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20010920


Edinburgh

 石井さんに教えてもらったドイルゆかりの地、Liberton Roadあたりを目指す。宿の主人にバスのナンバーを聞いたら、「ああ1マイルくらいだから歩いて行ったら」。そのとおりで、幼少の頃にコナン・ドイルが預けられていたという家は、幸い宿から徒歩圏内だった。
 周囲は針金で囲われているが、抜け道もあってそばまで近づくことはできる。窓は木板やコンクリートがはまっていて中には入れそうにない。
 まわりを散歩。ショッピングセンターの駐車場の裏にせせらぎがあって、そこからちょっとした上り下りに家が点々と並んでいる。むかしはさぞかしのどかな場所だっただろう。このドイルの暮らした家にマクドナルドが建つかもしれないという問題は、古い建物の保存に関する委員会がリジェクトしたものの、なお係争中とのこと。将来については「I have no idea」だそうだ。家のまわりの庭も手をいれれば美しくなりそうで、地元の団体もいくつか興味を持っている、とのこと。幹線道路側には家の壁にペイントで落書きがしてあって、むごい感じ。

 ロバート・スティーブンソン(「宝島」のスティーブンソンの祖父)によって計画されたWaterloo Place, Regent Road を歩き、カールトン・ヒルへ。ネルソン提督のモニュメントに上って街を一望。まわりに高い建物がない分、ロイヤルマイルよりも眺めはいい。やけに中途半端な神殿があると思ったら、予算不足で中途で建設が止まったらしい。
 そこから降りてまたWaterloo Placeへ。ここは一種の高架橋になっているのだが、両端から途中まで橋に面して建物が扉を開けているので、ちょっと見にはただの道路に見える。真ん中まで来てようやく、その建物は橋の下から建っていたのだと分かる。橋に面して開いている扉はじつは3階や4階だ。
 この高架橋ができる前は、おそらくPrince StreetからRegent Roadまでは、アップダウンの激しい丘と谷だったのだろう。橋を渡し、両側を建物で埋めた結果、高低差をほとんど感じさせず、なおかつ谷を渡っているのだとも感じさせない幹線道路となっている。いまはさほどの人出でもないが、19世紀初頭、まだネルソン提督の威光輝く頃は、おそらくカールトン・ヒルは市内を見下ろす一大スポットだったに違いない。道はそこを中心に大胆にめぐらされている。こうした都市計画にロバートがどこまで関わったのか興味深いところ。

 ロイヤル・ボタニカル・ガーデンの近くまで歩いていく。が、昼に食ったジャケット・ポテトで胸やけがして気分が悪くなり、しかも雨の冷たさにすっかり気分が萎え、適当に南方面のバスに乗る。バスは、目指すホテルへの道をはずれ、どんどん郊外に向かっていくが、二階の最前列から黄土色の丘のなだらかな起伏を眺めていると、もうどこへでも連れてってくれという気になり、ずいぶん先まで行ってから適当に降りる。通りの名前を地図で調べたら、ほとんどエジンバラ地図の端だった。雨はますます強くなる。道の反対側に渡って、また適当にバスに乗って、見覚えのある通りで降りて帰る。

 昨日の中華屋で夕飯。少し気分がよくなる。

 クイズ・ミリオネアーはフランスでもイギリスでもやってるのだが、いわゆる「みのタメ」のように表情筋のみで緊張をあおるテクニックはほとんどなく、どろどろどろどろ、の盛り上がり中も「スペインの、雨は主に・・・平地に降るでした!」みたいにしゃべり続けながら盛り上げる。いかにもイギリスって感じのしぐさとして、解答者から小切手をひょいと取り上げてビリビリのビリに破って後ろに放り投げるというのがあった。
 で、最近イギリスでニュースになってるのは、このクイズ番組で、観客の中の仲間の一人が咳によって解答者に答えを教えていたのではないかという疑惑。なるほど、四択だから符牒を作りやすいわけだ。

 今日のトリビューン紙のひとこまマンガ。地球の表側から米軍の男がトラメガで「2001年9月11日の8時に何をしていた?!」と大きなフキダシ。すると、地球の裏側から小さなフキダシで、「腹ぺこで死にそうになってた」。

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Beach diary