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20000715
 大阪へ。ギャラリー風で篠原芳子展。久しぶりに篠原さん夫妻、川村さん夫妻と会う。あれこれ考えるところがあると思ったが、作品を買ったので、それはこれからぼちぼち眺めたり考えたりするのである。買うと決めたからには、篠原さん持参の酒を昼間から頂きつつだらだらする。ラベルに「本みりん」と書いてあり、舌の上では冷やしあめのような味だが、つるりと喉を通り、せんべいは噛むほどに正しい米の味で、ちびちびと圧縮された米を溶かすように飲み続ける。最後は千房でお好み食ってシメ。

 電車の中で「明治東京逸聞史(森銑三/平凡社)」明治の新聞、雑誌の抜き書きは数あるが、この、明治生まれから見る明治への淡々としたまなざし、そして分量のほどのよさ。1年を10分ほどで読み終えることができる。
 「時代」を感じさせるためにはある程度の速度が必要。「時代」感覚を立ち上げる技術について知らねばならない。その上で、「時代」から身を持ち崩すだらしなさを持つこと。空気を空気として捉えなおすこと。
 ひとつ「明治東京逸聞史」から孫引き。

 「其の空気といふものは、いかなるものだといふに、此世界の上を隙間なく取りまきて、地面より高さ四十五里まで満ちふさがり、其形は目には見えねども、人の空気の中に活きて居る事は、魚の水中に居るが如くにて、若し空気なければ、呼吸する事ならず。我々が毎日鼻から吸ひこみ、口から吹き出す息は、則ち空気なり。此空気、平生は静かにて、手に障るものもなき様なれども、動く時は甚だ力ありて、強き時は家をも倒し、大木を折る程の大風ともなるなり。」(東京日日/明治七年三月一三日)

 明治に登場した空気という概念。記事を書いたのは岸田吟香。

20000714
 HyperText Boxが手狭になってきたので移動。新URLはhttp://12kai.virtualave.net/hyper/
です。ついでにフレーム化、ちょい手直し、アンド、文書をいくつか足しておく。

 京風お好み焼きとか京風たこやきというものをよく見かけるが、明石焼きならともかくお好み焼きやたこやきに京風というものがいつからできたのかと記憶をたどってみると、京都で刻んだアゲの入ったお好み焼きというものをしょうゆ味で食ったのを思い出したが、京風と名のつく店で出てくるのは、別にそうしたお好み焼きではない、普通のソースをつけるお好み焼きであることが多く、そもそもお好み焼きとかたこ焼きとかに京都式というスタンダードがあるとも思えず、つまり京都式というものはそもそもバーチャルなものであり、京風とはいわば「バーチャル風」の意なのだが、実体なきもの風とはこはいかに、バーチャルに吹く風はどのあたりをそよそよさせているのか、このシニフィエなきシニフィアン極まる話は(続かない)。

20000713
会議。学部ページの直し。この日記の書き手のへとへとな仕事っぷりを見たい人は、こちらをどうぞ。

山のようなレポート読み直し。コミュニケーション論の課題は「色の科学者メアリー」的クオリア体験を書きなさい、というもの、題して「これが○○なのね」体験。けっこうおもしろいのが集まった。タイトルだけ挙げると

これがムカデだったのね
これがシュークリームなのね
これが犬の赤ちゃん?!
これが二十歳(はたち)なのね
これが一人暮らしなのね!
これが夏なのね
これがカリスマ店員なのね
これが挫折と言うものか
これがうになのね!
これがスピード違反なのね
これがうれし涙なのね
これが針なのね
これがあの景色なのね

