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19991130
夏に録音した音をCDにしました。夏の音だよ!しかも牛と鈴!牛はもーもーいってるし、鈴はちりんちりんするし、あなたがもし都会のアリス、もとい、都会のハイジなら泣けること必至。ハイジじゃないあなたも32分のリスニングトラック聞いてトリップしてください。というわけで、
Cocoa / Cow Cowってタイトルです。ばーい、DJ けろっぐ。
後で吉本におんなじ名前のタレントさんがいることに気づいたり、Gatewayのキャンペーンタイトルとかぶることに気づいたりしましたが、これはサンプリングCDのタイトルです。

鶴見俊輔「限界芸術論」(ちくま学芸文庫)の「円朝における身ぶりと象徴」。ぼくには鏑木清方の肖像画のイメージがあったので、円朝=扇子一本で鬼気迫る怪談を語る名人、という先入観があったのだが、じつはそれは明治期のことで、江戸期には写し絵や道具を繰り出し、早変わりまで使って派手な語りをやっていたという。鶴見俊輔は、そのことを手掛かりに、道具立ての影を見るようにジェスチャーを語っていくのだが、とくに、指示語とジェスチャーの関係の下りにははっとさせられる。

身ぶりのきいているところ。
按摩「へエお痛みでござりますか、痛いと仰しゃるがまだまだ中々斯んな事ではございませんからな。」新左衛門「何を、こんなことでないとは、是より痛くっては堪らん。筋骨に響く程痛かった。」按摩「どうして貴方、まだ手の先で揉むのでございますから、痛いと云ってもたかが知れておりますが、貴方のお脇差でこの左の肩から乳の処まで斯う斬下げられました時の苦しみはこんな事では有りませんからナ。」

(「こんな」「これより」「この左の肩から」と、話し手が言いすすむ時、言語がその話し手の身ぶりと化して、言葉のあいまに、自分の芸をする。こうして、言葉として状況からきりはなしてしまえばたいして指示機能をもたぬ「こんな」とか、「この」という粗雑な言葉が、特殊状況の中にたくみにはめこまれた時には、魔力をふるって、その状況の特殊な恐怖の実質に手をふれさせる。)

(鶴見俊輔「円朝における身ぶりと象徴」)


 ここでは二つの力が示されている。まず指示語の力、指示語がことばの空虚を指し示し、身ぶりへとむかわせる力。そして、指示語と身ぶりがあいまって、そこにはない第二の空虚を指し示す力。それがオバケを産む。
 単に、ことばと身ぶりが対応する、という話でも、身ぶりが何かを象徴する、という話でもないところがこの論のおもしろさだ。身ぶりが自動的に何かを象徴するのではない。そこには何かが示されており、しかも示されている対象はそこにはないのだ、とわからせる力がまず表れる。それが事後的に、なにかの象徴となる。
 だから、ジェスチャー論をする者は、円朝のように、オバケを語らなくてはならない。

森まゆみ「明治東京畸人伝」この肩の力の抜き加減。
市古宙三「中国の近代」で中国史をおさらい。
19991129
絵葉書趣味「書かなかった旅」

の津賀くんたちが来て来年のシンポジウムの相談。うーん、水と未来かあ。どうもピンと来ないなあ。それより吉田初三郎は?と、琵琶湖遊覧案内図を見せる。

黒田硫黄のすがすがしいメトロポリス野球。象は逃げる。ロボットを放つ。
駕籠慎太郎の駅前野球。虐殺は得点の入るリズムで。あ、つまりこれはもしかして金属バットDDR?
「本の旅人」連載の大島弓子は夏に退院。八月に生まれた子供。

昨日、夜にやってた「ファニー・フェイス」を見てて気づいたこと。この映画のアングラ芸術に対する態度と、「喜劇初詣列車」の態度。どちらも喜劇で勘違いなのだが、渥美清はバカやってて、アステアは自分の方がエライと思ってる。オードリーが本屋を荒らされるシーンの「へーい、りっすーん」の叫び声、これはピチカートVの何かにサンプリングされてた。「女性上位時代」だっけな。
19991128
絵葉書趣味吉田初三郎の琵琶湖遊覧案内図の話。

星新一「明治・父・アメリカ」「明治の人物誌」。ショートショートではないドキュメンタリー作家としての星新一の文章は古風かつ素朴かつストレート。父親へのこだわりに過ぎているところがある。にも関わらず、というかだからこそ、星一の資料を手に入れたいまのぼくにとっては心躍る書物群。

 先日、薬屋の蔵から出てきた星製薬の数々のパンフには、店主のものとおぼしき鉛筆の書き込みがしてある。論理を覚えるのではなく訓話を覚える、という勉強。たとえば「科学的経営法の真諦」は「自己発見」「自己開発」「健康」「意志」「親切」などなど自己啓発の嵐。そういえば父の書棚にもこういう本がむかしあったなあ。高度成長期の自己啓発本のルーツはもしかしたら星一なのかもしれない。

