ゲイブラー『創造の狂気』補完計画(7):ディズニー伝のおわりに

細馬宏通

ディズニー伝のおわりに

 ゲイブラーはディズニー伝の終わりを、淡々と事実を記述することで、しめやかに締めくくっている。この部分は「創造の狂気」では以下のように訳されている。

 秩序の長は自分の葬儀を執り行った。自分を火葬に付し、遺骨はロサンゼルス郊外のグレンデールにある自由の廟に埋葬するよう遺言を残していた。この廟には「祖先の勇気と英知と信念を通して移譲された、自由への聖なるメモリアル」と献辞が記されている。ウォルトはその三〇〇エーカーあるフォレストローン墓地のはずれに、生存中と同じように死後もひとり孤独に埋葬されている。
 葬儀は死後1日たった午後五時から、墓地の小さな教会リトルチャーチ・オブ・フラワーズでしめやかに行われた。セレブの葬儀に見られるような、一般の参列者が押しかけて、威厳のない風景だけはウォルトは絶対に避けたかった。
 葬儀には家族だけが参列した。妹のルースも、ポートランドからカリフォルニアに来る間中、メディアに追いまくられるのを恐れて、姿を見せなかった。
 遺骨を埋葬した場所を記して、小さな庭を取り巻く廟の、白いレンガの壁には、長方形のブロンズの飾り板がはめこまれている。
 それにはただ、「ウォルター・イライアス・ディズニー」と刻まれている。
 柊の木に隠れて、ハンス・クリスチャン・アンダーソンの白い人魚姫の像が、物思いにふけりながら水を見つめている。
 ウォルト・ディズニーはここで、ひとつの運命を実現したといえる。
 彼はひたすら逃げつづける人生だった。
 そしてウォルト・ディズニーは、この墓地で自分の運命を完結した。その日のために彼は人生を必死に休みなく、また力強く闘い続けた。
 彼は世界のさまざまな苦悩を悲嘆を乗り越えてきた。

 そうしてウォルト・ディズニーは、ついに「完全」を達成したのである。
(「創造の狂気」p.599-600)

 『創造の狂気』に心動かされた方には申し訳ないが、この訳はひどい。原文とまるきり違う。ウォルトは「自分の葬儀を執り行った」りはしなかったし(幽霊じゃあるまいし)、「埋葬するように遺言を残して」はいなかったし、「ひとり孤独に埋葬されている」のではなく、娘婿とともに埋葬された。原文にある「He had escaped」は「彼はひたすら逃げつづける人生だった」と訳されているが、「逃げつづける人生」だったはずはなく、「彼はついに(死によってこの世から)逃れることができた」ということだろう。この邦訳は他にも不可解な文章の順序の変更や省略だらけで、なぜこんな奇妙な改変をしたのか理解に苦しむのだが、中でもひどいのは人魚姫の作者を「アンダーソン」としていることだ(もちろん「アンデルセン」のことである)。

 ゲイブラーのディズニー伝の第一章は「逃れる escape」というタイトルで始まる。ウォルトの父親は生活苦からシカゴからマーセリーンへ、さらにはカンザスへと「逃げる」ように暮らしてきた。そしてウォルトは厳格な父親から逃げるように独立した。その「escape」をゲイブラーは「一族の宿命 family's destiny」と呼んでいる。そのことも踏まえて、以下では、同じ箇所を、ごく素直に原文に沿って訳してみた。

 秩序の長であったウォルトは自分の死をたいそう怖れていたので、埋葬についてなんら指示を残していなかった。リリアンにはただ、火葬にしてほしいこと、他のセレブたちの葬儀で見てきたようなみっともない公の儀式はどうしても避けたいので、式はごくうちうちで執り行って欲しいとだけ言っていた。そこで義理の息子がグレンデールのフォレスト・ローンにある「リトル・チャーチ・オブ・ザ・フラワー」を選び、彼の亡くなった日の翌日5時に葬儀が執り行われた。参列者は家族だけで、妹のルースですら、ポートランドからカリフォルニアへの道中でメディアにつかまることを恐れて参列しなかった。リリアンの提案によって、エンシノのダイアンの通う教会から来た聖公会の牧師が式を執り行った。ボブ・ブラウンの提案でウォルトの好きだった「リパブリック讃歌」が式の最後に演奏され、歌の最後にリリアンが教会の前に置かれた棺に近づき、手を置いて「とても愛していました。とても愛していました」と泣き叫んだ。葬儀のことは、その後誰も公には話さなかった。

 家族が最後の安息の場所を決めかねたため、火葬から一年近くたっても、ウォルト・ディズニーの遺灰はフォレスト・ローンで埋葬されることなく置かれていた。すると、シャロンの夫であるボブ・ブラウンがウォルトの死後一年を待たずにガンで亡くなってしまい、それではシャロンの父親と夫をともに埋葬しようということになり、埋葬先を急いで探すことになった。シャロンとダイアンは、フォレスト・ローンの「自由の廟」のはずれにある目立たぬ場所を選び、次のように碑文に記した。「その勇気、智恵、そして祖先への忠誠により我等に遺された自由をここに記念す」。そこは300エーカーある墓地の離れた一画で、ウォルトは人生において孤独だったから、さびしくないようにとボブ・ブラウンとともに埋葬された。

 今ではその廟は、長方形のブロンズ板のはめこまれた白い煉瓦壁で囲われており、中には彼の遺灰の埋葬場所を示す小さな庭がある。板にはただ「ウォルター・イライアス・ディズニー」という名前だけが記されている。オレンジのオリヴィアと赤のアザレアの生け垣に守られ、柊の木と、見えない水を見つめるかのようなハンス・クリスチャン・アンデルセンの人魚姫の白い像の陰に隠されたこの場所で、ウォルト・ディズニーは彼の一族の宿命を成就したかのようだ。彼はついに「逃れた」のだ。そして同じこの場所で、彼は自身の宿命も成就した。それは彼がその生涯において果敢に休みなく格闘した宿命でもあった。彼はついにこの世の苦悩を乗り越えた。ウォルト・ディズニーはついに、「完璧」へと達したのである。

(2020.2執筆)

この補完計画について | (1)1920年代部分の補完計画 | (2)1930年代の補完計画(a) | (3)1930年代の補完計画(b) | (4)『ファンタジア』の頃 | (5)『ファンタジア』の頃(2) | (6)メリー・ポピンズの頃 | (7)ゲイブラー伝の終わりに | アニメーション文献アーカイヴズ