り込む。この、二重の網を海に沈めておくと、小さなホタテの「タネ」が、粗い網目をくぐって、内側の網につくのだそうだ。これが、ホタテのタネつけ。タネ、ということばは、なんだか農業や酪農のようだ。「海の百姓みだいなもんっさあ」。
posted at 16:02:16
「サイビョウ」ということばが出る。漢字が思い浮かばない。「サイビョウ、採集の採に苗ね」。二重にされたネットのことは採苗器、というんだそうだ。苗、という感覚なのか。
posted at 16:08:29
採苗器に入ったタネはやがて20mmほどになると足を出してはりつく。そこで、プランクトンを食って大きくなり、100円玉くらいの大きさになる。これがいまごろ、8月のこと。そうしたら、「選別器」にかける。「選別器」は丸い穴がいくつも開いたアルミ板で、ここに通ったタネは次の段階に移る。
posted at 16:14:13
100円玉ホタテは、「角ネット(かくねっと)」と呼ばれる、ピラミッド型をしたブルーの網の底に並べられる。一つの角ネットに30-50個のホタテが貼り付く。この角ネットを12-15個ほどロープで縦につなげる。ピラミッドが提灯のごとくぶらさがる。これを「一連」と呼ぶ。
posted at 16:16:26
ホタテを角ネットに入れるのはすべて手作業。角ネット12-15個からなる一連を、1500連作り、一本の「吊り手」と呼ばれる水平に張ったロープから吊り下げる。えーと、30かける12かける1500として、いくつホタテを並べるんだ。
posted at 16:19:55
ほんとは今頃、その角ネットを吊り下げてる頃なんだよね。
posted at 16:20:35
角ネットですくすくと育ったホタテは、翌年の二月、さらに大きくなるので手狭になってくる。そこで、35mmの選別器(これは機械)で大きいホタテをより分けて、黒い「丸ネット」に入れ替える。これは円柱形のネットが10個の水平な底によって仕切られて一連になったもの。
posted at 16:24:12
2月、この丸ネットを、3000個から4000個、180mにわたる「ケタ」から下げる。湾内1マイルから3マイルの間に、いくつものホタテの丸ネットがつり下がる。そして、翌年の10月、うまく育てば、ぼくたちが知っているホタテに近づいてくる。「でもここからまだオガルの」「オガル?」
posted at 16:27:50
おがる、というのは「大きくなる」という意味。おがす、だと「大きくする」。ホタテがオガル、ホタテをオガス、などという。「それでミミツリね」「ミミツリ?」「そこのピンクピンを使うのね」「ピンクピン?」
posted at 16:29:55
さて、ここまでのツイートで何人脱落しただろう。
posted at 16:32:41
ひとやすみ。
posted at 16:36:57
あれ、思いがけないところから反応が。標準語に直して話してくれる若手の方でも、「おがる」は使っておられました。漁師ことばなのかしらん? RT @FMN_S_F あれ!オガルってうちの故郷(長崎県北西部)の一部でも使いますね。オガスは言わなかったと思うけど。
posted at 16:48:53
聞き取りの始めはいつも、知らないことばを自分で唱えて、手なづけて、また相手の話を聞くことばかり。へえ、わあ、あれまあ、カクネット? ミミツリ? ピンクピン? 2800円? 自分の声といえば、あいづちと相手のことばだけでできている。
posted at 16:56:33
ミミツリ、は耳吊り。ホタテの貝がらの上部にある三角の部分が「ミミ」。このミミにピアスのごとく穴を開ける。昔はひとつひとつキリで開けたそうだが、いまは機械にホタテを並べてずんずん開けていく。
posted at 17:05:08
そこに、数センチのプラスチック製のピンを通す。ピンク色だから「ピンクピン」。ふにゃっとしたピンの両端にはカエシがついていて、いったん通すとはずれない。片方の端をホタテの穴に通し、もう片方の端はロープの縄目に刺す。これでホタテのミミがロープから吊られて「耳吊り」となる。
posted at 17:07:33
ピンクピンを刺すのはいまでも手作業で、主に女の人の仕事。一本のロープに15cm間隔で次々と刺していく。一日二万個刺すこともあるのだという。この、耳吊りをする段階のホタテは、見た目にはすでに立派なものだが、これからまだまだオガルので、「半成貝(ハンセイガイ)」という。
