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20001031
午後、井上章一の「日本人とキリスト教」の講義。あいかわらず話うまいなあ。その後「忠兵衛の家」で食事。帰って「メディアと権力」続き。

20001030
「ユダヤ教の本(学研)」で付け焼刃ユダヤ勉強。「メディアと権力(中央公論新社)」風邪の余波か、まだ喉痛。夜、トルンカのDVD見直す。サーカスの幻燈ぶり。幻燈知ってる世代のアニメだ。幻燈へのノスタルジーではない。幻燈的な光が現代よりも繊細だったことを示す映画。ラテナマジカ。

20001029
 とりあえず、「ショアー(作品社)」と「Shoah : The Complete Text of the Acclaimed Holocaust Film」を注文。
 ショアー関連のページがあるかと思って、Lanzmann, Shoahのタイトルを持つページを調べると、やたらと歴史修正主義のページがひっかかる。(たとえばThe Journal for Historical Review とか。)ディティールがよく描かれていることを評価する態度には、落とし穴がある。人の証言は細部までつじつまが合い、それが一つの真実を構築しうるものだという考え。それは、人を真実にたどりつかせるのではなく、懐疑的にさせ、歴史修正主義を支える。
 人の記憶が変成してしまうことは必ずしも珍しいことではない。それが限られた情報しか得られない状況での衝撃的なできごとなら、なおさらだ。物語の信憑性を細部の整合性に求めるなら、実はどんな物語も破綻せざるをえないのではないか。
 問題は、細部においてつじつまがあっているかどうかではない。細部の破綻がどのような形を取っているかだ。破綻にこそ物語の起点がある。

20001028
 朝からゼミでクロード・ランズマン監督の「ショアー」を見る。参加者9人。ホロコースト生存者やナチ関係者の証言で構成されたこの映画は9時間ある。10時半から始めて休憩を何度かはさんで9時くらいまで。

 いくつかメモ。(記憶に頼って書いているので後で修整するかも)

■トレブリンカ収容所で散髪係をやっていたボンバ氏へのインタヴューは、彼の店で行われる。ボンバ氏は彼の客を散髪しながら、インタヴューに答えていく。この「演出」は興味深い。

■ボンバ氏は散髪係となったいきさつ、どんな場所で日に何人の頭を刈ったか、それはどんな風にかを、ハサミと櫛を扱いながら話す。ハサミと櫛さばきを句読点にしながら、彼の英語は、ゆっくりと、しかし驚くほど整然と状況を語っていく。話の内容は、ときに実際の手の動きと相反しさえする。たとえば収容所での散髪が一人わずか2分ていどで「大ざっぱ」だった、というとき、彼の手は「大ざっぱ」といいながら、逆に丁寧に客の頭をなでつける。

■ここでは散髪という行為が、単に当時を思い出すための手がかりとして用いられているのでない。ボンバ氏は散髪という行為によってかつて散髪していた自分に身を置こうとするのではなく、逆に、当時を物語ろうとする行為と散髪という行為を重ねようとしている。
 ボンバ氏は、人の頭を刈るように物語を操作していく。かつて刈っていた自分を今刈っているかのように、物語を刈り込んでいく。何十年来の慣れた手つきは、刃物を持ちながら、客を傷つけることなく毛を整えていく。
 しかし、この試みは綱渡りだ。語る彼も語られる彼も、散髪という営みによってつながっている。「刈っている自分」は、いつでも「刈られている自分」=「かつて刈っていた自分」に反転しうる。

■だからこそ、彼の語りが途中で破綻するとき、散髪という行為も同時に中断してしまう。彼は客の頭を離れる。明らかに声の調子が変わる。
「できない。ひどすぎる。お願いです。」
「ぼくたちはやらなきゃいけないんです。わかるでしょう」


■床屋の場面で、ランズマンはあえて、店の他の従業員や他の客のいる状況を選んでいる。テルアビブの店、顔だちからしてほとんどはユダヤ人だろう。壁一面の鏡はその視線を倍加する。そのような状況でランズマンは「ぼくたち」と言う。

■なぜ続けなければならないか、ランズマンは理由を語らない。
「もうできません。」
「やらなくちゃいけない。とても辛いのはわかる。すまない。」
「もうやらせないで欲しい。お願いです。」
「お願いだ。ぼくたちは続けなくちゃ。」
そしてボンバ氏は再び客の頭に向かう。


■冒頭に登場する歌唄いの生存者は、再び自分がかつて収容されていた村を訪れ、あろうことか(ユダヤ教会ではなく)カソリック教会の前に立ち、信者であるポーランド人に囲まれる。ポーランド人たちは口々に生存者に対し懐かしさを表明する。しかし、インタヴューは途中から奇妙なねじれを帯び始める。当時、このカソリック教会に収容されたユダヤ信者がキリストやマリアに感謝したというエピソードが述べられる。教会の中から現れた聖職者の行列によって中断される。

