のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」見聞記

その2

細馬宏通

繰り返される物語

 さていよいよ実演。「新・日本の放浪芸」で実演されていた内山ミヨさんはすでに亡くなられているのだが、生前の内山さんから直に口上を教わったという土田年代さんが、当時の口上を再現してくれた。
 口上、とはいっても、その合間にはからくりの絵(中ネタ)を入れ替える操作が入り、両手は竹製の拍子棒を調子よく叩かなければならないので、なかなか忙しい。かつてはガラ箱の両側に二人の太夫が立っていて、代わりばんこに口上を述べたのだが、現在は一人で上演し、カンノンの扉も昔は二人で開けるようにしてあったのを、紐を片方に渡して一人で一度に観音開きができるように作り直したという。

 今回は一度きりの口上であったが、かつては境内の縁日などで行われており、そこでは口上は何度も繰り返されたはずだ。客は覗く順番を待つ間に、太夫が拍子棒を景気よく叩きながら口上を述べる様を見て、自分の番がきたらのぞくことになる。自然と口上は繰り返し聞かれることになる。

 たとえば、映画館のロビーで、場内から洩れてくる音声をすっかり聞いてから次の上映を見る人がいるだろうか。現在のメディアでは、あらかじめ物語をすっかり聞いた上で改めて映像を見るようなことはない。
 しかし、のぞきからくりではそのようなことが起こっているのである。

 太夫の口上を注意深く聞きながら、カンノンやソデ、アオリなどに描かれた押し絵を見れば、覗き穴を覗かずとも物語のあらすじは理解できるし、最後にカンノンが開けば物語の結末までわかってしまう。しかし、それでも覗きたくなる。いま聞いた物語にはじつは物語の表面、看板絵の表面、ガラ箱の表面に過ぎず、その見逃したことはガラ箱の中にこそ隠されており、そこにこそ物語の愉しみがあるのではないか。現に、自分が黙って聞いていた物語に対して、覗き穴に食い入っている仲間は、おお、とか、うわあ、と声を上げているではないか。ガラ箱の中には、声を上げさせる何かがある。自分にはその何かが見えていない。そう思うと、いっそう気はそぞろになり、口上も上の空に聞こえる。
 口上は繰り返される。その同じ口上によって、客はまず物語の外側を見、次に内側を見るのである。


太夫のまなざし

 山東京伝「御存商売物」に描かれているのぞきからくりでは、太夫はからくりの横の椅子に座っており、子供の目の高さで呼び込みを行っている。対面の親密な会話によって客に誘いかけるスタイルだ。
 これに対して、巻町のからくりでは、7,80cmほどの台に立ち、あたりを睥睨しながら拍子棒を打つ。向こうを行き交う人々、からくりに近づいてくる人々、覗き穴にかじりついている人々を見渡す位置だ。練達の太夫なら、これらの客の反応を確かめながら、自らの声と叩く拍子棒の音を、ときにはひそやかに、ときにはあたりを強迫するようにコントロールすることができただろう。その強弱は、祭りの賑わいを引き締め、解き放ちもしたはずである。
 覗き穴(メドメ)は全部で24。繁盛しているときは24人ずつの入れ替わりをさばかなければならない。太夫は口上が終わると「はい、おあとはずずいと入れ替わって」と交代を促すのだが、料金の徴収までを一人の太夫が行えるとは思えず、下で客をさばく助手がいた可能性がある。


急迫する口上・無防備な背中

 さて、今回の見学では、上演は一度きり。となると、覗くべきか離れるべきかが悩ましい。口上を述べる太夫さんの姿も見たいし、しかし次々と入れ替わる中ネタも見たい。結局、覗き穴から覗きながら口上を聞くことにした。
 じつを言えば、見学の前から「幽霊の継子いじめ」の内容は映像資料で知っていたのだが、実際に口上を聞いて、改めて話の迫力に驚いた。

 看板には「幽霊の継子いじめ」とあり、その下にはおどろおどろしい幽霊が描かれている。おそらく初めての客は、ホンモノの幽霊話かと思いどんなすさまじい幽霊かと期待するところだが、じつは幽霊に扮して継子をいじめる生身の継母の話である。しかし、なんだ、ただの幽霊もどきの話かと安心した客は、その女が図らずも実の子を脅し殺してしまうという、意外な展開に驚かされることになる。
 つまり、この話の勘所は、まず題名で「幽霊」「継子いじめ」が主題であると思わせておいて、じつは幽霊も継子いじめも不発に終わらせ、意図せぬ実子殺しに物語のクライマックスを持ってくるという点なのである。
 この、題名から隠されたクライマックスは、あらかじめ知っていても怖い。というのは、この部分を、口上が唖然とするほど素早い展開で語るからである。

 話を聞くより先生は、かねて噂が悪いわい、その場を見届けてくれんと熱田巡査と相談し、すきをうかがう折りも折り、それとも知らずとみ子さん、白い着物を身にまとい、髪はざんばら乱れ髪、口に輪櫛をくわいられ、ゆうれい姿と身を替えて、眠りし静江の枕辺に、あなうらめしやと現れる。
 その物音に目をさまし、見ればゆうれい立っている、驚き悲鳴を上げるなら、となりの部屋の花子さん、悲鳴の声に目をさまし、見ればゆうれい目の前に、アッとその場に気絶する、騒ぎを聞き付け先生と、熱田巡査が飛び込んで、手早くとみ子に縄かける、先生花子を抱き上げて、いろいろ介抱致せしが、も早やこの世の人でない。

 文字ならば自分の理解できる速度でゆっくりと読み流すことができる。しかし声で聞くなら、この部分ではひと文句ごとに新しいできごとが畳み込まれ、聞き手には次の展開を予測する間がない。背中にヒヤリとするものが感じられる。そういえば、覗いているこの背中は、なんと無防備なのだろう。急迫する口上の告げる、幽霊ならぬ運命の残忍な冷たさが、覗き穴に夢中になっている自分の背中をいきなりなでる。
 おそらくこの感覚はわたし一人だけのものではないのだろう、「も早やこの世の人でない」というところでは、わたしも含め居合わせた見学者一同から、ええっ、とも、ああっ、ともつかぬ声があがった。
 そしてわたしが思わずあげた悲鳴は、うしろで待つ者をいやがうえにもうらやましがらせるに違いない。



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