posted at 17:09:55
半成貝の殻に藻などのゴミが付着していると育ちが悪くなるので、はがねの爪で殻を「かく」(掃除する)。10月、耳吊りされた半成貝のロープを再び吊り手からぶら下げて海に沈める。翌年の3月になり、うまくいけば、立派にオガったホタテとなる。タネから約三年めでようやく一人前。
posted at 17:13:29
自分のところでタネから育てると(ジダネからやると)、シメツ(死滅)したときが大変なので、半成貝を北海道から買うこともあるのだそうだ。
posted at 17:15:42
沖を見ると、いくつか浮玉が浮いている。震災のあと、瓦礫船からあがった漁具の中に、丸ネットがいくつか入っていた。それを取り出して、試しに海に沈めているのだという。「でも半日瓦礫船の上にあったからねえ」。
posted at 17:17:29
ホタテ先生に一通りの育て方を教わったところで、瓦礫船がまた瓦礫を一山運んできた。クレーンの巨大な爪が漁具を甲板から持ち上げる。からまったロープが何本か千切れる。地上に落とされるとき、浮玉の割れるばきりという音。あの青いのは角ネットで、黒いのは丸ネット、ミミツリのロープも見える。
posted at 17:21:34
クレーンの爪は容赦なく残骸を甲板から持ち上げる。いまはそれらがホタテ養殖の道具だとわかる。角ネットには一年もの、丸ネットには二年もの、そしてミミツリされた三年目のホタテ。「今なれたからいいけど」若いホタテ先生が言う。「最初見たときねえ、頭あげられてるような感じで」。
posted at 17:25:42
ホタテやホヤの話をうかがっていて「オモシロイ」「オモシロガッタ」ということばをしばしば聞いた。面白い、とも違うし、楽しい、ともちょっと違うようだ。引き上げたものが立派にオガっているのを見て思わずわく高揚感とともに出てくるように思った(違ったら指摘して下さい>ご存じの方)。
posted at 17:33:54
オモシロイ。うまくいったときの高揚感。そこにはちょっとした射幸心も入ることもあるかもしれない。「網引くのに恐えーも辛れーもないの。オモシロイのさぎだよって」「ミミツリがいいなーと思って留萌で半成貝買っできたの。これがおもしろかっだの」
posted at 17:37:50
そうでしたか。ぼくが田の浦で聞いた感じでは、「育ちすぎる」という感じはなくて、育つ、あるいは積極的に育てるという感じでした。たとえば「小さいホヤは間合い(間隔)を大きくしてオガす」という風に。農村と漁村でニュアンスが違うとしたらおもしろいですね。 @cafeavant
posted at 18:01:39
あー、やっぱり誤解してました。「こわい」は疲れるだったのか! そして、博打感覚、そうですそうです。ジダネからやるホタテは最初の投資に数千万、それを三年後に回収だからかなりの博打だと思うのですが、でもだからうまくいくと「おもしぇのす」。 @macaronislash
posted at 18:33:07
そういえば、「おがった」の使われ方を押さえてませんでした。過去形が否定的なニュアンスというの、おもしろいですね。ほかの単語でもあるのかしらん。 @cafeavant
posted at 18:41:45
教えてください、あれこれと。 @macaronislash
posted at 20:04:17
もう一つ、あてずっぽうながら書いてみる。これはケセン語なのか漁師さんの言い回しなのか「なげる」。これ食べない?食べないのはなげるから食べなさい。ほぼ「捨てる」の意味だと思うのだが、どうも標準語の「投げる=捨てる」とは違う気がする。
posted at 20:22:53
標準語で「投げる」というと、うっちゃっておく、放置しておく、というほどの意味だろう。投げられた対象は、取ろうと思えば取れる場所にある。「投げ出す」はより強い意味だが、これも当人があきらめているのであって、対象はまだ、手の届く場所にありそうだ。
posted at 20:24:30
ぼくがちょっとショックを受けたのは、浜でバーベキューをしているとき、地元の方の一人が手際よく波打ち際で魚をさばいてから、「これは投げるの」と言ってぽーんと海側に骨を放ったときだ。あ、これはもう取り返しがつかない。
