The Beach : July 2004


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20040731

 浅草に移動。ホテルにチェックインしたら屋上券をくれた。今日の隅田川花火の見物用らしい。原稿。夕方、ひさしぶりに浅草で寿司。花火を前に、ホームレスの人たちがみんな移動させられちゃったねえ、という話。もとに戻すのがたいへんだろうなあ。いや、あの人たちは電気工事や建設やってた人が多いから、テントとかすぐ建てちゃうわよ、ふつうのサラリーマンあがりの人はなかなかホームレスはやっていけないわよ。などなどという話。
 夜に花火。駒形会場から間近く、一発一発の花火がじつに立体的に見えた。


20040730

 散髪をして買い物をしてさあ出かけようというときに財布が見あたらない。あちこち探したが見つからず、これは落としたかすられたかに違いないと思う。カード会社や銀行に電話をかけまくってカードを止めてもらう。幸い残金はまるまる残っていた。
 東京へ。品川駅でガビンさん、タナカツさんとおめもじ。さらにコグさんと合流し、ソバ屋へ。それにしても品川駅の海浜側は絵に描いたような昔の近未来都市だな。あとからヨシマルさん、オトガイさんも来て、デジオパーソナリティのオフ会と化す。くわしいことはラジオ 沼で語ったのでここでは書かないが、とにかく、声の力を思い知った。
 宿に戻って懲りもせずその日の分を吹き込む。


20040729

 原稿。


20040728

 冷静に、やらねばならないことを考えてみる。まずユリイカに松本隆論の改訂を出し、さらに絵はがき連載の原稿を出さなくてはならない。社会言語学会の発表原稿が8/5〆切。しかしてその5日には大阪成蹊大の集中講義が。そして試験採点が三科目。レポート採点二科目(これは一日で終わるだろう)。ひつじ書房のジェスチャー論改訂。来月末までに、別冊太陽のパノラマ原稿。mapにクリス・ウェア論。そうこうするうちに次の絵はがき連載原稿。ふう。書き出してみるともう半分仕事が済んだような気がするから不思議だ。とりあえず書き出すという作業に自分が立ち向かえるていどには、まだ事態は切迫していない、ということなのだろう。

 デジオをやりはじめてひとつ分かったのは、コンセプトの基幹にあたることは、しゃべっていればいくらでも出てくるということだ。しかし、それをデータによって詰めたり、逆にデータを詰めるうちにその基幹の一部がひっくりかえったり、という経験には、それなりの時間がかかる。そして、このところ書いている原稿は、どちらかというと後者にかかわるものばかりだ。それに比べて、デジオは一日何回でも録音できそうな気がする。しゃべることがもたらす、ことばがまわっていくことへの信頼。書くことがもたらすことばへの不信。そしてなお書くこと。

 試験。メディアに対する擬人化について問題を出したのだが、ある学生の解答。携帯電話に対する擬人化:アンテナの本数が足りないときに「電波こい電波こい、なんで来えへんのや」といって怒る。コンピューターに対する擬人化:レポートを入力したフロッピーが出てこないときに「なんでださへんのや」といって怒る。
 メディアは怒りの対象となりやすいのだろうか。

 松村さんとゼミ。パソコン画面の薄暗い映像を見ているとどうにも目がしょぼしょぼして気が遠くなり、ついうとうととしてしまう。とはいえ、松村さんと二人でやってるゼミなので、ぼくが眠ってしまっては成立しない。ほとんど寝言のような妄言を吐き続ける。
 この睡眠不足は明らかに、すべてのデジオを聴く、という作業によるところではある。ぼくはもともとながら作業が得意ではなく、歌詞のある音楽がかかっていると書きものができない。まして、しゃべりを聞きながら原稿を書くなどということは不可能だ。だから、デジオを聴いている間はほとんど仕事にならない。いきおい、睡眠時間を減らすことになる。まとまった時間を人の話を聞くことに費やす、というのはなかなかの荒行ではある。しかしそれをやると見えてくるものがある。


20040727

 昨日の試験で得られた300人分の答案を眺めて途方に暮れる。暮れてばかりいてもしかたないので、とりあえず採点に手をつけてみる。数時間かけたが、1問しか読み切れなかった。これは長丁場になりそうだ。気分転換に統計学の試験の採点をしてみる。こちらもしばらくかかりそう。ほんとうは読んだ感想などを学生にフィードバックすればよいのだろうが、とても300人に解答する気にはならない。読んだという時点で、ほとんどこれらの言霊は成仏してくれるのではないか、と思う。読んだ結果は、おそらくぼくの考えを微細に揺すり、それはデジオになったり原稿になったり来年度の講義になったりする。300人のうち何人がその揺らされた結果にアクセスするかはわからないが、なんというか、そういう風に誰かから来たものが別の誰かに向かうということで世界は回っていくのだ。たぶん。