など。これがそうなのね仔猫チャン、というのはなかった。特に「これが針なのね」にはぐっとくるものがあった。本人の許可がおりたら公開したいところ。

20000712
あれこれ事務。事務虚無。
学部のホームページ立ち上げ。
コンテンツあれこれ直し。ふー。

20000711
えーと、なんだっけ。たくさん会議に出た、つもりだったが一個すっとばしていた。

20000710
 夜、田んぼを自転車で行くと、遠い花火。犬上川はゆるやかに蛇行して、川沿いの道からは花火が河川林に見え隠れする。おっと、サカナの形。

 岡山バット殴打事件の少年が持ち出したものの中にポケモンカード、そしてゲームボーイとポケモンのソフトがあったという。
 ゲームボーイ版のポケモン金銀は、単にポケモンを戦わせる物語ではなく、主人公が故郷を出る物語でもある。主人公はワカバタウンを出て、方々の町でバトルを繰り返し金やポケモンをゲットする。
 しかし、主人公は母親と決別したわけではない。どうやら母子家庭育ちらしい主人公にとって、母親とは、「がんばってね、おかあさんも○○のことおうえんしてるから」と主人公を送り出す存在であり、旅先からの送金先であり、たまに主人公の金で適当なものを買っちゃったことを電話で報告してくる相手でもある。主人公は家に帰ることもできるが、母親は主人公の行動に立ち入ることはない。「へやかたづけといたわよ」といったごくつつましい会話が行われるだけだ。
 主人公は途中で自転車屋と知り合い、自転車をゲットする。この後、ゲームは速度は俄然上がる。町から町への移動はスムーズになり、軽快なサイクリング音楽は、旅の速度、旅の気分を高める。ポケモンが疲れればポケモンセンターで休む。が、主人公は休むことがない。主人公には栄養補給はいらない。暗い夜の町も自転車で疾走できる。主人公の携帯にはときおり電話がかかってくる。それは町々で出会った仲間かもしれない。博士かもしれない。あるいは母親かもしれない。

 母親を殴って家を出た高校生が、そういうゲームをリュックにつめている。母親を殴った後、そのようなゲームを背に自転車を走らせる者は、いくら避けようとも、物語を半ばなぞりつつある自分に気づき、同時に、物語と自分の行為のずれに繰り返し出会わざるをえないだろう。

20000709
 絵葉書趣味更新。「再訪というできごと」「大洞今昔

 一昨日撮ったビデオから作った静止画像がいまひとつピンぼけなので、昼過ぎに清涼寺にお礼がてら、もう一度大洞を撮影に行く。
 ところが、天気はよいのだが、どうも一昨日のような、リアルな水の気配を感じにくい。撮れた写真を見ても、一昨日よりもクリアに撮れてはいるが、過去を引き寄せる感じが乏しい。いっそ、トータル・リコールくらいクリア過ぎる色ならいいのかもしれない。
 結局、もとの曇天の写真に戻す。

20000708
 昨日の酒を呪いつつ朝、大学着。しばしソファで爆睡。昨日のビデオを編集。とりあえず絵葉書趣味をちょっと更新。

20000707
 実習二日目。龍潭寺、大洞弁財天、清涼寺を回る楽なコース。下見もしてないのにしっかり大正期の絵葉書が撮影された場所を発見しその場所に立つと、まさに失われた大洞内湖の気配が。「うわー、探偵ナイトスクープや!」とのおことばを学生からいただきました。これで視聴率20%以上は固いです。夜は余呉へ。飲み過ぎた。

20000706
 忘れたころに更新されるかえるさんレイクサイド「さや祭り(2)」。

 今朝もカンタータで朝食。実習第一日め。資料づくりと彦根市図書館。図書館で集団行動すると隠密感漂う。人耳をはばかり、「このへん探す」「これ読む」「こことここしおり」「これあっちでコピー」などと無声音で短い指令飛ばすあたりは「散れ!」てなもんである。松原(大洞)内湖に関する資料をできるだけ集める。
 昭和63年に彦根市の生活環境課が出していた「芹川の自然観察ガイド」はとてもいい本で、歴史も載ってるし芹川沿いの街路樹が全部記してある。が、もうほとんど残ってないらしい。

 夜、浅草ROXビルにて購入した「緋牡丹博徒・お竜参上」。じつは十数年前に見たはずなのだが、凌雲閣がもろに舞台だったことなど忘れていた。塔の魅力に涙。さめづまさっさん。

20000705
 たまには違う店でモーニング、とカンタータ。仕事。ゼミ歓迎会。せみ餃子を山ほど食った。桜玉吉「防衛漫玉日記」。青江三奈が死んだ気がしない。伊勢佐木町ブルースのため息の数も覚えてなかった。あとはおぼろ。

20000704
 先日、カロリーメイト銅線混入の回収騒ぎで相方が大塚製薬にチーズ味を送付したのだが、その返事に書留が郵送されてきた。ほんの少しだけ、「おわびにカロリーメイト1年分ほか各種製品」などという幻想が頭をよぎったのだが、封筒を開けるとコロンと出てきたのはきっちり210円。お子様幻想の入る余地のないハードボイルドな対応だ。しかし、この210円を封筒ひとつひとつに入れていく作業ってたいへんだろうな。

