月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



20000131
卒論諮問。こんなときはいつも、評価される側の問題よりも評価するこちらの態度の難しさのほうを感じる。
ついにポケモン(金)を始めてしまう。ちっちゃくてかわいい画面。案の定ハマる。
20000130
性欲研で啄木の発表。とっちらかった。
その後、飲みに行き、夜中の三時に斎藤さん宅。すごい本の量だったが書棚をゆっくり拝見する余裕もなく布団へ。
20000129
さらに。
さかなじゃないとやってられないよ。どんと訃報。拾得にはじめて行ったのは、ローザのマル玉の夕べだったと思う。
20000128
原稿。
20000127
日刊スポーツに「エレベーター40階大落下奇跡の生還」の記事。24日、エンパイアステートビルで44階から4階まで落下したらしい。安全装置が作動したので乗客二人は無事。
20000126
講義で森本レオのマネを実践するもスベる。がっくし。
唐突に、自分がもはや圧倒的にある世代とずれていることを受け入れる。生まれたときからアポロ11号が月に行っていた君たちだって、一蓮托生20センチュリーガール。
でも、時代遅れを自称するのと、気がついたら時代の眼中になかったのとでは、月と地球くらい違う。地球は時代遅れ。

新日本紀行。もろどこかで見た風景だと思いながら、奥能登の御陣太鼓のカラフルな着物に見入ってしまう。国東半島の琵琶法師、琵琶をかかげて曲弾きしながら歌うその姿はほとんどキース・リチャードのよう。
20000125
まだまだ。
今日から翻訳を始める。300頁あるので一日6頁見当か。とりあえず初日ノルマをこなす。なかなか日本語のバラエティが頭に浮かばず、4時間くらいかかる。まあそのうち慣れてくるだろう。
20000124
原稿など。
20000123
一日TVを見てだらだらと過ごす。エディ・マーフィー主演「ネゴシエーター」でエレベーター殺人シーン。戸は蛇腹式でダウンする刑事の姿のカットの繰り返し。

平和堂でぼらの切り身を買ってきて、伊豆で入手した生わさびで食べる。草っぽい匂いの刺し身。

マジック用品などを売っているテンヨーは、やはり松旭斎天洋が創設した奇術用品店を母体としたものだった。テンヨーはランダムドットステレオグラムをいちはやく商品化した会社でもある。

さらに小沢昭一の放浪芸。昔は靖国神社から小川町あたりまでずーっと露店が並んでいたらしい。タカモノ町は高く興行を掲げるからタカモノ町。見世物小屋の力は看板と呼び込みの力。
しかし、このCDセット、けっこう高い。買った時点でなんだか見世物的。金をはたいたからこそ、内容の是非を問わずに楽しむ。いや、いい内容です。
20000122
漆喰はどんどん乾くから、鏝絵は漆喰の柔らい間に短時間で仕上げてしまうんだそうだ。鏝が漆喰の縁をしゃっとなぞったときに、もう絵の輪郭が決まってしまう。鏝と手の描く曲線への信頼によって成り立っている絵。

小沢昭一「日本の放浪芸」のぞきからくりの金色夜叉はほとんど江州音頭。

声に関するいくつかのメモ。

▼語り物の声がフレーズの未来に投げる期待と落とし所。ここまで引っ張るかというほど調子をあげておいて、ひょいと落とす。書き言葉を読むのではおよそ実現不可能な、声の芸。

▼風呂に入りながら、そこらにあるシャンプーや化粧水の説明書きを声に出して読んでみる。すると、自分の中に、アナウンサー的な声の倫理があることに気づく。長文を読むとき、文章の一部を読みながら文章全体の構造を推測し、ここでイントネーションを下げようとかここで区切ろうとか考えている。その推測がハズれると、うまくない朗読になる。

