twitter: kaerusan
つぶやく「ラジオ 沼」: radio_numa
■書いたり話したり歌ったり
京都新聞『現代のことば』
大友良英のJAMJAMラジオ:11/6放送分
/11/13放送分
12/4(土)江戸東京博物館フォーラム
1/9(日)音遊びの会@水戸芸術館
1/11(火)ワッツタワーズ@渋谷
1/22(土)かえる目@カフェ・パルル
1/23(日)グレンスミス、キツネの嫁入り、かえる目@元立誠小学校
ライブ情報は、かえる目ホームへ。
朝、講義にゼミ。 午後、佐久間さん、本間さん、志賀さん、たんぽぽの家の井尻さん、森下さんが大学に来訪。「言語から身振りへ」プロジェクトの委員会。今日は、佐久間さんと高齢者の方が踊っているところを簡単にビデオ分析してみなさんにお見せする。踊りの場面はいくつかあったのだが、ぼくの興味から見て、いちばん行為の時間関係がすばらしかった踊りを選んだ。佐久間さんが「このおばあさんは特別すごかったです」と言ったので、行為分析は踊り手の感覚とも一致するのだと思って、うれしかった。
寒くなってきた。ちゃんこ鍋を作る。
西巣鴨、飴屋法水(構成)『わたしのすがた』。あったはずの土。長すぎる道。
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朝から講義とゼミと実習とで五コマ。くたびれた。夜はファミレスに。
大友良英『アンサンブルズ2010 共振』のオープニング。
展示については、まだ始まったばかりなので詳しくは書かないけれど、とにかく、これまでのEnsemblesとは規模も内容も相当違っている。YCAMの展示を思い出すにつけても、大友さんはその場所その場所で固有のプロジェクトを築いているなと思う。これだけすばらしいのに、YCAMの記憶が全く色褪せないのだ。水戸芸のアンサンブルズもまた、どの部屋もすばらしいが、とくに空間デザイン、そして毛利悠子の仕事にとてもインスパイアされた。
14:00から始まった七尾旅人のパフォーマンスは圧倒的だった。奥の第五室で始まった歌の数々(まるでかつての水戸の湖とサムライを思い起こさせる小舟の歌)もすばらしかったが、そこから展示室を次から次へと移動し始めてからがまた凄かった。参加者のおかあさんと赤ちゃんに歌いかける「わたしの赤ちゃん」では、赤ちゃんの声と視線が七尾さんの声とつかず離れずのセッションを繰り広げる。長い回廊を「どんどん季節は流れて」、最後はメディアの記憶を駆動して部屋ごと味方につけたような名曲Rollin' Rollin'。いずれも、その場の音を喚起して、彼がいかに奔放に唄いながら周りのできごとを鋭く拾いあげているかがよくわかった。
この日の「フェス」は、「自由」と項目づけされた時間にもあちこちでミュージシャンが多発的に音を出していたのだが、中でもおもしろかったのは、台車を使った「山車」。大友良英や山本達久がドラムセットに乗って、実にしずしずと(美術館に似つかわしい速度で)移動し、そのあとをこれまたしずしずと百人単位の観客がついていく。微弱なサンバのリズムを人々が追うこんなサンバカーニバル、見たことない。
かと思えば、搬送用のエレベーターからテニスコーツが現れたり、山本達久が放り投げたベルを梅田哲也が手袋つきの釣り竿で寄せ集めたり、美術館に存在する壁や装置を遮蔽に使ったおもしろい試みが次々と起こり、とても全部は見きれない。全部見る、というより、遠くからまず音や気配に気づいて、あ、あれはなに?という風に視覚的体験があとから追いつくパフォーマンスの数々。「聴覚に遅れる視覚」という体験は、Ensemblesの特徴だが、今回のパフォーマンスでは、それがいっそう強度を増した感じだった。そういえば、七尾旅人の最後の曲は、狭い通路の角で演じられたので、ほとんどの観客は直接見ることができなかったのだが、それがむしろ似つかわしいと思えるほどだった(といいつつ、しっかり間近に陣取ってしまったけれど)。