posted at 20:26:42
地面やゴミ箱に「投げる」よりも、海に「投げる」ほうがもっと取り返しがつかないような気がする。その一方で、いや、海に投げたらそれが何かの餌になって、回り回って魚になって返ってくるのでは、とも思う。
posted at 20:29:12
「投げる」という感覚に、海という投げ場所を重ねるとき、ただ捨てるのとは異なる深みがありそうな気がする。網も「投げる」のだし。投げて引き寄せる。投げて流される。投げたものが魚になって(ホタテになって)(ホヤになって)戻ってくる。
posted at 20:31:33
@KishinoYUICHI 不勉強で宅孝二映画作品をまるで見ていないのですが、なぜかコンサートに行ったことはあるのです。これがまた、永六輔の企画で、会場はほぼ満席で。宅孝二が自作のピアノ曲(ダンス曲含む)を弾いて、そのあと永六輔と対談するというものでした。
posted at 20:44:00
ああ、ほんとにまだ東北のこと、なーんもわかってない。
posted at 21:41:30
なげる感覚、おもしろいです。大阪弁だと「ほる」と「ほかす」と二通りありまして、ほる、だとその辺に放っていいのですが、「ほかす」だと、ちゃんと捨てる、という感じです。ホカスモン焼きはない。 @com4jai @cafeavant @pocoamoco @samedrill
posted at 21:47:41
海に投げる、というときは、捨てるという意味に投げるという所作がくっついてくるので、妙に生々しい。
posted at 21:52:14
震災の後に瓦礫から取り出して海に沈めてあるホタテの半成貝の様子を見に行くというので、一緒に船に乗せてもらった。引き上げた丸ネットのホタテの多くは、残念ながら身が落ちていて、甲板にざあっとあけられ、海に投げられた。
posted at 21:53:00
田の浦で滋賀県立大学生たちが製作中の番屋。わあ、だいぶできあがってる。 http://t.co/ApX2TLO
posted at 22:00:31
気仙沼、南三陸町での5日間、仙台のライブと滞在、そしてプロジェクトFUKUSHIMA!。どれも短くは書けなくて。昨日は、プロジェクトFUKUSHIMA!会場で、ノートに書き付けたもののコピーを勝手に配りました。ミニコミというには大きすぎるA3紙。
posted at 11:44:49
大友さんおつかれさまでした。最初から最後まですばらしかったです。そして天気も月も。そして体には気をつけて。
posted at 11:46:14
日記:星の転生 http://t.co/eEBK5jC
posted at 14:18:43
10時過ぎ、大友さんがトラメガで叫んでいる。「音楽解放区の人は、ここに集合してくださあい」。ここ、ってどこだ。ここ、で発せられる声のありかを探す。あたりの人もきょろきょろしている。遠くで人がわらわらと歩き出すのが見えて、ここはそこなのだなとわかる。いいフェスだな。
posted at 21:27:17
広々と広げられた大風呂敷の上には容赦なく陽射しが照りつけて、そこで長く演奏するのは無理に思われた。入口近くの木陰で思いつくままのことを歌うけれど、それでも暑さで頭がぼんやりしてくる。暑さに見合った声、見合った弾き方でしか弾けなくなる。久しぶりに夏のまっただ中にいる。
posted at 21:30:43
飴屋さんの「楽器」には色とりどりの画鋲が刺さっている。プラスチックの頭を飴屋さんがなでると、微かにきゅるきゅると音がする。その音が、一人ではない。かといって、唱和でもない。てんでに発せられながら同時に聞こえる声たち。峙つ、という単語が思い浮かぶ。画鋲連山。
posted at 21:35:25
オーケストラが最初の一音を出すと、観客から、おお、と声があがる。はみ出すトロンボーン。あ、藤本さんが来てる。
posted at 21:36:02
群読の歴史。戦前、戦争詩をともに読みながら、記号を唱和し、記号を記号たらしめてきた力。その力をそのまま借りて、卒業!卒業!と叫んできた戦後の学校における送辞と答辞の歴史。和合さんは高校の先生。
posted at 21:37:03
先生の思い知る送辞と答辞のあやうさ。それを反転させる、FUKUSHIMA!の唱和。それから、そろわない声、てんでに声をあげる時間。
