The Beach : October b 2002


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20021031

 データ整理と考え事。




20021030

 ゼミ、データ整理。

 ポーランドをあちこち回り、キェシロフスキを見たあとで、ふと以前見た「ショアー」のことを思い出している。

 あの映画でランズマンがポーランド人から引き出したある種の酷薄さには、違うまなざしが必要ではないか。

 ランズマンは、じつは元ナチス党員に対するまなざし以上に、ポーランド人に対して皮肉な撮影の仕方をしている。ユダヤ人に関する証言をする過程で、ポーランド人があまりにユダヤ人の運命に対して鈍感であることを撮影しようとする。
 たとえば、ゴダールの映画史にも引かれているシーンだが、ある農夫がトレブリンカに送られるユダヤ人に対して、首をかかれる身振りをするところがある。あれは明らかに、農夫の鈍感さ、ユダヤの運命がその鈍感さによって宣告されることを表している。

 ポーランド人に対する、あの、あまりに皮肉なまなざしが、「ショアー」を見て以来ひっかかっている。ランズマンはあまりに世界をユダヤ、反ユダヤに二分していないか。

 農夫が運命に対して見せるシニカルな態度を考えるには、単にユダヤ人に対する冷たさだけでなく、ポーランドの地で戦前のドイツ占領下、そして戦後の親ソ政権下で培われてきたメンタリティに触れる必要があるかもしれない。

 カソリック教会の前の場面で、歌唄いの生き残りに対して、信者たちがユダヤの運命に対する同情ではなく、カソリックへのこだわりを言い募るシーンがある。この、いっけんポーランド人の鈍感さを表すかに見えるシーンも、その撮影がミサの後であること、そしてポーランド人たちの信仰の強さを考えに入れなければならない。
 カソリックの儀式の後に何かを問われれば、当然カソリック的な言説が飛び出てしまう。それをランズマンは、ユダヤに対する酷薄さ、鈍感さとして撮影している。ねじれが生まれざるをえない場所で撮影し、それを反ユダヤを告発する文脈に編集しなおしている。この点で、どうもこれらのシーンはイヤな感じがする。

 最初見たときは、「ショアー」の記憶の欠落を絞り込むその手法に対して驚いていたのだが、どうもその後、その手法が取っている負の部分、つまり、いたるところに反ユダヤ的まなざしを作り出してしまう部分が気になってきている。この映画の執拗な記憶へのこだわりは、執拗であるがゆえに人の心を動かすのだが、執拗であるがゆえに正しいわけではない。


 「デカローグ」その7「汝盗むなかれ」。わたしを誘拐したの? と笑う娘。降りる者と乗る者、リュミエール以来の列車という交換装置。




20021029

 どうにもこうにも寒い。エアテック着て外出。

 コミュニケーションは信号のオンオフのコントロールだと考えられている。が、そのコントロールは即、相手の行動に対するコントロールとなるとは限らない。自分の認知や思考を行うべくとりあえず動く。動くことでなんらかの動作特性がオンオフされる。そのオンオフによって認知や思考が促進される。それをたまさか他個体が観測している。観測した上で認知や思考に割り込んでくる。
 こうした事態を考える場合、まず、「信号のオンオフ」といってしまえるような信号の輪郭を破棄しなければならない。いっぽうで、輪郭のないはずの信号に、動作特性というはっきりした輪郭が伴うことに注意しなければならない。
 これが、器自身が情報になるということ、メディア自体が情報になるということの問題である。

 ハッシュで、グレンモーレンジ(ポルトフィニッシュ)、アベラワー。アベラワーは、舌の中央からはさっと引いていく。甘く儚い。ブレンドを待っている味。舌の両側に少ししびれるような甘さが残り、これがじわじわとシナモン風の煙くささに交代していく。宴の終わった後の音楽。

 家に帰って、ちょっとだけタリスカーで舌の中央分離帯を前後に刺激する。舌を中心にこちらの体軸をばーんと前後に出現させる。口中世界を身体世界に広げる。




20021028

 講義。モスクワ劇場人質事件の話をイントロに、チェチェンを例に、ロシアのロシア化政策の歴史を追いつつ、ウクライナ、ポーランドのパノラマの話に軟着陸。
 ポーランドについてなんでも知ってることを書きなさい、という質問を出したら「キュリー夫人」というのがいちばん多かった。教科書にでも載ってるのかしらん。「フランシスコ・ザビエル」と書いた学生もいたが。あとで質問紙を出しに来た学生に「チェチェンの話ってピンと来た?」と聞くと「いやあ、最近拉致の話しか見てないもんで」。そうか、君たちの頭の中は拉致でいっぱいなのか。