 「親切第一」というパンフレットの目次は次のような感じだ。

「先づ自己に親切なれ」
「親切は自己尊重なり」
「正直も自己親切」
「何人にも親切なれ」
「時間に親切なれ」
「職務に親切なれ」
「物品に親切なれ」
「金銭に親切なれ」
「一人一業と親切」
「親切に不景気なし」
「親切は機会を作る」・・・
「日本は世界一の親切国たれ」

 親切、という対人間のことばを、抽象的なできごとや物品に対して使ってしまうあたりが味わい深い。情緒を抽象にねじりこむレトリック。本当は合理的でもなんでもないのだが、情緒がねじりこまれているので、なんだか頭がすきっとして、合理的な精神に触れた気がするのだ。こういうマニュアルを読んでると、昔から経営とか販促とかいうものは、情緒に対して優位に立つ行為だったということがよくわかる。こうした自己啓発ノリが不景気で捻転して、日栄のマニュアルになったり新宗教の教えになったりする。情緒をコントロールしたいという欲望に関わる点で、これらの現象は一致している。

 昔から、とつい書いてしまったが、では、この自己啓発なノリのルーツはどこにあるのか。星一の場合は「自助法」と博文館の「日本大家全集」らしい。「日本大家全集」は明治初期の偉人の文章をかき集めたもので、著作権制度が整っていない時代にうまく商売をした書物ではあるのだが、その出版事情はともかく、当時の血気盛んな少年にあたえたインパクトが大きかったことが、星一の伝記「明治・父・アメリカ」から伺いしれる。
19991127
倉谷さんと高槻の生命誌研究所へ。骨の進化の展示。
青山さん、工藤さんたちと話。「宇宙のはてにはどんな生命がいるんでしょうね」式の質問って、もはや全然科学的な問いじゃないんだよなあ。しかし、世間にはしばしばこうした問いに答えるのが科学者だと思ってる人がいる。などなど。
ポルノグラフィーのアポロ11号の話。
京都へ。ノスタルジックカフェ、コミック談、ジュンクなど。大島弓子「雑草物語」、黒田硫黄、「喜劇駅前殺人」、「谷岡ヤスジ天才の証明」など、マンガあれこれ。
最近パソコンをはじめとする機器のトラブルが多い。もしかして静電気体質になったのか。今日も繰り返すシステムエラー。そして9月からのメールが盛大に消去されてしまいました。
19991126
藤井貞和氏が最近朗読しているらしい、との話を足立さんから聞く。それがぶっきらぼうですごいらしい。
19991125
ゼミ。前田さんのしぐさ研究はあれこれおもしろいネタが詰まっている。もう一年くらいやりたい感じ。もっと考えたいところだが、ばたばたばた。
へ。真本くんに近くの蔵解体の話を聞き、ゴミあさりに行く。一週間ほど放置されてたらしく雨ざらしになっていて残念。濡れた地図とかパンフなどをゲット。薬屋の蔵だったせいか、薬関係パンフ多し。中で出物だったのが星一(星新一氏の父)が経営していた星製薬株式会社のPR誌やチラシ。中学の頃だったか「人民は弱し官吏は強し」は読んだんだが、まったく内容は忘れてしまった。いずれ公開しよう。読み直したらいろいろ発見あるかも。

「つる」ライブ。DJけろっぐ新曲を二曲。「のぞみ号坂を下る」「テレビがえる・ジョン」。ギター練習不足ですんません。

帰ってから明るいところで地図を見ると、なんとひとつは吉田初三郎のだった。琵琶湖のはしからぎゅーんと世界を見渡すパノラマ絵図。こちらもいずれ公開しよう。
19991124
ああもうこんな忙しいのにすましてられへんわ、大学来たらあちこちから声が飛ぶので声のするままあちこちしてたら一日過ぎるちゅうかんじ。

リンダとジェフの講義。通訳を一時間半。ボノボ保護に対する二人の情熱に、ベルギー帝国主義の長い歴史の匂い。とくにコンゴの村人たちの間で取り引きされるボノボの腕のスライドを扇情的に見せるあたりに。その腕の形は人のようだね。でもそれを人のようだと思わない感覚だってある。講義後、二人にマンガ、音頭文化の一端に触れていただく。

竹田くんとMacReflexていう三次元解析装置ととっくむ。いわゆるモーションピクチャーとかで使う、人体にたくさん点つけて動かすアレ。
金沢創「他者の心は存在するか」心の理論と関連性原理の簡潔なレヴュー。これと子安増生「幼児期の他者理解の発達」があれば心の理論についてはわかった気に。自閉症児=心の理論欠如説は暗礁に乗り上げたが、発達段階での心の理論獲得に関してはまだ謎が。
of Social Psychology のノンバーバルコミュニケーションの項は、プレゼンテーションとか欺きなどに重点が置かれていて、特定の表象を持たないタイプのジェスチャー研究とはややギャップあり。