posted at 21:37:58
嵐を呼ぶ遠藤賢司、容赦なく雨、コンクリートで固められた階段席に水が貯まって、尻がずぶ濡れになる。四股踏み、よかったなあ。『力士漂泊』だった。大相撲が萎縮するいま、誰が東北で四股を踏み、地を沈めるのか。それはエンケンだった。上手で踏み、下手で踏み、正面で踏む。細い足は高くあがる。
posted at 21:40:11
七尾旅人の『圏内の歌」。子供だけでも、どこか遠くへ。「どこか遠くへ」ということばを、自身の願いではなく、だれかを逃がそうとして歌った歌を、これ以外に知らない。遠くへ行きたい、ではなく、遠くへ逃がしたい。わたしもまた、逃れてきた者の末裔のはず。
posted at 21:42:20
ユザーンがハラカミさんの曲を始める前に、少しはにかみながら「いってきまあす」。その声色は、ハラカミさんそのままだった。いってきます、ということばの先に、ただいま、を言う場所のことを想像している。ただいまと言っている月夜。
posted at 21:47:23
A3の紙を「ミニコミです」と渡す。ティッシュ配りのように、隙を見て突きつける。持てあまされる紙。紙を配るのはおもしろいな。受け取る人がわずかに差し出す手の躊躇。テニスコーツのさやさんは紙をぱたぱたと折って、「こうすれば読めるね」。『ときのうた』のジャケみたい。
posted at 22:02:46
午後、ざばざばと降った雨のあと、照りつける陽射し。しばらく経つと、驚いたことに芝生に広げられた大風呂敷は乾き始めていた。これが全部ソーラー発電で、その発電で乾燥機を動かすことができたら。でももう、風呂敷は乾いている。パッチワークがあてられたところだけ濡れている。
posted at 22:09:15
ニカさんが、トランペットの声を出すときの、うぎゃって顔。昨日はうぎゃって顔が泣き顔に近づいて、歌わなきゃ泣くのかと思うほどだった。泣く、に割り当てられているはずの情けが歌になり、ギターが跳ね回る。エンケンが、今年は紅白に出る、って言ってた。ほんとかな。これが紅白じゃないのかな。
posted at 22:37:16
今日はフェスティバルFUKUSHIMA! 。ぼくも午後の音楽解放区に出没します。
posted at 07:19:41
みんみんぜみがすごい。表土を破って出てきた虫たち。そろそろ出かけよう。
posted at 07:21:25
喫茶ホルンへ。火星の庭ですっかりお世話になる。あれこれ買う。バスで福島へ。飯坂温泉の宿。
朝、田の浦からホタテを見に行く船に同船させていただけるとのこと。これまで聞き取りをしてきたことを実地に見聞。震災後、瓦礫から取り出して再び沈めておいたというホタテは残念ながら半数以上身が落ちている。「これはもう投げるしかないね」。ああ、こういうときにも「投げる」んだな。若きホタテ先生が、甲板に集められた貝を両手でかき集めて、ざっと海に「投げる」。
停泊、ウィンチの巻き上げ、吊り手の引き上げ、これらの作業はひとことふたことの指令でオーバーラップするように行われる。浮玉が近づけば停泊は間近く、そこについたらウィンチでホタテを引き上げてみるのもわかっている。やらねばならぬことが起こるときには、すでに各自がその位置につき、作業に取りかかり始めている。船上作業のようなめまぐるしい環境変化をGoodwin流に記述するとしたらどうなるだろう。あまりの環境変化のダイナミックさにめまいがしそうだ。
それから鵜飼さんの運転で田の浦から45号線を通って南三陸町役場へ。教育課で歌津町史。分厚い本は海水に濡れたらしく、縁がぱりぱりに乾いている。
ぜひ志津川を見て下さい、と出がけに佐々木さんに言われていた。45号線をさらに下ると途中にオートザム。そこの一階が津波でやられたのだという。けれどまわりを見る限り、山あいに見える。そこから車を走らせると志津川のまちが開けてくる。田の浦で起きたことが、ここでは広大な河岸一帯で起こっている。言葉もない。
午後、津龍院で初盆があるというので、千葉さんに車で連れていっていただく。駐車場に二百台もの人。千葉さんが「ああ、あった!」と声をあげる。奉納された石碑に千葉さんの名前。このあたりも津浪が洗ったのだが、小さな石碑はそれをくぐり抜けていた。