 さる筋から「スコッチにはまってると言ってはったので」と、タリスカー10年をもらう。好きなものを言いふらしておくといいことあるなあ。

 夕食にサンマ。タリスカーをなめつつキェシロフスキ「デカローグ」その6「汝姦淫するなかれ」。
 女が郵便局員に為替通知が間違っていることを言い募ることで、逆に、因縁をつけているかのように局員に言い返されるところ。ここは昨日も書いた「旧東欧的メンタリティ」が発揮されている場面なのだが、そこからストーリーの風穴をあけていくのがすごい。この時期のポーランドは明らかに疲弊しているのだが、疲弊せざるをえない街にいるお互いを確認するところから、別のことが始まろうとする。
 女の部屋の窓にあるレンズ。




20021027

 長浜で立命館の研究報告会。「ことの左右は二人できまる」と題して、左右概念を伝える対話において、ジェスチャーの失敗は必ずしもコミュニケーションを停止させないこと、ジェスチャーは相手に対して開かれており、失敗は相互的に修復されることについて話す。

 が、工学部の先生から「それは教育の場において、能力の低い人と高い人を選り分けるのに使えませんか」という質問が出て困る。いや、失敗が悪いという話ではなく、失敗が相手に開かれていれば、それはうまく修復されるという話なのだが、その失敗というのがどうもまずいらしい。

 あるいは「失敗」ということばがまずいのだろうか。このあたり、ちょっと術語を考えてみる必要があるのかもしれない。

 あえて今日は「失敗」で考え続けてみる。
 ゴール達成の効率をめざすなら、失敗をなるべく回避して最短の手続きを目指すべきだと思う。しかし、ひたすら失敗を排除する技術は、短期的には収益をあげても、長期的には、洗練という名の袋小路に陥るだろう。コミュニケーションを開くとき(仲間性を投網するとき)、その場は失敗を受け入れ、失敗に見えたものをリソースとして利用していく場となる。
 あからさまな機能を持った行為は、失敗する自由すら失っている。失敗こそが転用の可能性を持っている。

 夜、ハッシュで夕食。チョコとスコッチ。

 キェシロフスキ「デカローグ」その5「汝殺すなかれ」。キェシロフスキ光学爆発。捨てフレームなし。「流刑地の話」のような官僚機械運動の進行するラストは、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を軽くしのいでいる。
 人にサービスをすることが自分のプライドを損ねる、人に辛く当たることでプライドがかろうじて保たれるという旧東欧的メンタリティ。カフェのウィンドウをのぞく女学生たちに、内側から菓子を投げつける男。そのとき、女学生たちは、眉をひそめるのではなくて笑うのだ。見知らぬ男が辛く当たろうとする、その宛先はウィンドウのガラスで、それは彼女たちに重なっている。目前でつぶれた菓子を見て、彼女たちは、男を笑う。自分たちに重なりながらかろうじてガラス面にとどまった情けない悪意を笑う。




20021026

 県大で上野千鶴子氏の講演。「家族はどこまで変わったか」というタイトルで一般向けの内容だった。しかし、話うまいなあ。術語の入れ方から間の取り方まで、講演のお手本ともいうべき語り口。内容は、主にデモグラフィックなデータをもとに実証的に進めていくもので、日本の出生率が2人を割っている世代を「失敗できない子育て世代」として位置づけ、こうした子育てのプレッシャーから親を解放するために、介護保険ならぬ養育保険制度を作ってはどうか、といったごくごく実践的な話。講演後、個としての解放、といった理念について質問が出た。それに対する上野氏の答えは、個人を大切にする家族、という「近代化家族」は幻想であって、西欧の「近代家族」もまた個への暴力に満ちたものであった、だから、「近代家族」を理想化するよりも、とりあえず少しなりとも生き延びやすい社会システムを提案しましょう、というもの。彼女を、個人主義的フェミニストとして紋切る者にとってはとても意外な答え。