空間の大きさもそれにあずかっている。大友良英、山本精一が第一室と第五室の端に位置する轟音。何メートル離れてただろう。音の抜けてくる通路に人々は立ち、座り、それを真ん中で聞く。頭を少し動かすだけでテクスチャが変わる。おそらくそれぞれの人の位置で(そして頭の中で)違って鳴っている轟音。
さやさんのピアノと歌からゆっくりと、着実にグルーヴを作っていく植野くんのギター、テニスコーツの時間のクライマックスに山車登場、わあ、ピアノにぶつかりそうな勢い、と思ってよく見たら押しているのは七尾旅人さんだった。梅田くんが山本達久さんに馬乗り。アンプも入ってない、さしたる音量もないこのセッションに大拍手が起こっていた。
最後はカヒミ・カリィ、大友良英、山本達久。会場の微音があまりにタイミングよく、曲の構造をがらりと変えておもしろい。
6時間があっという間だった。最終電車に間に合うべくそそくさと会場をあとにする。
新幹線の改札で何度やってもカードがはねられる。駅員さんに調べてもらったら、なんと間違えて昨日のチケットを買っていたのだった。もう払い戻しも不可能だという。愕然としつつ、しかし、もうすぐ出る最終にとにかく乗らねばならない。あわてて自由席のチケットを買い直して乗り込む。ふだんなら一晩ひきずりそうなダメージだが、昼のことを思い出すと、なぜか楽しい。
質的心理学会。朝、ポスターを貼り、あれこれと説明。午後は、樫田さん主催のシンポと、西村さん主催のシンポに行く。
午前中のポスター発表は「発表賞」をもらった。賞状をもらうなんて久しぶりだな。
懇親会に二次会。久しぶりに酒を飲む。
『わたしのすがた』、もう一度観るつもりでチケットまでとっていたのだが、三限の講義を終えたあとではどうしても間に合わない。Twitterでチケット譲りますと流す。すぐにdotimpactさんにつながった。Twitter、便利だな。明日の発表準備をしてから出発、夜遅く水戸に着く。
maesanがしゃべってるよ。いま003まであります。 RT @maesan デジオ番外地 001 「わたしのすがた」いっかしょめ http://dediobangaichi.seesaa.net/art
posted at 00:09:40
ひらがなでやってみた。サイズで始まり「大」問題で終わるところがよい。 かえるさんさんの今日の都々逸は、こうです。 『サイズぴったり 美を説くひとよ そいつぁいけねえ 大問題』 http://shindanmaker.com/63040 #jdodo
posted at 00:13:00
彦根から水戸に来た。わたしは井伊家とは無縁の、ただの一匹狼に過ぎない。だが、ここは納豆の町。江戸の因縁がいつ、どこでわたしに粘りつくやも知れぬ。
posted at 22:21:15
コンビニの灯り。もしや一面に粘ついている棚か。脳裏に「県立地球防衛軍」の一コマが過ぎる。漫才のようにウィンとドアが開く。驚いたことに、彦根とほとんど品揃えが違わない。豆腐の横に二種類の納豆が、控えめに置かれている。
posted at 22:25:39
コンビニ袋はカサカサと音をたてる。一点の粘りもない。ホテルはリバーサイド。宿泊代は都下の半額。食事もリバーサイド(デニーズ)。フロントマンはローカル岡の口調を、つぶやきシローの音量でしゃべる。住所と署名を求められる。滋賀県、と書いたところでペンが止まった。
posted at 22:34:24
気づかぬふりをして、彦根、と手早く書く。ローカル岡は気にも留めぬ。「鍵は必ずフロントに返していただくようお願いします」。丁重なつぶやき。鍵の番号は13xx。不吉だ。エレベーターに乗り、荷を抱え直していると後ろで扉が閉まる。行き先は・・・ボタンは11で終わっている。罠!