▼いまそばにあるモスバーガーの宣伝文を声にしようとする。

ナチュラルビーフでつくったモスのメニューのなかでも、ジューシーなお肉のうまみをシンプルに楽しめるのが、このふたつのメニュー。ぜひお試しください

いきなりリハーサルなしでこのような文を声に出して読まされるとする。
まず句点まで息つぎなしで読もうと考える。が、それだけでは棒よみになる。句点を発見するまでに、イントネーションとスピードにどのような変化を与えていけばいいか。まず、最初はあまり盛り上げずにそろそろと進む。すると、「なかでも、」という句点を発見する。ここで盛り上げてよいものか。「なかでも」とあるわけだから、その後に、さらに中心的な問題がこの文では語られているに違いない。そこで、「なかでも」ではあまりイントネーションを上げずにやりすごしておく。さらに読んでいくと「楽しめるのが」とある。この「が」から、先の中心的問題はこのあたりだとわかる。そこで、この「が」に向けてピッチを上げる。残りは「このふたつのメニュー」だけだ。やはりここが結論だった。ここはピッチをやや下げて始め、落としておく。そして「ぜひ」でダメ押しとしてもう一度ピッチを上げる。

 おそらく、声優やアナウンサーは、原稿を初めて読みながら、このような判断を次々と下していくのだろう。そのとき、特定の語、特定の句が、その後の文章の構造にどれだけの手がかりを投げているかを瞬時に判断しなければいけない。すごい職業だ。逆に言えば、素人のぼくにも、正しい調子が憶測できるような、ある種標準化された声の技術の世界だ。

▼いっぽう、タンカバイの文句は、朗読ではない。声を出しながら同時に文章を生成していく。声で何度もたどられたことばは、声を従わせようとし、声はそこから逸脱しようとする。そこに文章にするとくどすぎるような語の繰り返し、文章の中断が生まれる。というより、そうした繰り返しや中断が、いまそこで生成されようとしている芸なのだという感じを与えていく。

▼森本レオのナレーションを模写するコツは、ピッチを上げきった後、一気に倍速で文の終わりに到達することだ。「三階建ての↑」と上げきったあと、ピッチを下げ、「家づくり」とスピードを倍にして言ってみよう。ほーら、森本レオっぽさが増す。行為の主体が声になってしまえば後は行為が倍速で自動生成される。未だ達成されざる未来が、商品によって倍速で完了される、そんな声。森本レオのナレーションはそんな風に商品の夢を↑語っているのです。

円朝「牡丹燈籠」の序詞は、速記法の歴史を伝えている。声を記述することへの欲求と速記法の誕生。

 其活発なる説話の片言隻語を洩さず之を収録して文字に留むること能はざるは、我国に言語直写の速記法なきが為めなり。予之を憂ふること久し。依て同志と共に其法を研究すること多年、一の速記法を案出して、縷々之を試み講習の功遂に言語を直写して其片言隻語を誤まらず、其筆記を読んで其説話を親聴(しんてい)するの感あらしむるに至りしを以て、議会、演説、講義等直写の筆記を要する会席に聘せられ、之を実際に試み頗る好評を得たり。
(円朝「牡丹燈籠」序詞/若林坩蔵)
20000121
朝、風呂場で待ち合わせずに部屋で帰ったぼくと相方でケンカ。危うく置いていかれそうになるので謝る。なにしろこちらは車運転できないからな。
長八美術館。長八の鏝絵の中でも、色を抑えたやつ、空気や生物が鉱物に固化する気配のあるやつがすごかった。淡い灰色で描かれた、いまにも漆喰に溶け込みそうな植物。もしかしたら、かつて浅草にあった砂絵というのは、単にはかなく消えるという魅力があっただけではなく、生き物が鉱物化し風化していく、そんな幻惑に魅力があったのではないか。
あちこちに飾られた漆喰模型やかっちりと塗られた建物自体の曲線。空気がにこごってかたまったような正面の左右の壁。建物全体が巨大な鏝絵の複合体って感じ。
道路をはさんだ神社にも長八の鏝絵があるというので行ってみる。鏝絵自体は、向かいの長八記念館の方が味わいがあったが、こちらはなんといっても絵のある環境がいい。蛍光燈を消して見せてくれる配慮もうれしかった。自然光で見ると、漆喰のテラテラしたつやがくすんで、天女の顔に妖しい陰が落ちる。そこではじめて、鏝の鋭く縁どられた目鼻、口元に、この世ならぬ生気が宿るのがわかる。石田(名前失念)の透かし彫りの亀。説明の名調子もあって、昨日から一転、松崎株が大いに上がる。
近くのさくらという店でヤリイカの煮つけとアジのたたきでイッパイ。磯くさいトコロテンのうまいことよ。さらに松崎株上昇。
岩科学校。中に入れば解説の女性と隣りの生き人形の取り合わせ。ランプかざりの鏝絵はやはり天井にあると風情がある。そしてくらがりに長八の鶴鶴鶴鶴鶴。
学校を出て振り返る。正面の両側の松、後ろの山と相まっていや増す立体感。目にまぶしい青空も含めてこれ全部まるごと鏝絵状態。ちょうどステレオ写真に見入ったあとのように、もう、なにもかもなまこ壁のように奥行きが強調されて見えてくる。キッチュすれすれの現実感。