 明日の発表の準備。進化発生学の話を前フリに持ってこようかと思い、あれこれ文章に打ち始めたが、とても1時間で説明できそうにないので、ごくシンプルな路線に改める。

 前にも似たようなことを書いたが、進化発生学における「エピジェネシス」の問題とジェスチャー研究における「聞き手」の問題には同じような問題群が横たわっている。
 発生学では、「遺伝子があって、それが発現するだけだ」では済まない。遺伝子の発現は、まわりにどのような細胞があるかによってエピジェネティックに左右される。ホールのことばを借りれば「進化とは環境による遺伝子の制御である」。
 これにならって、対話する者の片方を「情報提供者」と見なし、もう片方を「情報受信者」と考える情報科学を転倒させてみること。つまり、「コミュニケーションとは聞き手による情報の制御である」。
 「情報」とはいっても、その内容がはっきりしているわけではない。情報はことばの形、ジェスチャーの形をした器に盛られる。

 器は、情報であると同時に、情報の容器である。

 「情報」の形成と「情報の場」の形成がそこでは折り畳まれている。人は情報を形成すべくジェスチャーを行うのだが(思考のために身体を動かすのだが)、そのジェスチャーは、情報を盛るための器でもある(コミュニケーションのための身体動作でもある)。




20021025

 相方がヨーロッパツアーに出かけるので駅までお見送り。10日で10カ所回るんだそうな。車中宿泊も「もちろん」ありだとか。すさまじいな。

 昨日、ブラジル料理屋で買ったオリーブオイルの実力を見るべく、アリオリソース(卵黄なし)を作って、チンしたニンジンにかけて食う。おお、いける。ついでにスパゲティも茹でてアリオリはべり。

 ようやくGestureの2号が届く。これを待ってたのよ。CD-ROM付きで、全テキストのPDFファイルがついているだけでなく、動画が入っている。マクニールらの「Catchments,prosody and discourse」は、すでに古山さんから写しをいただいていて、「キャッチメント」というコンセプトはおもしろいと思ったものの、映像解析の部分があまりに長く詳細に渡っていて、じっさいのジェスチャーをみないとちょっと読み通せないなと思っていたところだ。

 ムービーを再生してみると、複雑そうに見えたグラフ(両手の動きが水平方向と奥行き方向で記してある)もするりとわかった。まさにmotor-spatio-thinking。で、せっかくなので、自作のQuickTime解析スタックに登録して、見たいところをあちこち呼び出してスロー再生しながら読む。

 ジェスチャー解析の論文は電子テクストと動画と組み合わせで読むと、まるで違ったものに感じられる。

 ジェスチャーをあくまでテクストで表す、という作業にもそれなりの効用はあって、ジェスチャーという言語化が困難な現象をことばにすることで、motor-spatio-thinkingの特異さが逆に浮かび上がったりする。
 しかし、こうした効用を感じるためには、もとのジェスチャーを見ることが必要だと思う。じっさいのジェスチャーと言語で表現されたジェスチャーの間を往復することで、さまざまなアイディアが出る。ただ言語によるジェスチャー表現からジェスチャー過程を一方通行的に想像するだけでは、あまりに時間がかかりすぎるし、アイディアが出るより前にへこたれてしまう。


 夜、寒くてジャケットを出す。ハッシュへ。真本くんは「ちょっと忙しすぎるのでメニューを変えました」と言っていたのだが、結果的にはさらに手間のかかる、しかも安いメニューが増えていた。洋風ポトフはベーコンのかたまりがどんと入って、これだけで夕食になるボリュームで600円。激安。あいかわらず酒も充実。

 ハイランド・パーク12年で舌の前部分をぴりぴりさせながら、「ぴりぴり」という単語について考える。どうも「ぴ」の音には、先端過敏症な感じがある。ぴくぴく、ぴちぴち、ぴとぴと、など、体の中でとがったものがうごめいていたり、それにつれて小さな水滴が飛んでいるイメージだ。
 同じ「P」でも、「ぱ」はもっと開放的で、なんらかの入口が開閉されて空気が飛び出してくる感じだ。ぱくぱく、ぱたぱた、ぱんぱん。「ぺ」では、先端ではなく、面が動いていて、しかも面と面との粘着度が高い。ぺたぺた、ぺろぺろ、ぺとぺと。舌の先ではなく、舌全体が舌触りを探るような音だ。「ぽ」はなにかヴォリュームのあるものが落下したり外に出たりするイメージを持つ。ぽとぽと、ぽくぽく、ぽんぽん、ぽたぽた。そして「ぷ」は空気のもれ、もしくはもれをもたらす膜内の充填を表す。ぷちぷち、ぷくぷく、ぷりぷり。