田の浦に戻る道すがら、千葉さんが沿岸を回り、湾のひとつひとつを案内してくれる。館浜、長須賀海水浴場、迷路のような岬の道路を上って歌津崎、馬場中山、「この辺は向こうとこっちと二方向から来たからね」、それが岬のくびれの部分だと気づくのに時間がかかる。名足、石浜、湾のひとつひとつが違う性格を持っており、被害の受け方も違う。「南三陸町」ということばでひとくくりにすることが、なんだかそぐわなくなってくる。複雑な地形の間に開けた村落のひとつひとつで、異なることが起こっている。そもそも、南三陸町という行政単位も平成の大合併によって生まれたもので、もともとは歌津と志津川という二つのエリアだった。歌津の二つの大きな寺院の一つが津龍院で、もう一つの西光寺は伊里前から来た津浪でひどくやられてしまったという。
夜、今日は佐々木さんがなんとバーベキューを用意してくれていた。もう食べきれないというくらい食べる。
朝、「裏道がわかった」という鵜飼さんのたどるルートは45号線より山側で、峠を攻めたらしきバイクのあとがそこここにある。千葉さんのご紹介で、午前、午後と仮設に入っておられる方々の話をうかがう。
夕方、午前中に話を伺った大正生まれの方が浜のそばの高台まで降りてきておられるのに出会い、そこでまた立ち話。十二宮にのぼり、湾を眺めながら、明治二九年の津浪で伝え聞かれたこと、昭和八年のこと、チリ地震のこと、そして今回のことをうかがう。逃れ、生き残った人のことば。
今日も、鵜飼さん運転の車で45号線を下り田の浦へ。午前、千葉さん宅で再び聞き取り。養殖の作業について。午後、浜で実際に網を見せていただきながら「ホタテ先生」のお二人に養殖のイロハを教えていただく。二重網、角ネット、丸ネット、耳吊り(ピンクピン)、半成貝、三年にわたる養殖のプロセス。折しも瓦礫船が海底からあがった「瓦礫」を浜に置きにくる。浮玉にからまった青や緑や黒の網。ここにきたときはただの網の塊にしか見えなかった。けれど、いまはわかる。あれは角ネットであれは丸ネット、あの中でハンセイガイが育つ。若きホタテ先生が「今はもうなれたけど」と言う。「はじめ見たときは、頭がもちあげられるような気がした」。
次に「キャプテン」にホヤの養殖のイロハを教わる。平成十六年のホヤ景気のこと。それから訪れたホヤ死滅の現象のことも。「来年はやるよ!」とにこりとされた。
帰ってからの佐々木さん宅での料理が毎夜の楽しみ。
朝、鵜飼さん運転の車で45号線を下って田の浦へ。途中、交差する千葉さん宅でお話をうかがう。その後も聞き取り。浜の北側にある八幡様に登る。昭和八年の津浪後に建てられた『地震が来たら津浪に注意/津浪が来たら高台へ』の碑。たもとの家は津浪で壊れている。社殿はかろうじて無事だが、石灯籠は倒れている。木立の隙間から海。 ここ田の浦で、今日から鵜飼さんと学生とでの集会所づくりが始まる。ぼくは聞き取り役補佐という屋内チーム。夜、漁師さんたちの肝いりで、浜でバーベキュー。毛ガニが大量にゆでられる。酒もまわって、思わず「これは豊かですね」と言うと、それまでリラックスしていたある漁師さんが急に真顔になって「豊かっていうけどね」。それから、津浪のあと、これまでの話をあれこれとうかがうことになった。ぼくはときどき、そういう迂闊なことを言ってしまう。機敏な蓮ちゃんがすばやく雰囲気を察して、親身に話を聞いていた。
南彦根を朝8時過ぎに発ち、新幹線で東京へ。道中、『浅草十二階』の増補版校正。東京駅で、宅急便を送る。やまびこで一ノ関へ。さらに大船渡線に乗り換えて気仙沼へ。山の中の線路。気仙沼駅に着いても、まだ海の気配も見えない。大船渡線は気仙沼までが復旧しているという。ここから向こうが海、そして、津浪の洗ったところ、なのだろう。
午後四時過ぎ。約束の時間まで三時間ある。蓮ちゃんと街を歩くことにする。辻潤の寄宿した観音寺を目指す。化粧坂を登る。港町だと意外な山の景色。「海岸山かんのん寺の朝ぼらけ空々くろろんと啼くは誰が子ぞ」陀仙名の歌碑。
観音寺を降り、大川に沿って下流に。少しずつ、水がどこまで来たかがわかってくる。二人とも黙って歩く。幸町。道沿いの瓦礫は除かれている、のだろう。そこに積み上げられていたであろう瓦礫を、ぼくは知らない。まだ修繕もかなわず内側から木材をはみださせた家、ビルから、その気配を察するばかり。大きなものが除かれ、そしてまだ何も建っていない。ときおり過ぎる車が、アスファルトの道に積もった粉塵を舞い上げる。おそらくこの角の向こうも、あの角の向こうもそうなのだろう。魚市場から港沿いを行く。石巻をはじめ、各地から集まった船。「お魚いちば」の一階は灯りが付いていて、営業を再開している。高台にある気仙沼ホテルを見上げながらフェリー着き場へ。ミニトマトが実っている。いつ植えられたものだろう。