 中島らも死去。


20040726

 「こころの自然誌」試験。よせばよいのに、「400字以上」というシバリを入れた問題および感想・意見欄を盛り込んでしまった。これが300人分。ざっと感想のところだけちらちら読む。以前アンケートをとったときとはうってかわって「おもしろかった」「楽しい講義でした」というのが多い。まあ、点数のつくテスト上でのことだからしかたない。それでも、400字以上の感想を書いてもらうと、それなりに書き手の揺れが読み取れる。「楽しい」の中にも割り切れなさが漏れてくることもあるし、あるところまで考えたところで「壁」によって思考が遮られているのもわかる。さまざまな話題を欲ばって盛り込んでいるのは、「全部の講義の内容を自分はフォローしている」ということをアピールしようということなのだろう。中には「講義は全部出ました」と明示している人もいる。
 これらはこれらで、素直な反応だと思う。こういう「取り引き」を通して、より相手の顔を考えながら書く、というモードが立ち上がっているのが分かる。「取り引き」がもたらすポジティブ/ネガティブのバイアスには注意しなければならないが、その「取り引き」に乗って書き込まれるディティールには読み取るべきものがある。
 ユリイカから電話。「松本隆論」、もっとドラムの歴史だけでなく、はっぴいえんど自体にも触れる箇所が欲しい、とのこと。うう、この月末、乗り切れるだろうか。


20040725

 昨日に引き続きオープンキャンパス。ミニ講義。昼に沼。原稿。


20040724

 オープンキャンパス。ミニ講義。昼に沼。原稿。


20040723

 森本さん、大塚さん来訪。彼女たちがいま計画中の集団面接法に関する実験についてあれこれディスカッション。夜、森本さん、松村さんとハッシュ→ソウル・カフェ。かなり酔っぱらって帰ったものの、気温がさがらないのでなかなか寝つけない。ふらふら川沿いまで散歩するついでにラジオ 沼。芹川沿いは蚊がものすごくて、椅子にすわってぼうっとしていたらどんどん刺されてしまった。


20040722

 午前中から統計学の試験と模範解答をつくり、夕方に試験。いよいよ試験ウィーク。今年度はすべての講義が前期に前倒しされているので、採点にかかる時間を考えると憂鬱になる。


20040721

 ようやく松本隆論脱稿。ここ数日、十代の頃から愛聴し続けてきた「風をあつめて」のことをずっと考え続けるという、とても幸福な時間を過ごした。
 そうそう、三中さんの日記先日書いたハイハットの話が引用されていて、そこに付けられていたコメントを参考にさせていただいた。ありがとうございます。そこに関係するくだりだけちょっとお見せするとこんなぐあい。

 キーボードやティンパニなど、鍵盤や膜面が同一平面上に並んだ楽器では、交差した手はあくまで平面上の打点に向かうため、姿勢は垂直方向にはさほど縛られない。ピアニストが鍵盤を弾きながら比較的自由に体を前後させて指先への力をコントロールできるのはそのためだ。
 しかし、さまざまな高さに打点があるドラムセットでは、叩く対象によって垂直方向の姿勢が制約を受ける。ライドシンバルの場合、肩の高さにあるため、スネアと同時に叩こうとするとき両手は上下に分かれる。ドラマーの体は自然と前を向き、上下左右に立体的に開かれる。

 この話が「風をあつめて」とどう関係あるのかは、次々号のユリイカにて。


20040720

 ゼミ。真似考。真似をすればよいと分かってから互いに真似をするのは簡単だ。しかし、真似をすればよいということが共有できていないとき、ことばで「真似して」と明示することなく相手に真似をさせるためにはどうすればよいかという問題。
 矢野くんとラジオ 沼を二階の吹き抜けで吹き込む。会話を吹き込むときは、一人でしゃべるときとはぜんぜん頭の使い方が違うということを痛感する。さらに原稿。