posted at 22:36:08
行き先のない番号。幻の13階。「ぼくはロッキー・エリクソンに会った」と昔ダニエル・ジョンストンが唄っていた。あれはこういうことだったのか。
posted at 22:44:34
そしてわたしはいま、13xxに居ます。さ、発表のポスター作ろ。
posted at 22:45:48
そうだそうだ、あれは身体だったのかもしれない。 RT @dotimpact ものすごい体験だった。なんにんかの身体のなかを通り抜けてきたような気分だ
posted at 22:52:55
プチゼミに講義、会議。
もう、映画館と美術館に足繁く通うことはほとんどあきらめているが、あの『海』の女性のもとがグロリア・スワンソンの絵はがきだったと知って、古賀春江展は行きたかった。
ベタではあるが講義で「ジャズ・シンガー」を見る。あらためて大画面で見ると、かなりいい。アル・ジョルソンの口元に見とれる。アル・ジョルソンの父親もユダヤ教のラビでCantor。『ジャズ・シンガー』で扱われている宗教と芸能の両立という問題は、アル自身の問題でもあった。それは「歌」によって解決される。聖歌とジャズを貫く歌声と、黒塗りで強調されよく動く口との同期によって。ジャズシンガーは単に「トーキー」を実現したのではない(この映画には「台詞」の声はない)。歌と口の同期を実現し、そのことで聖歌と俗歌を通底する白と黒の身体があることを観客に思い知らせた。
で、アル・ジョルソンの顔に見とれたあとに読んでいるのが中村秀之さんの『瓦礫の天使たち』。2003年にUCLAでみた無声映画の話から始まり、声なき映画の可能性がたずねられていく。
そういえば、サンセット大通りは、無声映画の身体を持つグロリア・スワンソンが、若きトーキーの脚本家にその圧倒的な表情で取り憑くというお話だった。古賀春江の『海』で天上を指さす女性の強度は、すでにして無声映画で鍛え上げられたスワンソンの身体に埋め込まれていた。犬運転(!)のボートの上でこんなポーズとるのって、どうかしてない? http://www.magictrain.biz/wp/?p=1783
平石さんの「こころ学」の連載、どれも読み応えありますね。すばらしい。 RT @shorebird2000 おばあちゃん兵隊アブラムシ論文(--略-- )に関する平石先生による素晴らしい解説. http://ow.ly/3eM5l
posted at 20:57:51
西巣鴨、飴屋法水(構成)『わたしのすがた』。ひとのかたち、かたちなきひと。
http://12kai.com/numa/
posted at 15:01:19
西巣鴨で飴屋法水(構成)『わたしのすがた』を見た。覚えていることと忘れていること。
講義に三コマ実習。今日の実習は『きらきらアフロ』を分析してもらう。
信楽で「おやつとライブ」。子供の声と「Lilipat」。唄いながら、外に走っていく子が窓から見える。芋煮会。上田夫妻に車で送ってもらう。帰りはてるちゃんがよく話してくれる。満月が見えるたびに、手をのばして、ぱくっ、と口に放り込む。
西巣鴨で『わたしのすがた』を見る。見始めてから。
http://12kai.com/numa/
11月は鍋リレー。本日はトマトナベアー初体験。じゃがいも入れるといい感じ。
西巣鴨で『わたしのすがた』を見る。その、見る前のこと。http://12kai.com/numa
J-都々逸ってのを作ってみた。自分のはこう。 『甘い香りは どうにでもして じっと手を見て おとうさん』 http://shindanmaker.com/63040 #jdodo
本日の院生ゼミのエッセンス。人はディティールを語るときに常識とは異なる形で動きを分節する。ただ分節するだけでなく、相手の注意を惹く(誘う)べく、分節点で一時停止する。同じ体験を持つものは一時停止の先を予測し同期する。持たぬものは構え直して聴く。
posted at 19:53:31
生物学を学んだ人ならみんな知ってるHeLa細胞、そのもとになったヘレン・レインの物語が今年の全米ベストセラーの一つだという。 “The Immortal Life of Henrietta Lacks.” R. Skloot
posted at 20:29:26
ササキバラ・ゴウさんから「近代まんが史入門」をいただく。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパとアメリカのまんが史を通観する読み応えじゅうぶんの内容。次回コミティアでも販売するそうです。