駅に戻る道は少し勾配がある。米屋が一軒、営業を再開している。角を曲がり、しばらくいくと、学習塾のあかり。子供の居場所。One10という市役所の入った建物。スナックの緑色の看板。
駅に戻りかけて、さっきのスナックの看板がどうしても忘れられず、また来た道を引き返して、ドアを開けてみる。いっせいに、カウンタに並んだ数人の海の男たちの視線。ドアを開けてしまった以上、「入れますか?」と聞かざるをえない。意外にやさしい声のご主人の声のまま、奥の畳へ。
のどが渇いていた。ビールを頼む。出てきたお通しは、海のものを刻んでマヨネーズであえたもの。家で作られる小鉢のおかずを思わせたが、一口食ってそのあまりの旨さに蓮ちゃんとひそひそ声で「ここいい!ここいい!」。テレビがローカルニュースを伝えている。にぎやかというのではなく、明るいというわけでもない。店内で少しずつ交わされる会話。が、あの砂塵の街を抜けてきた身には、ホームのような不思議なくつろぎが、じわじわとわいてくる。この店に来てよかった。この店に来なければ、あの街とどこからつきあえばよいのか、わからなかっただろう。
7時過ぎ、駅で水井くんと待ち合わせて、これからの気仙沼滞在でお世話になる佐々木さん宅へ。心づくしの料理。
今日は夕方に気仙沼に着き、二時間ほど歩いてました。荷物預かり所がないので、主な荷物はコインロッカーに入れたものの、ギターだけ入らない。ギター背負って歩きました。
posted at 22:15:39
オープンキャンパス二日目。明日の準備。
オープンキャンパス一日目。模擬講義。
大阪に移動。workroomで宮田あずみさんとライブ。すごくいい音だったのに、またしても録音を失敗し、ちょっとへこむ。
魚拓は木を切る〜
posted at 09:29:57
さて今日もまた琵琶湖線をゆくおれに魚拓がとりつくのか
posted at 14:44:58
魚能力少年メバル2世
posted at 14:46:58
ろぷろすもぽせいどんもろでむも海をゆけ
posted at 14:47:53
KJほ〜
posted at 14:58:42
夜、宮田あずみさんと練習。次々と曲をさらう。いい感じ。録音しそこねた。
今日、徹夜明けのミーティングで、「え、何いってんすか?」と言われた。それでハッと自分の今言ったことを思い出したら、「まあ、でもおれが魚拓になってしまえば問題ないんだよね」と言ってたんだな。どうやら眼を開けて夢見てたらしい。
posted at 17:26:47
夢は寝てるときに見るというよりは、目覚めた瞬間から過去に向かって広がるように作られる、って書いてたのはユングだっけ。(信じちゃいけませんよ)
posted at 17:28:32
たぶん、電車のいちばん前に乗ってやってくる景色を見るような夢と電車のいちばん後ろに乗って集まってくる景色を見るような夢とがあるんだな。
posted at 17:31:50
精神のノーガード戦法(ゆらー)
posted at 17:33:33
ああ、車窓から魚民や水滸伝が見える街よ。
posted at 17:46:16
いまこの時間、比叡山にかかるあの雲の低さを背負っていけば、魚の民になれそうだ。魚拓のわたしは。
posted at 17:47:21
3番テーブルさんへ忍んでいけそう。
posted at 17:48:07
3番テーブルの長いテーブルを滑走路にして、歩いて行けそう。
posted at 17:48:36
うおうおうおお、うおのたみ、うおおおりいいをさがすたびにでよう。
posted at 17:49:42
(いま、精神のノーガード戦法をとっておりますゆえ、頭に浮かんだよしなしごとをノーガードでお届けしております)
posted at 17:50:38
ぎょぎょぎょ、ぎょどうふしん、ぎょたくじゃなーいよー
posted at 17:52:50
すいません、とうさくでした。さもんとうさく。
posted at 17:53:08
二択じゃないよ、魚拓だよ。魚拓 or die!