 擬音語や擬態語には、口の中であちこちにぶつかる舌の感覚、そして空気を放とうとする唇の振動感覚が重なっている。声を発するとき、ヒトは対象の動き、対象に起こるであろう振動を口の中でシミュレートしている。「P」の音を放つときは、破裂音によって、膜と膜の接触非接触のありさまがシミュレートされている。

 などと妄想する間にも、ハイランド・パークは、舌の前方にピリピリの領域を作り、舌の奥にザラザラの領域を作る。先の尖った草の生い茂る平地と、岩だらけの後背地を形成する。後背地ではピートが焚かれ、煙が立っている。口内スモーク状態。

 次はタリスカー10年。まず鼻につんとヨードの匂いがするが、口に含むと意外な甘さがあって、ぴりぴりという感じではなく、舌の前方の平地はゆるやかになでられていくのであった。かなり好みかもしれない。チョコを頼んでちびちびすする。ボトルには「this is a robust malt to enjoy not to sip cautiously」と書いてある。つまり、四の五のいわずに「飲めばわかる!」と豪胆に飲むことが奨励されているわけだが、P的思考のあとでは、口内世界についてああにもこうにもcautiousにならざるをえない。だいいちスコットマンみたいな飲み方をしていたら胃がいくつあっても足りぬ。
 いくつもの味が交代しながら続く長い後味。北の地の、長い残照のような色の交代。ボトルには「Hebridean afterglow」とある。

 ほどよく暖まって帰宅。透かし絵をろうそくで眺める。これまた北の長い残照。




20021024

 中京大学情報科学部で講義。「ネットワークはことばの集水地である」と題して、カットアップやAlterEgoの話。電車の中で、ハイパーカードを使って資料を作る。やっぱり速いわ、ハイパーカードだと。パワーポイントより全然ラク。

 ことばは常に他人に向かって開かれている。この世で一度しか思いつかれないことばなどというものは存在しない。ヒトをはじめさまざまな生物は、動作を繰り返すことで、異なる時間の間に、対応する動作特性を生み出す。この繰り返しによって、こことよそ、いまと過去や未来がつなぎとめられる。動作はことば(つまり発声器官の動き)であってもよいし、ジェスチャー(手などの)であってもよい。ちなみにマクニールらは、談話の中で繰り返し表れるジェスチャーの動作特性(位置、手の形、軌跡など)を「キャッチメント(集水地)」と呼んでいる。

 繰り返されることば、繰り返されるジェスチャーを何度もコミュニケーションに投げ込むことが、物語を駆動している。繰り返しによって、異なる時間が結びつき、こことよそで何が繰り返され何が異なっているかが明らかになる。これが物語である。物語は一人の頭の中で閉じているのではなく、お互いにことばを繰り返し使うことで生み出される。云々。

 「Dr. Burroughs」と「AlterEgo」の仕組みについて簡単に図解。5限目ということもあってか、学生さんはかなりお疲れの模様だったが、こちらはサクサクとこなす。

 ホストのカールさんにYukoさんをはじめ、学部の方々と豊田市内のブラジル料理屋に行く。ブラジル食材にビデオやCDまで売っていて、その横にテーブルが数脚というスタイル。幸村先生はどこへ行くにも重たそうなデジタルカメラを下げていて、撮った写真は1Gのカードメモリに入れてVAIOで管理している。「言語はあらゆる生物にあるとお考えですか」と本質的な質問をされ、繰り返しを認知することじたいはほとんどの生物が行っているが、他個体の繰り返しを認知すること、相手の動作特性を繰り返してコミュニケーションに再利用する能力は、霊長類で格段に高くなると思う、と答える。

 相方の運転で名神を通って帰宅。




20021023

 ゼミゼミ。明日の中京での講義の準備。夜、屋台でラガブーリン、ボウモア。だいたいスコッチは二杯が限度。




20021022

 夕方、大阪へ。ワークルームで藤本さん、塚村さんと打ち合わせ。11月10日は枚方で藤本さんと対談、12月はワークルームで透かし絵展。そのおおよその内容について。あとは浮絵談義。

 ちょうど中ザワ氏のレクチャーがあったので聞いて帰る。二項対立を使った説明の仕方について、「磁石のN極とS極みたいに、一つの項を切るとまたそこに二項が現れるんですよ」というのがおもしろかった。

 中ザワ氏の展示には「出力」感がある。今回でいうと、きれいな紙に印刷するのではなく、わざとぺらぺらのプリント用紙を壁にピンでとめてある。このプリントアウトを可能にする「方法」のほうが主であることが強調されている。