卒論生の実験。毎年、実験のほとんどは5,6月にこなしてしまうのだが、今年はこの時期に。大学にはまだ暖房が入らないので、部屋はいささか寒い。袖の先を伸ばして掌をカバーしている被験者が多い。肩も寒さでぎゅっとなっている。寒いと単純にジェスチャーが減ることに気づいた。それでも見所は多く、モニタを見ながら、「あ、ここここ!」などとささやき声で叫ぶ。
会議とゼミ二本と講義。
三回生ゼミは、10月以降データの見方に終始していたので、実験室の使い方をレクチャーする。ビデオカメラやHDレコーダー、マイク、ミキサーなどの設定を一通り説明するとあっという間に90分。
卒論ゼミはそろそろトランスクリプトを毎回出してもらう方向にシフトする。
講義、卒論の中間発表。みなさんまだまだこれからというところ。例年、ラスト二ヶ月で見違えるように内容がよくなる人が多いので、これからに期待。
編集者の宮田仁さんと浅草でそばを食いながらあれこれ話。顔と心霊とテクノロジーについて。
八重洲ブックセンターでごっそり本を買う。肩が抜けそう。彦根に戻る。
田町で精神医療のシンポジウム。現場での齟齬に学ぶこと多し。誰もが自身の体験をことばで相手に伝えることができているわけではない。制度間で意見が食い違う場所こそが重要だ。その解決法として、「中間項」を選ぶこと。メンバーではなく、カンファレンスを、ルールを、分業のやり方を押すこと。
夜、桜台へ。東京ZINESTERギャザリング。地下に降りていくと中は盛況。それでいて、座り込んで作り手と話すことのできる親密な空気が保たれている。交換すべきものを持って来なかったことが悔やまれる。今度来ることがあったらチラシ一枚でもいいから持参したい。yakkという四人組のZINEを見てたら、絵はがきTシャツに目をとめられて「もしかしてかえるさんですか?」と訊ねられた。Tシャツから身元を当てられたのは初めて。
HOSEで例によって「Shall we dance?」状態となったのだが、手に手をとって踊った女の子があとで16歳と知り驚く。次世代が育ってるなあ。
麓健一の歌を初めて聴く。どれもいい歌だな。前でサビを女性が2人で声を合わせて歌っていたのだが、それもいい感じだった。
昨日は、西巣鴨で「わたしのすがた」を観た。生活のなかでいくども考えるための種、材木をいただいた。小さな付着根を足がかりにしては壁を伸びていく、蔦のような時間。今日も街を歩きながら、考え続けている。あなたもぜひ。
地球ではなく、土。十字架ではなく、材木。しるしではなく、もの。あなたがくれたもの。ものには重さがある。ものをかつぐ。穴が開く。毎日かつぐ。穴が深くなる。深い穴。
表象文化論学会。木下千花さん、石田美紀さん、中村英之さんと。お三方の話をうかがっていると、これまで気づかなかったアイディアがつぎつぎと。みなさんシネアストで、「そういえばあの映画のあの場面の…」と、すぐに思いつかれる。映画から映画へと自由に渡っていけるのだな。一方、ぼくはなかなかそうだそうだと合いの手を打つほどには思い出せない。
神泉に移動して懇親会。ここでも中村さんをはじめ、あちこちでお話して見聞が広がった。「裏窓」をもう一度見たくなった。
ゴールデン街で古澤健さんと飲む。かえる目のPVを撮ってもらうという計画なのである。楽しみ。
「わたしのすがた」を観に行く。西巣鴨に着くと、予定の時間よりちょっと早すぎた。近所を散歩する。あちこちの電柱に、昨日いなくなった犬を探す張り紙があった。途中でいい感じの廃屋があるなと思ったら、垣根の向こうから水が跳ね上がった。さらにぶらぶら行くと、もうもうと煙が出ている店がある。煙を通過すると米を炊くいい香りがして、中をのぞくと和菓子屋さんだった。おはぎを買う。おはぎを買うなんて何年ぶりだろう。店先にベンチがあるので座って食べる。
「わたしのすがた」、長く考え続けることになりそうだ。
ある場所で、水に濡れた100円玉を見つけたけれど、拾わずに帰った。ぼくみたいに拾わずに帰った人が、きっといるだろう。拾わない、という贈り物が蓄えられていく。ずっと100円玉だけれど。そして誰かがあっけなく、拾って使うだろう。
池袋に移動して、五反田団「迷子になるわ」を観る。スカートの中の劇場たのし。この世を裏返す方法。