20040719

 さらに。


20040718

 オフ。原稿を書く。


20040717

 日本人類学会進化人類学分科会。黒田さんの話はいちばん抽象的なのだが、どういうわけかいちばんノートをばりばりとってしまう。
 黒田さんの「インセスト・タブー」論をもとにあれこれ妄想。タブーというものが発生するためのさまざまなハードルについて。たとえば自分が近親者と交尾することに抵抗を感じるということと、誰か他の個体が同じことをすることに抵抗を感じるということは異なる。まずこのハードルは越えられるか。
 相手の行動を見て、その相手の行動がまるで我が身の行動であるかのように感じられる、ということじたいはたとえばミラー・ニューロンによって可能かもしれない。とすると、自分が実際には行なっていない行動に対して、あたかもその行動を行なったかのような情動がミラー・ニューロンとともに励起されるということはありうるかもしれない。
 が、 それだけでは、インセスト・タブーにはならない。たとえば、チンパンジーの母親と息子が交尾しようとしているとき、他の個体が息子の行動をまるで我が身の行動であるかのように感じる、としよう。このとき、他の個体にとって、目の前で交尾しようとしている相手はよその母親である。となると、これは別にタブーの対象にならないことになってしまう。
 つまり、単に誰かの行動を我が身の行動と感じるだけでは、インセスト・タブーは成立しない。誰かの行動を、母親と息子、という関係性の中で引き受けなければ、相手と同じ情動は励起されないのだ。つまり、ミラーニューロンといっても、コミュニケーション中の一個体に反応するには、その関係性の中に自分を置くような認知がなければならない。
 もうひとつ。仮に他個体が近親交尾に対する抵抗を感じることができたとしても、その感じたことが、相手への嫌悪や憎悪へとつながるのでなければ、タブーという社会的やりとりは起こらない。つまり、自分と相手が同じ情動を共有するだけでなく、そこにもう1ステップ別の感情の励起が必要である。
 となると、いちいち情動の共有を介するよりも、近親相姦を見たら嫌悪が引き起こされる、という話のほうが簡単に思える。うーむ。
 にもかかわらず、いったん情動の共有を介する、というモデルには何かしら魅力がある。それは、いちいち嫌悪の対象と嫌悪を結びつけるよりも、つぶしがききそうだからだ。

 近くの店で飲み会。京大の自然人類の方々とあれこれ話す。


20040716

 「学部情報室のパスワードを忘れたので復帰して下さい」という学生からの連絡が先週から何度も来る。そのたびに仕事を中断して下の階に行くのだが、あまりに多いので閉口して、念のため情報室の配線をチェックして見たら、数台をつないでいるハブの電源が一個はずれているのを発見。なんだ。ネットワークが切断されている端末の「ログオンできません」という表示を見て、「自分の入力したパスワードが間違っているせいだ」と思った学生が多発したというわけだ。逆に言うと、ログオンできません、とマシンに言われると、ユーザーは自分のほうに非があると思いがちなのだな。
 amazon.comから「Lighthouse of the end of the world」。ヴェルヌ最晩年の作。表題買い。読み進めると、意外にもSF味はなく、あたかもドキュメンタリ的に緊張を高めていく内容。それでも、「世界の果ての灯台」ということば自体がすでにして比喩を誘っているので、イメージが広がりやすい。


20040715

 統計学も今日で終わり。数式のほとんど出ない「涙なしの統計学」だったが、なお「難しい」「五時限目はつらいので四限眼にしてほしい」などの感想。後者は無視。
 そろそろ原稿を書かないと月末が死にそうになるかもなので、松本隆論。10枚ほど。


20040714

 ラジオ 沼を始めた当初は、音声ファイルを時間をかけて聞く人がどれほどいるのか予測できなかった。が、今月のここまでのアクセス解析を見てみると、すでにこのテキストファイルの日記よりも音声ファイルへのアクセス数のほうが多い状態。いま(局所的に)デジオの波が来ているからとはいえ、ちょっと予想外である。
 学期末ということで、各講義でアンケートをとる。「黒板の漢字は読めますがひらがなが読めません」など。なかなか辛辣な意見もあり、けっこうへこむ。十代の子は何かを言うときに手加減というものを知らないからな。もっとも学生のアンケートに手加減を求めるわたしもいかがなものかと思う。