松崎を出て北上、土肥から西伊豆スカイウェイへ入るころには4時半。今日もクリアすぎる富士山が暮れなずむ。そして三島に近づくにつれ、富士山は漆喰に帰っていく。

相方と別れて新幹線の中で石山修武「職人共和国だより」(晶文社)。長八美術館も、松崎も、ほとんど見ていなかったことに気づかされる。見るためには見るだけの眼が必要なのだ。今度は暖かい季節に来て、もっと小さな宿に泊まろう。

帰ると、猫がキッチンペーパーを床一面にちらかしていた。あーあ。

20000120
移動日。天気はいいがやたら寒い。
新幹線で三島まで、そこからゆうこさんの運転で修善寺経由西伊豆へ。快晴で絶景かなの富士見日和。淡島をぐるりと囲む駿河湾の向こうに富士山が立ち上がるのを見ると、初三郎のパノラマはけして誇張ではないことがわかる。日本地図を真上から見るのではなく、水平線近く斜めから見る。湾岸の曲線が大胆な歪む。そして、斜めから見るほうが、よほど立体感が増すのだ。南アルプスも箱根駒ヶ岳も「残らず指点できる」(花袋風)クリアさ。西伊豆スカイラインを進むと、中央の山々の柔らかな稜線が陰日向を移していく。近くでは1000m近い山が熊笹におおわれて狐の毛並みのようにうねる。そう、今日は身体が飛ばされるような西風、車の中は陽射しでぬくぬくだが、一歩外へ出ると、体温を根こそぎもっていかれるような突風が吹いている。伽藍山あたりで降りて熊笹の中を歩いてみたが、あまりの寒さに途中で引き返す。そのまま山中を南下して、海につっこむようなヘアピンを繰り返しながら宇久須に下りる。堂ヶ島あたりは東映のマークが出そうな波しぶきだった。BGMは下田さんの80年代録音「ポータブル・ポップ」。こういう音を出したいってのがすごくはっきりしてるアンサンブル。YMGミーツYMOって感じの佳作。