■再開されたインタヴューでは、生存者の後ろにさっきいなかった男が立っている。他の者が口々にしゃべるのを聞きながら奇妙なことに、生存者とこの男とはほぼ同時に、居心地悪そうに顔をぬぐう。突然、男が前に出てひとまとまりのエピソードを話す。それはラビが自分たちを進んでユダヤ教における血を贖う存在であると言った、というものだった。

■こうしたねじれは、ポーランド人へのインタヴューのいたるところに表れる。ランズマンもそれを狙っているフシがあり、「ユダヤ人のことをどう思っていましたか」という質問を用いることで、こうしたねじれにきっかけを与えている。

■トレブリンカそばの線路沿いに住むポーランド人の農夫へのインタヴューでは、農夫が親切にも喉をかき切る身振りで何も知らぬ乗客たちに来るべき運命を教えたことが語られる。しかし、それを語る彼は得意げに笑っている。

■この映画では、英・仏・独の会話は通訳抜きで行われるが、ポーランド語では通訳が入る。タバコを吸い続けながら、問い詰める段になると通訳の方を向きがちになる監督。通訳と監督とインタヴュワーとカメラの位置取りの変化に注意。


■数字にこだわることで数字によって示されている事実から逃れようとする場面。
 その1。収容所近くに赴任したドイツ人教師が犠牲者の数を尋ねられてうろたえる場面。
「4万だったかしら、40万だったかしら」
「40万ですよ」
「ああ、40万だったんですね、4は少なくともあってると思ってたんですが」

■その2。現在は山岳関係の出版に携わる元ゲットー管轄の副司令官が、ランズマンに日付を言われて進んでメモを取ろうとする場面。一方で、その日付のあとにどんな記憶が掘り起こされようとしているかに脅えながら。

■その副司令官は、ゲットーを駆け足で通り過ぎたのでどんな場所かわからない、と言う。視界を自らふさぐ者と視界をふさがれる者。


■英語で語っているチェコ出身のユダヤ人の話の中にドイツ兵の声が入る。それを英語で言う語り手に、ランズマンはすかさずドイツ語で言い直す。語り手は「まさにその言葉です」と言ってから後はドイツ兵の声の部分だけドイツ語に置き換えていく「シュネル、シュネル」。


■ポーランド密使が二人のユダヤ人を区別するときの手の身振り。そこからゲットーへと入っていく空間表現。たどたどしく確かめるような英語。


■この映画の証言者が語っていくのは、それぞれの非常に限られた、それこそ両側の視界を壁でふさがれた状況だ。ほとんどの人は、元SS隊の男のように地図で収容所を俯瞰するのでない。床屋が語りやめなければならない点、語り手が語りやめなければならない点から場所が表れる。そのような点から広がる語りは、あるいは記憶の変成を受け、細部に矛盾をはらんでいるだろうし、そうした矛盾を糾弾することは悪しき修正主義にしかならないだろう。この映画の語りを分析するとき、重要なことは、どこで語りが破綻し、何を語り損ねたか、を考えるということだ。爆心地は矛盾によってしか測定されえない。

20001027
 まだ本調子じゃないがそろそろと起きてメールチェックなど。この病み上がりの体全体が酸っぱい感じがなんとも。

20001026
 一日休み。寝床で「浮かれ三亀松」「現代落語論(立川談志)」。志ん生の「黄金餅」を聞きながら寝る。イガグリ君そっくりの柔道家に居候に来られて迷惑する夢。

20001025
 講義、ゼミ、ゼミ。やたら疲れると思ったらやっぱり熱があった。蒲団の中で汗だく。

20001024
 ちと体が重いが、お仕事お仕事。
 旭堂小南陵師匠の「陰陽師」特別講義。ケレン味あり過ぎる講義内容もさることながら、30分の講談部分がやはり魅力。

 「微生物の狩人」(岩波文庫)のあまりに古めかしい文体に辟易し、上巻でギブアップ。ダメモトで原本「microbe hunters」をサーチしたら、なんだ、あるじゃん。amazon.comのブックレヴューを読むと「子供から大人まで」にお薦めと書いてあったりするんだが、日本語訳は子供にはムリ。1926年発行、作者は1971年没か、惜しいな。

20001023
 一日じゅう近さんと学会のプログラム校正、版下づくり。夜遅く、ACTの借りているビルの今後について話し合い。
 このところ就寝前に少しずつ見直している「怪奇大作戦」。いまにして思えばこれも口琴音楽。「恐怖電話」の桜井浩子はアダルト過ぎ。