20040713

 ラジオ 沼を始めてから、あれこれ手元にあるもので録音方法を工夫してきたが、どれも今ひとつ決定力に欠ける。と思っていたら、「どんづまり茶房」の下の方のリンクに、USBに直に挿せるICレコーダーの紹介が。サンヨーのICR-B90RM。Windowsのみに対応しているように書いてあったが、じっさいに試してみたら、PowerBook G4+Pantherの環境でも大丈夫だった。使い方は通常のスティック型メモリと同じ感覚。レコーダー本体をUSBにぶっさせば、Finderにアイコンが表示されるから、中に入っている録音ファイルをHDにドロップして終わり。これはすばらしい。ノーストレス。一度取りだしボタンを押してもじきにまた読み込みが始まってしまうので、すぐに抜かなくてはいけないが、まあ許容範囲だ。
 何度か試すうちに、これはひさびさに心躍る録音機だということがわかってくる。ひとりごとを吹き込みたくなる感じ。この感じは、パナソニックRR-QR240を買って「独語論」を吹き込んだとき以来だ。そういえば、その頃、インターネットラジオについてこんなことを書いている。このときはインターネットラジオと独語を対立的なものとして考えていたのだが、いまでは、独語の可能性のひとつとしてインターネットラジオを考えている。


20040712

 講義を終えて、電車の中でラジオ 沼。久しぶりにコミュニケーションの自然誌研究会へ。榎本さんの「逆行投射」の発表。串田さんから、じつはすべての発話要素には逆行投射的な要素があるのではないか、というスルドイ指摘。そこにさらに悪ノリして考えたのは、発話文末要素の特徴は「逆行投射」というよりも、むしろ「順行投射」が希薄な点にあるのではないか、ということ。
 講義続きの中で研究会は一服の清涼剤。後の飲み会で、会話分析者の資質としての悪辣さはなんぞやという話。会話に分け入るためには悪辣でなくてはならない。会話分析研究家は自分の悪辣さに天真爛漫であるか、うんざりするか、どちらかでしかありえない。


20040711

 はっぴいえんどの原稿は松本隆のドラムについて書く予定なのだが、言いたいことはすでに決まっている。つまり詩人のドラムには詩人の身体が宿るという話だ。が、それをきちんと言うためには、ドラムセットの歴史をたどらなくてはならない。というわけで、オンライン上のできうる限りのドラムセット史の文章を読み、さらに手元のCDをあれこれと引っ張り出す。ベニー・グッドマン楽団、カウント・ベイシー楽団、トミー・ドーシー楽団といったスイング時代の演奏を聞くことは、じつはドラマーの系譜をたどることでもある。だって、ジーン・クルーパー、パパ・ジョー・ジョーンズ、バディ・リッチだもんな。

 ハイハットの誕生はドラムセット史の決定的な曲がり角である。だって、ドラム以外に、手を交差させるのが常態となるような楽器があるだろうか。ピアニストやマリンバ奏者はときに手を交差させるが、それはメロディを引き継いだり声部を増やすための方便であって、いつも交差させているわけではない。ハイハットが登場することによって、ドラマーは右手をハットの上におきながら左手をスネアに置き、まるで両手を括られたように交差させるようになった。そのことで、ドラマーはセットの陰に隠れ、手を交差させ、油断なく身構えるようになった。

 最近、保険会社のCMで加山雄三がドラムを叩きながら視聴者に語りかけているが、彼はハイハットを使わずにライド・シンバルとスネアでリズムを刻んでいる。このため、体は正面に向かって開かれており、いかにもあけっぴろげな「若大将」の構えになっている。逆に言えば、いわゆるロックドラムの構えだと、警戒心が勝ちすぎていて、視聴者に保険を薦めるどころではないのだ。

 シンバルはもともとトルコの軍楽隊から来た。人々を驚かすアタックに引き続き涼やかな余韻を残すためには、特別な合金が必要だった。だからシンバルを作ることはある種の錬金術だった。いまでもシンバルのブランドで有名なジルジャンは、もともと17世紀にコンスタンチノーブルに興った。「ジルジャン」はスルタンのことばで「cymbalsmith シンバル鍛冶」という意味だった。その豪勢な響きはクラシックにも盛んに使われた。

 ドラムセットが登場するのは20世紀に入ってからだ。一人がたくさんのドラムを下げて歩くというスタイルは、もともと軍楽隊の行進用に発達したもので、脚は歩行に使われるためペダルは使われなかった。両足がドラムセットに参加するようになったのは、ダンスバンドが流行し、ショーボートやダンスホールでの演奏が行なわれるようになってからだ。

 もともとドラマーが足踏みするためのシンバルは床近くに置かれていた。これをジルジャンと共同開発してスネアよりも高いハイハットにしたのは、ジーン・クルーパーだともパパ・ジョー・ジョーンズだとも言われている。ともあれ、遅くとも1930年代にはハイハットはスウィングバンドの演奏に取り入れられるようになった。シンバルは脚で素早く解放されては空気をはらんで閉じる。その空気をはらむ瞬間に、スティックの一撃を加えてやる。ハイハットは薄く貴重な空気を急いで吸うようにその身を鳴らす。