20021021

 「デカローグ」その4「汝の父母を敬うべし」ブラインドで始まる。そういえば、第二話で、医師の姿がブラインドの隙間でなくブラインドの上に乗るというすこぶる光学的なシーンがあったのを思い出した。あいかわらずガラスの反映、父親がガラスを割る思いがけなさ。
 光学といえば、カメラ近視表現。ぼやけたものはより見たくなる。輪郭がはっきりしていればそこから動く必要はない。輪郭のあいまいなもの、欲望のあいまいな対象は、見る者に動くことを要求する。よりよく見ようとしてつい動いてしまう。
 禁忌でいやがうえにも高まるエロ。焚き火男は、毎度ながら実に破戒の兆しをとらえて表れる。しかし、この親子がエレベーターで上下するシーンはエレベーター史に残るな。

 「こころの自然誌」はスイス絵葉書(いわゆるスイス・カード)を見せながら、19世紀初頭の山岳ブーム、そしてトマス・クックのユングフラウ地方を中心にすえたスイス旅行を端緒とするスイス観光ブームの話をした後、パノラマの話、そしてポーランド史とパノラマの話

 ・・・のはずだったのだが、学生がなんとなくキョトンとしているので、とりあえず基礎知識を見るべく、全員にヨーロッパの地図を描いてもらう。その結果、ほとんどの学生がスイスの位置を描けないことがわかる。
 ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツの順に隣接することを理解している学生は多い。が、たとえばフランスとドイツとイタリアがスイスと接していることを知っている学生はほんのわずかだ。
 三つ以上の国の隣接関係というのは記憶されやすいのかもしれない。

 というわけで、内容は急遽変更。まずはスイスがどのような地理的環境にあるかを概説したあと、ドイツからスイス、イタリアへ抜けるルートについて解説した後、ゲーテの「イタリア紀行」を紹介しつつ、18世紀から19世紀にかけて、ドイツから南下するということがどのような精神的意味を持っていたかを解説する。
 ごくおコンパクトにやるつもりだったが、結局まるまるスイスでひとコマかかってしまう。


 午後、京都で「コミュニケーションの自然誌」研究会。「もれる」という現象をジェスチャーの左右概念を手がかりに話す。準備不足と寝不足で舌足らずに終わった。

 それはそれとして、話しながらいくつか思いついたこと。表面的に「うまく行っている」コミュニケーションを微細に調べてみると、じつはその初期段階でいくつもの方略が生まれかけては消えていることがわかる。この、コミュニケーションの初期段階に注目すること。
 初期段階では、相手に何をどのように伝えるかは、発信者が一方的に決めているのではない。発信者は受信者の応答によってその方略をコンマ秒単位で次々と変更していく。受信者がある方略に協力体制をとると、扇状地から川が集まるように、一気にその方略へと流れが集まる。

 あとの飲み会で北村さんにあれこれ突っ込まれるのに答えて、「それを発表のとき言ってくれればわかったのに」と何度も言われる。次回から言うようにしよう。




20021020

 菅原氏は「陳述における仲間性の投網」という考え方を出している。
 投網、というのはコミュニケーション論では聞き慣れないことばだ。このあたりがサカナのいる場所だろうとアタリをつけて網を投げ広げる漁師の手つきと、ことばを投げ広げ相手との関係性を仲間性によってからめとろうとする話者の態度とが、重ねられているのかもしれない。

 この「仲間性の投網」を考えるにあたって、以下の印象的な部分を引用しておこう。



 ある夕刻、タブーカの妻が赤ちゃんを背負ってわたしたちのもとを訪れた。赤ちゃんはハアハア息がせわしなく熱があるようだった。風邪薬のカプセルを開けて少量の粉末を砂糖水にといて飲ませた。翌日の夜一〇時半ごろ、わたしはテントの中で太陽電池ランタンをともし、ちびちびとブランデーを舐めていた。そろそろ寝ようかなと思っていると、人の足音が近づいてきてわたしのテントのそばに立ち止まる気配があった。(中略)

Tはタブーカ、Sはスガワラである。

1T:[テントの外で重いため息]
2S:タブーカか?
3T:アイー
4S:なんだ?
5T:男の子がたくさん咳をしておれを疲れさせる
6S:おまえは薬がほしいのか?
7T:エヘー、おれはおまえに薬を乞う