20001022
 かっぱ横丁へ。さほど出物がない。と思いながら腕が抜けるほど買っている。
 「浮かれ三亀松(吉川潮/新潮社)」の艶っぽい江戸っ子ぶり。そうそう、歌い終わりをさっと短く切るところがキザ千両なんだ。うそかまことかここぞというときについ口ずさむ都々逸に、「かの蒼空に」の啄木を思い出す。冒頭の演出に、エレベーターの前で待つ、という奇妙な時間。
 「モノの都市論(原克/大修館書店)」よくあるフランス史観とは一味違う、主にドイツから見たモノ文化の数々。家庭ゴミを数え上げるドイツ魂。カフカの変身で投げ棄てられたザムザは、今のように蓋の閉まるトラックではなく、屋根のない荷台に乗せられて行ったらしい。
 給水塔という水道制度、それがもたらした19世紀の新旧折衷建築。それを考えると、かつてトレヴィルから出てた写真集「給水塔」の人を寄せつけない味わいもひとしお。
 最近ツァイスと鴎外がらみで調べてる顕微鏡の基礎知識、まずは「微生物の狩人(岩波文庫)」で。偉人伝を読む楽しさ。インテルの顕微鏡(未入手)は「覗く」ことからユーザーを解放した点が長所でも短所でもある、と推察。一人で覗くのではなく、誰かと見るミクロコスモス。

20001021
 大阪梅田でエレベーター調査。夕方、十三で安田さん、いれめさんと古本屋。でかい猫が古本の山をおさえている。それから飲んで、ファンダンゴでうわさのガレージパンク。ニートビート、セドリックス。音階なぎ倒す鍵盤。顔が出来てる人を見る楽しみ。もちろん音も。
 トリスでまたちょい飲み。その後倉谷さん宅へ。

20001020
 やはり仕事。今年ある動物行動学会のプログラム作りなど。eBayでゲットした絵葉書届く。十二階に仁丹。すばらしい。

20001019
 仕事をしていたのだが何の仕事だったか忘れた。

20001018
 講義で、明治にあったパノラマ館の想像図を描いてもらう。しぐさゼミその他。

20001017
 昨日「マウンティングをする/される」と書いたが、じつは「マウンティングをさせる/させられる」という関係もありうる。さらに時間を微視的に見ていくと、どちらがマウンティングに先に誘ったかという問題があり、さらに、誘う側と誘われる側は、行為が進んでいくうちに何度でも裏返ることができる。もちろん、自由に裏返るわけではなく、なにかしらの手管がある。

 ケンドンが書く「BがTのダンスを踊り、次にはTがBのダンスを踊るのだ」という相互行為観。そしてケンドン以降に進むために考えるべきことは、その「ダンス」がどこまでも細かくなるのではなくある単位で認知されるという点だ。

20001016
 eBayであちこちの人とやりとりを始めるのはいいのだが、相手によって送金にかかる期間がまちまちで頭が整理できない。整理できないと、一日中、頭の隅にひっかかってしまう。しょうがないのでExcelでeBay簿をつけることにする。進行状況、送金、品物到着、フィードバック、相手先e-mail、アイテム番号、アイテム名、などなど細々と。自分はこんなにマメだったかと思う。このマメさでいっぱいいっぱい。

 コミュニケーションの自然誌は成田君の発表。あれこれツッコミが入る。が、基本的にはプレゼンの問題で、データや論旨をすっとばさなければ結構納得度は上がったのではないかと思う。

 その後の飲み会で、「握手とマウンティングではコミュニケーションのレベルに違いがあるか」という話。
 ぼくは行為形態が非対称なものでは難易度が上がると思っている。つまり、握手では手を差し出すという一つの形態について相手との前後関係を考えればよいが、マウンティングの場合はマウンティングをすることとマウンティングをされることの二つの形態を考える必要がある。
 マウンティングが性行為のみに使われている場合、話は簡単だ。マウンティングする性にあるものは、マウンティングをすることだけを覚えればよいし、マウンティングされる性はされることだけを覚えればよい。

 しかし、チンパンジーのように(あるいは人間のように)、性行為を離れてマウンティングを行なうことができる動物の場合は、一個体がする側される側の両方を体験する。このような動物には、一つの非対称な関係のもとに、する側とされる側を交換して認知できる可能性がある。
 少なくとも人間の場合、この「する−される」をマウンティングと呼び、そのどちら側にまわることもできるし、どちら側に回った場合にもそれをマウンティングと呼ぶことができる。
 自分は一つの非対称な関係の、どちらの側にも立ちうるのだ、という認知が可能になったときに、あの立場に立てたかもしれないのに、という感情が発生しうる。

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Beach diary