 いろいろ聞くうちに、やはりバディ・リッチのドラムは格別だなと思う。彼がトミー・ドーシー・オーケストラでやったBattle Of The Balcony Jiveのシンバルプレイを聞いたらのけぞるよ。この七色の響きはなんだ。
 バディ・リッチはすごい、と改めて分かったので、WWWをあちこち回って、彼が67才のときに吹き込んだという、「The Lost West side story tape」のムービーを見つけた。これまたすごい。スウィングからビバップを経て、80年代まで生き残ってきたこの老練のドラマーがたたき出す微細なフレーズの嵐たるや。眩暈がしそうになる。左手で、ハイハットがふくらむのをミュートし、ときにはトップとボトムをずらせながら音色を変え、右手一本で細かなリズムを叩いていくのだが、これがもう人間の息のようなのだ。これはハイハットというより肺ハット、空気を吸ってふくらみ、身を切るように息を吐く人間の肺であり、つまりハイハットのきしみは肺から吐く血である。ほら、松本隆になった。

   そんなぐあいで、ずっと「風をあつめて」のことばかり考えてながら、はっぴいえんど以外の曲ばかりかけて過ごす。キリンジの「休日ダイヤ」に出てくる「たなびく光化学のナプキン」って「緋色の帆をかかげた都市」だよね。そして、これはきっと、海を渡る路面電車から見た歌なんだ。


20040710

 休日。どこに行く予定もなく、部屋でゆっくりする。久しぶりに昔買ったマレーシア・ポップスのカセットを次々聴くが、湿度と温度の高いこの季節、湿り気を帯びた音とイスラミックな旋律は一気に熱帯への渇望を深くする。だめもとでいくつか検索をかけてみたらLagu-lagu Melayu Popular zaman 50an-80anというすごいサイトを見つけてしまった。数年前に開設されているから、知っている人はとっくに知っていたのだろう。P.ラムリーやサロマは言うまでもなく、マレーシア・ポップスの60年代の動向を音で確認できるすごいアーカイブ。mpeg3化されているせいかいささか音源のしめりけに不満があるものの、聞いたことのない音源も多数あり、興味をそそられる。


20040709

 からだとこころ研究会は井上さん夫妻によるテナガザル研究の発表。テナガザルの手の長さにしびれる。高い樹の枝の上を、長い手でバンザイしながら二足歩行するのだ。少し手がうしろになびいているのは、その手つきでバランスをとっているのだろう。二頭が綱引きするのもおもしろい。綱引きは、どちらかがいきなり力を入れたりゆるめたりしたのでは転んでしまう。うまく綱引きをするには、お互いが引く力の変化を微細に感じ取り、相手が緩めたらこちらも緩め、しかしすぐきつく持ちなおす必要がある。こういう微調整ができるということは、日頃森林の中のつるや枝にぶらさがっている経験がものを言っているのだろうが、それだけではなく、相手の力の入り具合を綱というメディアを通して感じる能力があるということになる。その他、さまざまな弁別実験をこなす様子がビデオに写され、こちらも驚いた。
 そのあと、ハッシュで飲み会。


20040708

 講義にゼミ。「あ」の機能について考える。昼にちょっと宇曽沼まで。湖岸から沼に近づくと、荒神山がどんどん視野に広がってくるのが分かり、強烈な遠近感が生じる。沼付近はやけにフラットで、日本というよりオランダに近い感じの風景。昼飯を食ってラジオ 沼を録音。


20040707

 講義にゼミ。英語学習者のジェスチャーを考えるには、やはりドキュメント感が重要だなと思う。書類を翻すことや、書類を見ることが、想像以上に儀式的な機能を持っている。
 Mixiからお誘いが来る。噂には聞いたことがあるが自分に来るとは思っていなかった。とりあえず行ってみる。情報縁に既存の縁をオーバーレイするという趣向らしい。自分につながる縁情報の更新状況が次々とトップページに集約されていくというところが興味深い。


20040706

 後半ちょっと反応の鈍かった三回生ゼミだが、20秒のインタラクションを対話者一人一人の発話、動作の時系列に注目して別々におこしてもらうという作業をすると、途中でおおというどよめきが起こった。データおこしという作業を経ると、細かいジェスチャーの生起に対する構えが起こるのだろう。ジェスチャー分析実習は
1:データを短く(10秒から20秒くらいがよい)
2:1つのモードをまずおこし切る。
3:一つをおこしたら別のモードに。という手順を踏むのがよいようだ。