photographer's galleryで橋本さん、前川さんと指紋論鼎談。「顔とは心霊である」ということを、ひたすら言いつのったような気がする。フーディーニと心霊の話、フーディーニ伝を下敷きにもう少しきちんと書いたほうがよいのかもしれぬ。もう少しフロアの質問をうまく拾えればよかったのだが。ご来場のみなさま、お疲れ様でした。そのあと打ち上げ会場でも心霊心霊言う。
ゲストで出演。今回は『その街のこども』を唄いました。残念ながらポッドキャスト版には歌は入ってませんが、そのかわりたっぷりしゃべってます。
http://www.kbs-kyoto.co.jp/audio/jamjam/jamjam_20101112_588pe6cg.mp3
久しぶりに介護施設のカンファレンスを観に行く。
アグリパークで山ほど野菜を買う。鍋。すばらしき野菜の実力。
明後日の発表用にジブリ作品とピーターパン。その飛行表現を比較して論じるつもりだったが、これはちょっと大ネタ過ぎる。別の機会にとっておこう。
コミュニケーション論のレポートを見ていると、大学の3,4回生あたりでようやく、人と人とのつきあい方についての考えの幅が広がり始めることが判る。ある理論がどんな身の回りの事例に当てはまめうるかを考える能力が開花する。ところで企業はそういう才能が開く前にせっせと就活をさせ、まだ一行も書けていない卒論について質問するのである。
夜半、録画しておいた『大脱走』を観る。最初のいくつかのシークエンスを確認したかったからなのだが、あっという間に三時間観てしまった。『大脱走』を見ると、なんだか気分が高揚してしまい寝付きにくくなるのが難点。
講義や会議やゼミ。すさまじい月。
午後から介護施設の職員さんどうしがどんな風に体を動かして話し合うか、という話をする。
ジェスチャーをするとき、思わずその場にいない誰かの所作を体全体で真似る、ということがある。この場ならぬ場所での身体の動き。かといって、この場から逃れてどこかへいってしまうわけではない。この世から離脱しながらここにとどまる所作が、「現実感」に相手を臨場させる。
このところ風呂でテルマエ•ロマエをちびちび読み直してる。食堂で美味しんぼを読むようなものか。
京都アバンギルド, ヒゲミボ、松前さんの楽しさはもちろんだが、謎の青年ineternet2の挙動不審さや、オオルタイチさんの脳から直に取り出したかのような音楽は驚きだった。
岸野さんたちの打ち上げに混じる。今回のヒゲミボのキーボードは冷水ひとみさん。SYZYGYSをはじめ、一方的にそのお仕事は存じ上げていたが、初めてお話する。うかつなことに、山村浩二さんの音楽はほとんど冷水さんだったことにあとから気づく。その話をすればよかった。
「身体化された知」研究会で、高木光太郎さんの話をききながら思いつき。
たとえば、わたしたちがずっこけるときは、あるはずのものがないときである。逆に言えば、ずっこける行為には、想起と(想起が前提としていた環境と)じっさいの環境との不在とが立ち現れている。「リードは、回想という現象を、環境のなかに『不在」を探索する行為としている」という話をきいて、ジェスチャーとは、いま目の前にない(不在の)環境を、自前の身体によって構築し直そうという行為ではないかと考える。「回想者は、環境を「地」としてそこに「図」としての不在を発見する/聞き手はその「図」を観察できない、不在の「地」となる環境のみを把握できる」のだとすれば、環境になんらかの不在を発見することと、想起をすることとは、ほとんど同じなのかもしれない。さらにいえば、身体が思わず動いているとき、それは、環境の不在の発見が、身体に表れた現象だとはいえまいか。
ぼくはいままで、「ジェスチャー」と「身体動作」とをどう区別すべきかあまりかんがえてこなかったが、これはかなり分けたほうがいいのかもしれない。ジェスチャーは、さまざまな行為に比べていわば「クールな」身体の構えを持っている。いまからまさに歩きだそうとしている身体の構えと、ジェスチャーをしようという構えとは、決定的にちがっている。後者の場合、いま、ここでとどまりながら(相手といることを選びながら)、手ぶらの空間で手を動かす。
KBS京都「大友良英のJAMJAMラジオ」24:30- に出演しました。しばらくポッドキャスト版で聞けます。
http://www.kbs-kyoto.co.jp/audio/jamjam/jamjam_20101105_b6oexp3d.mp3