 成田くんのゼミを見て考えたこと。
 レイコフ&ジョンソンや瀬戸賢一が書くように、空間のメタファーにはさまざまな言語間で普遍的な傾向があるのだとしたら、それは、コミュニケーション空間に普遍的な要素があるということだろう。ならば、コミュニケーション空間の影響をもっとも受けやすいしぐさに、それは現れるはずだ。そして、しぐさと声は同時に(並行して)生成される。
 手が前後に振動しながらビートを繰り返し、声がことばをさぐるとき、手が促しているのは単なるビート(リズム)だけでなく、何度も前に出ようとするその空間移動を声で表出することを促進するのではないか。「前」「上」といったことばが人間関係や権力と関るのはこのようなプロセスの中ではないか。
 佐々木正人がかつて行なった、手をまく動作をしながら「くま→まく」の反転を促す実験を、ここで考えてみること。

 異なる権力体系を語るとき、権力の隠蔽を語るとき、組織化され図式化されたしぐさが破綻する可能性。たとえば、XY平面にあったしぐさがXZ平面へと展開され、そのきっかけとしてビートが使われる可能性。
 マクニールが「ビート」と分類した特別な意味を持たないしぐさを、意味生成のしぐさとして分類しなおしてみること。ビートの現れる場所を、意味体系の破れ目として、破綻するために必要な「ビート(リズム)」としてたどり直してみること。

 「ビート」はしばしば、自分の行為の表象へとつながる。他人のことを語るときでさえ。声を繰り出そうとして行為を繰り出すあやかし。他人を繰り出そうとして自分を繰り出すあやかし。

 ヘンリー・ダーガー作品集。この夏はローザンヌに行くしかないだろう。


20000703
 スターシップ・トゥルーパーズで思い出したので、昔パソコン通信に書いたロボコップの話を再掲(一部改訂)。これこれです。おとつい書いた本は「カエルや魚(さかな)が降ってくる!」ジェリ・デニス(新潮社)でした。

20000702
 自転車を借りる。ミスドで翻訳。より道で柳川鍋。台東区図書館で、やや興味を弛緩させつつ本を手にとっていくと、ほらほらこんなところにも目うろこな話。弛緩大事。古本屋で「人生玉ころがし」。自転車返して帰路。新幹線で翻訳。米原で20分だの30分だの電車を待ってると、よくも悪くも、ああ、また彦根に戻ってきたと思う。効率よく移動する世界から弛緩する世界へ。ガストで翻訳。

20000701
 何度あんの? 暑さにやられたせいかエロビデオ見過ぎたせいか、朝一で攻めた神田で風俗画報を40冊くらい買う。銭払って読むばかりが調査じゃないと、都立図書館。しかし眠気であまりはかどらず。3年前くらいに出た「カエルや魚が降ってくる」って翻訳本があった。といってもマグノリアの原作じゃなくて、気象科学の本。19世紀のアメリカにカエルがばんばん降ってきたという記録がある、らしい。これがいわゆるトンデモなのか事実なのかで今世紀中期に論争があったそうな。著者名と出版社メモるのを忘れたのも暑さのせいか。花袋書誌、啄木評論をざっと読む。

 浅草で金寿司。酢でしめたサバを食う。7時だけどまだ外は明るく、開け放した扉からなまぬるい風が吹き抜けていく。ゴマサバ。暑いさなかのサバは蜃気楼のような味。さらに舌にねっとりまとわりつくようなイカの子で冷や酒。

 「フェミニズム・セックスマシーン」(砂/太田書店)のことば数の多さ。ひとコマにこれでもかってくらい入ってる。それだけならアムールあたりで見かけることだが、的確過ぎるのはセリフ圧縮。「ケツアクメキツッ」だって。ふつうこう論理的に言わないよな。せいぜい「お尻が」とか「きつっ」ってとこじゃないか「ケツアクメキツッ」。で、この手の瞬間圧縮フレーズがコマのあちこちで勝手に繁茂している。一本一本きつく締め上げられている。同じ瞬間同じ体位が何度も違う形にぱりっぱりっと結晶する。結晶なんだから、バイブ抜いてもお尻にぽっかり穴が開いているお姉さん。

 夜、岡村靖幸「真夜中のサイクリング」を繰り返し聞きつつ、ゆっくり月に漕ぎ出す。あ、マーガリン踏んだ。

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Beach diary