20040705

 ここ数日、暑さが尋常ではない。あちこちでウスバキトンボが舞っている。熱帯の気配。

講義のあと大阪へ。NPOセンターで会話分析研究会。榎本さんのデータを見る。三人で話しているときに、体を二人に開くか、特定の一人に向けるかを決める要因にはいろいろあるが、そのひとつに、左右どちらの手を使うかという問題がある。右側の人に対して左手で説明すると、体軸は右側の方の人に向き、さらに左手が前方をさえぎるため、左側の人に対しては閉じた感じになる。逆に、右側の人に対して右手で説明すると、体軸は正面を向き、体は二人に向かって開かれる。この違いは意外に大きい。
 野田駅前の沖縄料理屋で飲み会。徹夜明けだったので早々に引き上げる。それでも帰る頃には夜中近く。


 

20040704

 絵はがき原稿。1889年にエッフェル塔から発信された絵はがきについてはさまざまな文献で紹介されているが、実際の図像を載せている本はほとんどない。ところがネットをあちこち検索していると、フランスの絵はがきアーカイヴのサイトでこの図像を載せているところがあった。しかも文面が読める。すばらしい。さっそくこの文面をネタに文章を書き進める。10枚ほど書き足し。


20040703

 合宿を終え大学に戻り、一安心と思ったら学生から電話。どうやら一人が調子を崩してしまい、救急車を呼んだとのこと。こちらも近江八幡の病院に急行(こういうときに車が運転できないのは融通がきかない)。救急の待合室には仲間の学生が二人待っていた。「そばにいるのになにもできなくてショックだった」と言う。いやいや、合宿明けで疲れているだろうに、ずっとつきあってあげるとはえらいぞ。
 運ばれた学生は点滴を打ってもらい、少し持ちなおした。タクシー、JRで自宅まで送り届ける。帰ってラジオを更新したら急激に眠くなり、そのまま明け方まで寝てしまう。
 それにしてもすごいのはすずおでじを。これね、ドゥーピーズ以来の衝撃ですわ。もうトークちゅうより、このまま楽曲として成立してます。


20040702

 二日目。午前中は昨日に引き続きプレゼンの準備。午後は各班のプレゼンを計4時間。それなりの内容を発表してもらうにはこれくらいのスケジュールでちょうどいい感じ。
 浜の風はほどよい暖かさで、月は明るい。モノクロ映画の夜のような波。八木先生としばし、子供の遊びについて話す。子供がジェスチャーをしたがる動物というと、ザリガニ、カエルらしい。ザリガニのあのハサミは、「手」を差し出している感じに近いのかもしれない。
 人はいつから、自分以外の動物の脚を「手」と認識するようになるのだろう。犬に最初に仕込むのが「お手」というのは示唆的だ。こちらが手を出し、向かい合う相手の脚が、同じ場所に差し出される。「お手」は犬のしつけのひとつというよりも、人間にとって理解しやすいコミュニケーション形式のひとつなのだろう。
 教官陣は午後10時にはぼくを除き沈没。しかし夜更かしが基本のぼくにとっては、夜はこれからである。学生部屋に行き、うだうだと学生と話す。最初はあたりさわりのない話から始まって、おもしろくなってくるのは夜中を過ぎたあたりから。3時半に蒲団に戻る。


20040701

 環琵琶湖実習一日目。オーミマリンで竹生島に。通常のチケットを買うと帰りの便は1時間後に指定してあったが、昨年はこの便だと時間が足りずせわしなかったので、今年は帰りの便を一便遅らせる。実習の無事を祈るべくかわらけを投げ、本殿の透かし彫りをゆっくりスケッチし、弁財天を拝む。弁財天はもともとインドの河の神様。才能の「才」という字が財産の「財」という字になったのは、福徳の神様である吉祥天と混同されたから。その頭の上には、五穀豊穣の神様である宇賀神(うがじん)が乗って、ますます福々しくなっている。しゃもじには商売繁盛を願う文字いろいろ。神様の変化の系譜には人間の事情が反映している。やはりじっくり見るには2時間は欲しいところだ。
 午後二時過ぎに各班に分かれて作業。帰ってきた班からデジカメ画像を回収して、明日のプレゼンの準備。スライドショーにする場合、iPhotoはいろいろ融通が効いて使いやすい。