posted at 17:53:44
おたくから魚拓へ。黒く塗れ(おれを)。
posted at 17:55:22
クリスマスプレゼントに、なんにもないから墨を塗ったわたしをあげる、といったのは倍賞美津子だったっけ(信じちゃいけませんよ)
posted at 17:56:56
これからもう、チョーはギョーでいいんじゃないか。
posted at 17:57:58
ギョーきもちいい。
posted at 17:58:11
しかし、山科の地下鉄改札口にくるたび、じゃかましいって思ってまうな。
posted at 18:07:52
じゃかましい 魚拓のおれに 耳がある
posted at 18:08:45
夜のしじまのなんと冗舌なことでしょう。(ぎょーたくやです)
posted at 18:12:38
地下鉄駅につくたびにくちをばくばくさせるきんぎょのごとく
posted at 18:14:22
宇宙少年魚卵
posted at 18:20:27
もう京都は魚都でいいじゃないか。
posted at 18:21:47
首都も魚都でいいじゃないか。
posted at 18:22:19
魚都大学東京でいいじゃないか。
posted at 18:22:59
そうすれば、魚都から魚都へ、魚の道を通って、すぐいける。
posted at 18:25:16
川を遡っておとなになる。
posted at 18:26:59
ギターからなんかでてきたよ
posted at 18:31:42
さかなかな
posted at 18:32:05
子供がいれたんだな
posted at 18:32:26
She was he, suggesting me あ、ほんとだ、ちょっとかっこいい
posted at 18:46:00
朝からずっとサンドウィッチマンの漫才、コントを分析。観客がいるとき、ないときに比べて伊達さんのツッコミの「精度」が格段に上がっておもしろくなる。これ、ご本人にうかがいたいなあ。「精度」というのは、ちょっとした動作に関することなのだが、詳しくは論文にて。
posted at 17:02:26
en-taxiの特集「リトルプレス」は、ミニコミのことじゃなくて「小出版社」のことなのか。表紙に石原慎太郎の名があるから、ぎょっとする人も多いだろうけど、流水書房の秋葉直哉さん参加の鼎談が載ってるよ。
posted at 18:48:37
8/6(土)かえるさん+宮田あずみ。18:30から大阪workroomにて。昼のpet - group exhibition - にもご注目。 http://t.co/H5RuABT
posted at 23:44:56
彦根もかなり長い揺れだった。夜半の喫茶店でみんな照明を見上げてた。
posted at 00:02:37
よし、増補分を書き終えた。今からあとがきを書きます。ってわけで順調にいけば今月末か来月頭には出ます。「浅草十二階」増補新版。 http://t.co/Bchp9zD
posted at 21:16:18
森本レオの声で言ってみるといいよ。「語りえぬものについては」ゆっくり上げ調子で、「沈黙しなければならない」倍速で下げる。はいどうぞ。
posted at 21:21:38
蝉がものすごい。それも全部クマゼミだな。
posted at 07:43:05