(中略)
 なぜタブーカは田中でなくわたしのテントのそばに佇んだのか。彼が、わたしに強い仲間性を投網しているからである。なぜ、彼は「スガワラ、エ」と呼びかけることによってではなく「ため息」をつくことによって、わたしの注意を喚起したのか。さらに、5行目のようなまわりくどい「間接的な発語内行為」に頼ったのか。われわれのあいだの仲間性が、彼がわたしに躊躇なく<依頼>を行ないうるような性質のものではないからだ。それにもかかわらず、なぜ、彼は「テントの中で夜ゆっくりしている」というわたしの「負の面子」を脅かすことに踏みきったのか。いうまでもなく、ひどい咳をしている赤んぼうのほうが、彼にとって、わたしよりもずっと比類のない仲間であり、彼はその赤んぼうへの協調姿勢にもっとも強く動機づけられているからである。こうしたことすべてが、発話の「字づらの意味」にも「意図されたゴール」にも還元しえない、相互行為の「意義」を生成するのである。
(菅原和孝『感情の猿=人』弘文堂)



 人類学者の底力を思い知らされるのはこのような美しい記述を読むときだ。文化の違い、ことばづかいの微妙な違いを越えて、一気に相手の言いたいことがわかってしまう。その一気にわかることに驚くセンス。そして、一気にわかってしまう過程に分け入っていき、自分が相手をわかってしまう根底にあるものをわしづかみにする力。


 ここには、会話の参加者である二人(タブーカ、スガワラ)と、ここにはおらず会話の中にだけ現れる「タブーカの子ども」と、計三人がかかわっている。仲間性という概念は、単にこの三人が親しいということを言い当てるのではない。

 会話分析には「選好構造」という考え方がある。ある種の発話に対してわたしたちは、望ましい返答を行ない、隣接ペアを形成しようとする傾向がある。たとえば相手への礼を尽くしたり、自分を卑下する。このような構造を選好構造と呼ぶ。

 しかし、子細に会話を調べてみると、わたしたちは必ずしも、単純に相手に礼をつくし、自分を実力以下に卑下するとは限らない。
 たとえば、上の会話のように、二人の話者と話題の対象となる者、計三者が会話に関わるとき、仲間性の強さの勾配によって、相手への礼を侵犯することが許され、自分の要求を通すことが許される。たとえば、AとCの仲間性の強さによってAとBの仲間性が踏み越えられる。そのとき、咳き込み、ため息、言い間違い、言いよどみなど、踏み越えること自体を示すしるしが会話に現れる。
 AとCの仲間性がAとBの仲間性を踏み越える。三角関係がもたらすこのような二つの仲間性の問題が、この例では言い当てられようとしている。
 そして、親にとっての子供はしばしば、あらゆる仲間性を踏み越えることを許すワイルド・カードとなる。それは単に他の仲間性を踏み越えるだけでなく、あらゆる仲間性の改変へとつながる。

 本書では、グイ・ブッシュマンの婚外性交渉(ザーク)と、その結果生まれた子供の「所有」の問題が取り上げられている。男はしばしばザークによって自分のもとを離れた女に対しては怒りを表す。が、興味深いのは、その結果相手の男との間にできた子供に対しては「おれの妻から生まれた。だから、おれのものだ」などと決然と言い放つことだ。
 グイでは、子供に生まれたときの経緯を表すような名前をしばしばつける。たとえば、自分の妻が婚外性交渉によって他の男と子供を産むと、その子供に「パキーカ(だます)」という名前をつける。にもかかわらず男はその「だます」という名前の子を可愛がる。

 子供のために薬を乞う逸話、ザークの結果生まれた子供と親の関係、親が子供について物語るときに放つ「仲間性の投網」。これらの記述に、ぼくは著者の「人の親となること」への並々ならぬ覚悟と「感情」を感じる。
 こうした著者自身の「感情」を支えているものは何か。それを思考するために、本書はブッシュを抜け、崖に出会い、橋を渡り、また新たなブッシュに分け入り、「道ひらき」をしていく。このような態度を、ぼくはとても誠実なものだと思う。

 進化はコミュニケーションの最低限の拘束であって、コミュニケーションの過程はけして「最適」の産物ではない。
 コミュニケーションを適応のみによって語る者は、コミュニケーション過程で生じる齟齬を「失敗」や「はずれ値」としてしか見なすことができない。
 しかし、むしろ注目すべきなのは、齟齬がかならずしもコミュニケーションの破綻をもたらすのではなく、コミュニケーション内のできごととして容認される現象だ。