今年度初のおでんを煮る。おでんはいい。具をハシでひとつひとつつまんでは、ああ、このチクワの無防備なしなだれかたよ、などとショージ君のごとく愛でては、チミはここね、と碗の曲線に添わせたり、ころあいの隙間に埋めてやるのである。
HTMLを内包する形でオプションに加わるルビのイメージ。「<a rubi="まわ">周</a>り」って打ったら、「周り」の上にルビがつくとか。そういうタグって難しいかしらん。前の行との行間を遡って調節するから面倒でしょうけど。
posted at 00:14:14
会話分析のトランスクリプトは、横書きの垂直思考の典型。上下の文字関係が鍵。ところが、フォントの種類やサイズが変わると、垂直関係がすぐガタガタになる。フォントの一個一個が仮想コラム持ってるといいんだけどなー。
posted at 00:21:18
いま一度紹介しておくと、この『恐竜ガーティー』は(たぶん)みんなの知ってる実写とアニメーションの合体版じゃなくて、ウィンザー・マッケイが最初にやった「実演版」の再現なんです。よい。http://bit.ly/bvUtOu
posted at 00:27:14
とりあえず、全部見た。
posted at 01:34:43
明日も留学生の子とあれこれ話すと思うよ。おやすみなさい。
posted at 02:56:45
昨日思いついたΣ環境、というのをもうちょっと考えてみる。ぐっと見通しのよい「電子書籍の(なかなか)明けない夜明け」を読み、「電子書籍交換フォーマット標準化プロジェクト」の策定文書を読んだ上で。http://bit.ly/caNbbe
posted at 22:14:17
Σ環境(0) ぼくは「電子書籍交換フォーマット標準化プロジェクト」とは全く関係がないのだけれど、その策定文書には、どうも「一文字の上下左右に別の文字を配置するためのフォーマット」への言及が見あたらないので、ここでちょっと考えてみる。
posted at 22:14:54
Σ環境(1) ルビだけでなく、文字列の方向に対して垂直分布する文字のレイアウト環境を「Σ環境」と名付ける。ΣやΧなどの数式で使われる上下の添え字や分数表現、日本語のルビなどがこれに含まれる。また、縦書きと横書きの選択可能性も、Σ環境に含まれる。
posted at 22:15:39
Σ環境(2) 「Σ環境」と名付け、考えることで、日本語表示の問題をローカルな問題から世界標準の問題として格上げする。それは、日本語に含まれているレイアウト環境の可能性を、世界に共有するためのしくみである。
posted at 22:16:09
Σ環境(3) 以下Σ環境を考えるにあたって、中間フォーマットとして、HTMLの拡張版を念頭においてみる。ここでいう拡張版とは、「一文字周囲のレイアウト」を可能にするタグ、および縦書きに必要なタグをHTMLに追加し、従来のHTMLを内包したものである。
posted at 22:17:09
Σ環境(4) Σ環境では、従来のルビのためのタグ(たとえば、T-Timeの<t-RB>やHTMLの<ruby>)をさらに拡張し、文字の上下左右に字を付するタグを持つ。このことで、ルビ以外のさまざまな文字中心レイアウトを可能にする。http://bit.ly/d4TZrh
posted at 22:18:37
Σ環境(5) Σ環境では、付字の入れ子構造(ルビのルビ、分数の上の分数など)をある程度許す。このことで、複雑な数式を表示したり、文書の特定部分に手軽にさまざまなスタイルの注釈を入れることが可能になる。
posted at 22:19:40
Σ環境(6) 付字のスタイルは、構造とは別の文書(スタイルシートなど)で定義する。一文字周囲の上下左右につける文字の大きさ、配置、必要な行間を指定する。中間フォーマットは現在のHTMLとスタイルシートのようにオープンにし、誰でも文書を作ることができるようにする。
posted at 22:21:49
Σ環境(7) 縦書きと横書きとは、たとえば、HTMLのヘッダで宣言をすることでどちらで(あるいは両方で)表示したいかを選べる。縦横はブラウザで切り替えることもできる。縦横の切り替えによって、Σ環境も横縦に切り替わる。
posted at 22:22:31
中嶋朋子の語る「世界ふれあい街歩き」を見てると、どうして「ああ!」とか「かなあ?」とか「そうなんだ!」とか真似したくなるなあ? explorative language!