農協案内所で泊り先を紹介してもらう。とにかく外を歩くとめちゃくちゃ寒いので内湯のあるところを求める。というわけでサンセット松崎。まずは松崎の町中に散歩に出るが、いずこも同じ空き店舗の連続と、これまたあまりの風の寒さにも気が滅入る。夕暮れて、かわいい菓子塔もなんだかうすら寒く見える。宿へ帰って食堂で夕飯、だだっ広い十二畳の部屋、と、なんだか社員研修っぽい雰囲気。「なーんかちがう!」を連発。温泉地ってのは、六畳くらいの部屋で鍋つつきながらのんびりイッパイ、じゃないのか?こじんまりした適当な狭さの宿、ってのをはっきり照会所でリクエストすべきだった。
露天風呂は豪勢、オリオン座を見ながら長湯。
20000119
朝寝してからより道で昼飯。
国図。吉井勇全集、東京日日、スバル、黙阿弥集。
スバルの短歌号(啄木編集)の裏画を描いたフリッツ・ルンプはパンの会の常連で、十二階下を着物姿で歩いていたらしい。ちょっといい話。吉井勇の象徴劇風戯曲は、あてずっぽうの味がある。
帰りに神田で少年小説体系の一巻欠けを買ってしまう。またまた財布が軽くなった。あと、戦前の教育映画本やら、「民謡と詩(昭和3年)」やら。
さて、書き言葉はもういいや。浅草演芸ホールに飛び込むと仲入り前の小遊三の山梨ネタ、危なくてここでは書けない。鶴光のダジャレオチ連発古典。米丸の品のいい語りになぜか戦後すぐのサラリーマンを思い浮かべる。匂いの出る映画があったら、というネタ。師匠、それはジョン・ウォーターズが・・・なんて投書したら次のネタに使っていただけるかしらん。いちばんインパクトがあったのは時事漫談のローカル岡。マイクの前に立っただけですでに無駄な長身がおかしい。ツインピークスの「のーーーー」って言ってる長身の男みたい。雨のせいもあるが、全体的に一月のハレがましさがなかった。
つくしでもんじゃ。荒俣宏「万博とストリップ」(集英社新書)に美人島の話。
広沢虎蔵二代目の国定忠治を聞きながら寝る。


20000118
朝から国図。小川一真撮影の凌雲閣。ごくオーソドックスなアングルだが、感慨はひときわ。凌雲閣爆破説を唱えた塚本靖について。「方寸」の羅馬字漫画号。吉井勇全集。
午後、神田でみんとりさん、茶具さん、こまさん、ぱんさんと、いわゆるオフ会。いろいろいいフレーズが出たんだがことごとく忘れてしまった。これからはいいフレーズ思いついたらメモメモ。あ、「エレガントカシマシ」というのがあったな。あと「手の色が悪い」。ぱんさんのノートが、別に狙ってるわけじゃないんだろうけど、そういうフレーズ満載ですごかったです。お手製DJ生録カセット、聞きてー。
レコード屋で小沢昭一「日本の放浪芸」がCD復刻されてるのを見て全部買う。財布が軽くなった。いったん軽くなると二村定一をはじめ戦前歌謡、そしてそして生田恵子、宝とも子と止まらぬ煩悩。あと、菅野絵葉書、初三郎絵葉書など。さぼうるで反省がてらヨタ話。明星付録ヤンソンの速記広告に「ゴダイゴ」という速記。気がついたらさぼうるハシゴしてた(つまり喫茶と食事)。

岩波同時代文庫の「浅草 −土地の記憶ー」では、十二階関連の記事が手軽に読める。が、シコシコ集めた本が一気に廉価で復刻されたような虚脱感も。
帰ってから、小沢昭一のストリップ・ジョッキー聞き始めて夜明けまで。
20000117
飼っている猫が、子犬に頭からゆっくりと噛みつかれて、目からミルクのような血を出す夢。内容よりも、それを覆っている曖昧で不快なカタマリが、起きた後も続く。結局それは新幹線に乗った後も続いて、Texture Time
急にベートーベンのカルテットが聞きたくなって秋葉原でポータブルCDプレイヤーとCD。クラシックのCDを物色するのはひさしぶり。アルバン・ベルクSQの録音って1200円なのか。プーランクの室内楽集が出てたのでそれも。
浅草へ。金寿司でマテガイ、ヒラタガイ、最後はコノワタとシラコ。そうだった、ここの冬のナマコはすごい磯の味だったんだ。あの味が忘れられなくて、ではなく、来て食べたら思い出した、というずさんなぜいたく。
帰って宿で弦楽四重奏聞き始めて夜明け近くまで。妙な夢見。
20000116
入試監督。何も起こらないことを確認し続ける作業は辛い。とはいえ、何か起こってもらっても困るのだが。国語の問題に出ていた安岡章太郎「走れトマホーク!」はいい文章だった。こちらを省みないロデオの名手に見るアメリカの影も、職業軍人の父親の思い出も、ホームストレッチでぶっちぎれる。
しかし、設問がいかん。納得しがたい教訓的な選択肢を消去法で選ばせるって問題の多いこと。ヤな世界だ。

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