ムジュラ日記
2000.0430



まずは猫のように柔軟体操。


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 さて、1年数ヶ月ぶりにゼルダ。
 ムービー長いなあ。まるでシェンムーみたい。むろん、いざ始まると、移動の柔軟性はシェンムーよりはるかに高いのだが。

 最初の3日はうろうろして過ぎる。

 洗濯場に何度も行くも、かえるとお面小僧に注意が行って、妖精の存在になかなか気づかなかった。この間けっこうかったるさを覚える。今回の「ムジュラ」は、ぼくのザルのような注意力と脳味噌では追いつかないゲームなのかもしれない。あまりやりたくなかったが、仕方なくノートをつける。なぜあまり気が進まなかったかというと、前作のゼルダは基本的に記憶をめぐる物語だったからだ。ノートでいちいちチェックしてクリアしたんじゃ、「思い出す」って楽しみがない。「ああ、そういえば・・・」って瞬間がゼルダの醍醐味ですよ。

 しかし、つけ始めた以上は徹底的に調べるぞ。なべカマ屋の泊まり客を全員チェックするも、カードおやじの二人組を含め、いまの情勢には関係なさそう。大妖精と会ってからは、わりとすいすい。最初はわけわかんなくて、ボンバーズつかまえようとするたびにアタックかけてたけど、じつはただタッチするだけでつかまるのだな。ボンバーズの5番がなかなかいないと思ったらこういうところにいたか。なるほど。
 天文台へ。望遠鏡の景色、いいねえ、覗きからくり。あちこち見てたので、ズームなんか忘れてたよ。
 で、ようやく時の歌。前作のメロディをすっかり忘れてたので、思い出し加減が絶妙によかった、個人的には。

 しかし、この悲しさはなんなのか。なんか、昔のキャラが出てくると、懐かしいっていうより、めちゃ悲しい。ゼルダってパーティ制じゃないせいもあるけど、登場するキャラがなんともいえずこちらと距離があって、希薄な関係にいる気がするんだが、その希薄な関係とまたすれちがいにきてしまったのか、わたしは、そんな悲しみです。

 しかし、ヤな世界だなあ。いきなり世界の終わりを見せられる作りになってる。非常に厭世的。大工やボンバーズといった一般市民が、世界の終わりだってのになんとなく居残ってるところも悲しい。たぶん、これから何度もオカリナ使って、別のゲームの終わりに向かうってことなんだろうけど、たとえ全部をクリアしても、この世界が月の力で壊されたという記憶は消せないでしょう。終末を見ずに済むってことと、終末を見た上で世界をやり直すってのは全然違う。
 沼地まで来たところでオフ。




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