ふた月ほど前に、奇妙な本がAbeBookから届いた。1920年代に発刊された古書のコピーなのだが、やけに薄い。どういうことかと思って中身を観ると、章題から何から連続した奇っ怪な文書で、図版もないし、誤字脱字だらけ。どうやら、性能の悪いOCRソフトでいい加減にスキャンデータを読み取ったもののようだ。
出版社はGeneral Books LLCというところで、ここは電子本を売るサイトも開いているが、中身はGoogle BooksやOpen Libraryで手に入る著作権フリーのPDFがほとんどで、有料で買うようなものではない。この会社は、amazon.comやabebookなどいくつものオンラインストアに入り込んでいる。しかも既存の本のペーパーバックとして登録されているので、他の版(ハードカバーや別のペーパーバック)とレビューを共有していて紛らわしいことこの上ない。海外のオンラインストアで本を購入する方、とくに著作権切れの古書を買う方はご注意を。以下の星一つレヴュー参照。 http://amzn.to/cMc6S5
統計学の講義で、シグマって、形がいいよね!という話をする。だって上も下も、頼もしい平たさ。思わず何か据えたくなる。そしてぽっかりあいた右側の包容力ったら。どんな難しいことでも受け入れてくれそう。ノルウェーの家具みたい。ねー、Σっていいでしょ?
それで、Σ論というのを思いつく。現在のいわゆる「構造化されたテキスト」のタグは、文字の上下に何かをまといつかせることをほとんど許さない。このことによって不便が生じるのは縦書きの日本語やルビだけではない。例えば数学者はΣ式をHTMLで表せるか?数学者は、文字をレイアウトし、レイアウトの中で思考しようとする。LaTexやMathematicaはかろうじて、そのレイアウトを表すことができるが、HTMLではほとんど無理だ。同じ悩みが、日本語にある。世界標準の構造化テキストは、文字の上下に何かをまとわりつかせることを前提としていない。「世界標準」からすると、文字の上下に文字がまとわりつく言語はことごとく、希少種なのだ。
むしろ、Σを復権せよ、というべきではないか。Σの下に始まりの合図を書き、Σの上に終わりの合図を書き、Σの右に手続きを書く。文字の周囲にそのような立体配置をする思考を、シンプルなタグとして表現する方法。Texを、思考方法として捉え直すこと。そして、文字の周りで考えることを、世界標準にすること。効率重視の一次元思考を世界標準としてありがたがり、文字の周りの思考を絶滅種と考えるのではなく。現状のEPUBに見られる横書き一次元思考を見て、「日本が電子書籍においていかれる」と考えるのは、おかしい。むしろ、文字の周りに文字をレイアウトするタグを考え、一次元思考では足りないことばがあることを、日本語ユーザーが率先して示すのはどうか。
昼過ぎまで寝過ごした夢を見てはっと起きる。頭はぼうっとしてるし時計はぼうっとしてるし、せかせかと着替えてカレンダを見たら用事らしい用事はなく、時計を見たら9時だった。今日はいい日だなー。
休日にひと作業。クラフトン『ミッキー以前』前書きを訳す。
http://12kai.com/before_mickey_preface.html
もういっちょう。
「『恐竜ガーティー』を見たエミル・コール」
http://12kai.com/gertie_cohl.html
なんとマッケイが実演した『恐竜ガーティー』を再現しているビデオがYouTubeにアップされていた。これ、いいなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=u-XGIA-lbf4
先日、ぼくも授業で『恐竜ガーティー』を流しながら口上を再現してみたんだけど、画面の横でリンゴを投げる真似をしてそれが画面に現れただけで、「わあ」と声があがった。マッケイの描写力は凄いな。
ばたばたする火曜日。
毎週の如く多忙な月曜日。