以前から気になっていた「」に登録。登録ずみの人は、ログインしてからいらしてね。
19991123
朝、おかあさんといっしょファミリーコンサートは歴代おにいさんおねえさん総登場。諸先輩の一点の曇りもないエキスを浴びる、新おにいさんおねえさんの感情教育。さかいーやすいーしごときっちり、を地で行くような光景。おにいさん、そこもっとしごときっちり。

和光デンキにすごい行列、どうも今日がオープンセールらしい。こういうのに並ぶのは苦手なので、昼過ぎに行って見たけど、ゲートウェイもマックもないし、ソフトもありきたりなので帰ってきた。向いにはワークマンもオープン。しかし、すでに徒歩圏内に4つも電気店ができちゃったよ。住宅展示場ならぬチェーン店舗展示場的風景。激小でいいから古本屋のひとつもできないもんか。

夜、ベルギーから来たボノボの研究者二人と竹下さん宅で豪華鍋。エレベーターの話から音楽の話。
19991122
徹夜の反動で昼過ぎまでぐーすか。
事務をまじめにこなすと時間が細切れになって考えが進まなくて困る。そのかわり時間はあっという間に過ぎる。まっとうに仕事してるなあ。

夜半過ぎ、風呂につかりながら「マーキームーン」が頭の中で鳴る。それに合わせて、こめぬかーでー洗ったお肌はつるつる、などと風呂歌謡しているうちに、テレビジョンならぬ妄想テレショップビジョンを見てしまう。てなわけでトム・バーラインもしょぼくれること必至の新曲できあがり。ギター練習しよっと。
19991121
動物行動学会で思いついたことをメモ。

進化とは選別の過程なのだから、選ばれるものと選ばれ損ねるものが生じる。進化の最前線が安定状態だという保証はない。選ばれ損ねることに注意すること。スリップは選ばれたものと選ばれなかったものを同時に明らかにする。選ばないという行為もまた、次の行為の資源となる。

コミュニケーションは進化の産物かもしれない。が、それは最適状態だという保証もなければ、最適状態のセットだという保証もない。コンマ1秒単位のコミュニケーションを見ていくと、そこには行為の屍が累々と横たわっている。そして屍でさえ、次の行為の資源になる。

資源とおっしゃいましたが、情報、ということばは使われないのですか?と質問された。情報、といえなくもない。が、情報、ということばには、どこかあらかじめ役にたつことを保証されてるような響きがあって避けてしまう。そうじゃない使い方があるのは知ってるんだけど。

認知には時間がかかる。だから認知は現象に遅れる。そして全知全能の認知はありえない。限られた時間と場所しかスキャンできない。限られた時間と場所をめがけて行為を起こし、それがたまたま別の限られた時間と場所にヒットする。別の行為によって、ヒットしたことを事後的に知る。そのことをあたりまえと思うのは、恋愛をあたりまえだと思うのと同じくらい鈍感なことだ。

Aがオフになる。次にAがオンになる確率は0ではないが低い。いっぽう、わずかに遅れて、Bの行為がオンになる確率が上がる。ただしAがオンになると、Bのオン確率はキャンセルされる。ただしここに認知の遅れがあって、BがAのオンに気付いたときは、もうBがオンになっていることがある。
19991120
徹夜明けで動物行動学会。
ポスターの前で10回くらいしゃべる。
帰りのJRで寝過ごしてしまった。
で、明日のビデオの準備でまた徹夜。
19991119
学会準備。
19991118
三次元解析装置を使ってみる。
19991117
「関連性原理」ってさ、つまり恋愛中のやつらがいかにいやったらしいかを綿々と綴ってる本だと思わない?つまり、これってピーターとメアリーのおふらんす感情教育本なのよ。意図明示行為のわかんなくなった二人にはもはや恋人の資格なんかない、ってこの本は書いてるわけ(ほんとかよ)。関連性原理トリュフォー編とかってないのかしら。

で会話分析してるとどうも重たくてフリーズ率も高く困っていた。SoundEdit2.07だとG3でもさくさく動くことが判明。音声データはSoundEditで、動作はQuickTime Playerでこなすと今までよりはスムーズに解析できそう。問題はQuickTimeのタイムコードが1/30s単位だということだが、これはHyperCardで変換してやればなんとかなる。
の波形ソフトをダウンロードしていくつか試すが、会話分析に使えそうな手頃なやつがあまりない。Awaveあたりがなんとかいけそうか。

19991116
仕事仕事。

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