 コミュニケーションに適応論で切り込んでいくとき、論者はコミュニケーションの結果を扱う。結果のみを考えるなら、コミュニケーションとは排除と選別という結果を生み出す装置である。そこでは配偶者選択がなされ、相手が評価され、自分の払うべきコストが決定される。
 臨床心理学では「ディスコミュニケーション」や「コミュニケーション・ブレイク・ダウン」にもっぱら目を向けがちになる。そこでは、クライアントがコミュニケーションに向かえないこと自体が問題となるからだ。

 しかし日常のコミュニケーションを微細に見るなら、じつはコミュニケーションの齟齬やマイクロスリップはあちこちで起こっており、にもかかわらずコミュニケーションは滅多にハングしないことに気づく。コミュニケーションは意外なほどに頑健なのだ。この頑健性を支えているのは何か。

 じつのところ、わたしたちは、コミュニケーションによって何がもたらされるかすら、あらかじめわかっているわけではない。にもかかわらず、コミュニケーションは続く。子供のわたしによってバッテラは移動し、ジョバンニは母親に牛乳を届ける。



 キシェロフスキ「デカローグ」その3「安息日を忘れず神聖にすべし」。いきなり一話の大学教授がサンタとすれ違う。サンタに声をかけられようやくその存在に気づいたように「ああ、どなたかわかりませんでした」。クリスマスなのにサンタも目に入らないのだ。
 かくしてこの話は第一話の視線を得る。その視線はガラス越しになる。ガラスに映ったクリスマスの灯が見るものと見られるものを隔てる。ガラスの反映が、見るものと見られるものを隔てるヴェロニカの光学。
 この光学は第二話のドロタの車からの目線にもつながる。ワルシャワはつくづく車文化だな。寒いもんな。
 聖夜といえば、ワルシャワの教会での信仰の真摯さを思い出す。教会シーンで女が男の目線から隠れるところにはただならぬ緊張感を感じた。
 終盤近くの、ワルシャワ中央駅構内のがらんとした光景、あの地下道すらも。スケボーで暇つぶしをしている職員が笑える。焚き火男探しというイベントもあることがわかり、連作ものの楽しみが出てきた。二話の病院、三話の列車。




20021019

 相方の調子がいまひとつというので、近くの寿司屋で巻きずしと鉄火巻を買ってきた帰りに、これと似たようなことが昔あったなと思い出す。

 小学校の低学年の頃だったと思うが、母が風邪で寝込んだとき、必ずわたしたち兄妹に頼むのはバッテラを買ってくることだった。
 バッテラがこの世でいちばん好き、とまで母は当時言っていたのだが、後年ことさらにバッテラを好んで食べている風でもなく、いま考えると、好き嫌い以前に、ファーストフード店というものが存在しなかった当時、買い物に慣れぬ小学生が手軽に安く買い求めることができそうな食べ物といえば、小さな寿司屋のウィンドウに作り置かれている巻きずしやバッテラくらいしかなかったのではないかと思う。

 病に伏せって食が細っているときに、おつかいもおぼつかない子供に金をたくして食べ物を買いに行かせる母親の心細さはいかばかりだったかと思う。そして、おぼつかない買い物能力しか持たぬ子供に、ともかくも金を託す、そのような母の「信頼」によって、わたしは漠然とした不安や使命を感じながら寿司屋にたどりつき、バッテラを手に入れて家に戻った。
 母のわたしに対する、掛け値なしの「信頼」がなければ、けしてあのようにバッテラは移動しなかっただろう。

 こんなことを思いつくのも、今日ずっと菅原さんの「感覚の猿人」(弘文堂)を読みながら考えていたからだろう。この本は、黒田さんの「人類進化再考」と並んで、ここ数年読んだ人類学の本の中でも、最も良質かつ誠実な本だと思う。
 もちろんタイトルからわかる通り、そこでの鍵概念は、人類学から見た「感情」ではあるのだが、なによりも、人の親になるということについてこれほど一貫した思考が為されている本はない。あちこちに考えのヒントが隠されているこの本については、おいおい考えを重ねていくことにしよう。


 キェシロフスキ「デカローグ(十戒)」(DVD)。
 その1「我以外の如何なるものも神とすべからず」。計測に真実があると考える大学教授は、機械の中にやがて宿るであろう心について語る。腕立て伏せ、速度算、氷の厚さの予測、そのかわいい一人息子との語らいも計測の中にある・・・というわけで、インクをこぼしたところで広がる「とりかえしのつかなさ」。階段を前に「1,2,3」と数えてエレベーターに乗り換えるところ、計測を続けながら、じつはもうとりかえしがついていない予感。予兆というより、もう起こってしまったことを表す兆し。

 その2「汝の神の名をみだりに唱うべからず」。おお、この女性はおなつかしやクリスティーナ・ヤンダ(『大理石の男』で大股で歩いていた)ではないか。 あの、旧体制にまつわる謎を暴こうとした『大理石の男』『鉄の男』、つまりは連帯の季節のヒロインが、1989年を間近にしてこのような役回りに立っているとは。

 いかに安静が必要とはいえ、身内の看病もかなわず指定された時間のみ面会可能という官僚的な病院体制(あの水漏れする天井と壁の陰鬱さったらない)。そして女に灰皿をけして渡さない医者。それもこれも女の姦淫ゆえなのか。そして女が姦淫し身ごもっていながら神について問うゆえなのですか神よ。灰皿がないのでマッチ箱で火を消す女、そのマッチ箱が燃え出す美しさよ。入院している夫はあたかも十字架からおろされたキリストのようにベッドの上で横たわっている。病院の壁にしみ出す水をなめるのと同じ手つきでなめられていく高層住宅の壁、窓、窓、そこから連れて行かれるキリストのもと、ジャムと蜂。
 じつはこの物語で際だっているのは医者自身の物語る、家族の歯の交換の逸話(それはじつは戦時中の爆撃の逸話らしいことが明らかになる)。「帰ったら家が穴になっていた」医者自身の穴は埋めがたく、それから幾星霜、いまだに女に灰皿を差し出すことすらできないかたくなさとなって残っている。それはどこか官僚的な雰囲気の漂う病院の雰囲気にも通じている。

 この押し詰まるような感じ、去勢された冬のサボテンのような感じ、火を消そうとして火をつけてしまう感じはやはり1989以前だなと思う。たばこの灰の熱さが気にならない女の手、病み上がりの男がこすりあわせる手、テーブルに触れる手。これら、温度の感覚を失った手、温度を取り戻そうとする手は、『ベルリン・天使の詩』でピーター・フォークのこすり合わせる手を思い出させる。あのベルリンも1989以前だ。

 『ベルリン』に比べて『デカローグ』の結末はより苦い。それはそのまま、東西統一という形の未来形を持っているベルリンと、旧ソからの脱却がそのまま西側への参入を意味するとは限らないポーランドとの差でもあるだろう。

 「ふたりのヴェロニカ」の冒頭で、すべての息を吐ききって死んでしまうかと思うくらいに声を伸ばし続けるヴェロニカ、すべての呼吸を声に託した後のみずみずしいあの雨、あれは89年以後のものだ。




20021018

 だいたい資料が整理できたので、ジミー・コリガンとシカゴ万博とウィンザー・マッケイの話を書いてみたら、「続く」になってしまった。うーん。連載という依頼ではなかったのに。タイトルは「存在の耐えられない連鎖」。

 拉致問題のニュースは見るともなく目に入ってしまう。
 ひとつ明らかになりつつあることは、今回の帰国者にとって、24年という年月はけして「失われたもの」でも「空白」でもなく、それだけの年月の生活が過ごされてきた、という、考えてみれば当たり前の事実で、それを単純に拉致生活として圧縮することはできない。
 ふるさと帰還を祝うさまざまなイベントの報道のされ方を見て、さんまの番組でやっている「からくりビデオレター」に似ていると思う。「ビデオレター」では、ふるさとに暮らす親たちが遠くにいる子供に呼びかける姿がほほえましく写し出される。それはあまりにほほえましく望ましいので、子供たちの反応を考える時間を失わせる。

 今日も屋台に出向きスコッチをなめる。




20021017

 来週の発表三本に備えて予習とデータ整理。

 今日も夜にハッシュ。メニューが増えて、日本酒でスジ焼き(うまい)を食った後にモルトに切り替えるという融通も利くようになった。そしてあいかわらず激安。




20021016

 旅日記 9/26-9/28分。

 ゼミゼミ学会仕事。

 今日も夜半を過ぎて屋台に行き、マカラックの復刻版(1861)。ハイランドクリアランスの頃、高地を締め出された人々がやけ酒をあおっていたのかなどと妄想。





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