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19990815




 昨日の午後の調子では、敬虔なこの町の日曜にショッピングは望めそうにない。じゃあどこに行こう? 教会に決まってるじゃないか。というわけで、モンティ・パイソンの"every sperm is sacred" を大声で歌える敬虔な無宗教者のぼくは、町のいたるところから見えるカソリック教会に行く。9時45分、「悲しみのトリスターナ」の冒頭のようなものすごい鐘がミサの合図だ。鐘が打たれるたびに分厚い倍音が重ねられる。幾重にも重ねられた倍音のバウムクーヘンの中に新たな一撃が加えられる。"Visitors do not walk around the church now" と入口に書いてあるので、ますます敬虔さを高めつつ、ミサに集う人に従って門を押す。

 両側の壁にずらりと並んだ図絵、前面中央には磔刑図、左に生誕、右に十字架から降ろされたキリストの彫刻絵。人々の作法に従って席に入る前に跪き、神父のことばが途切れるのに合わせて人々とともに立ち上がると、磔刑図の後ろの鉄柵の向こうでグレゴリオ聖歌の独唱が始まる。
 丸いドームの並んだ高い天井に澄んだ女性の声が響く。一人の歌い手、一つの旋律。しかしそれはひとつの声だろうか。
 この天井の構造には固有振動数らしきものがある。特定の音程で音が豊かになる。聖歌の旋律は、その固有振動数を求めてたゆたう。口蓋と舌が形なす歌い手の小さな部屋、そこで最初の共鳴が生まれる。その部屋は、あるときは平たく、あるときはまろやかにふくらむ。半音あるいは全音で動く旋律に乗せて、異なる部屋の形、異なる母音が発音されていく。やがて口の形が聖堂の形を探り当てる。丸い天井から反響が豊かに響くとき、声は聖堂に託される。天上の声になる。その響きをめぐるように旋律はさらに上下する。聖堂の形に出会うたびに、天の声は強く、いと高くなる。そして、響きから分かたれたつように、離れた音程が放たれる。地上の声、地上のありかが示される。
 声を託す。託された声を声がめぐる。声が声を離れる。

 祭壇の両脇に電光掲示板があって、淡い緑の光が賛美歌の番号を示す。背後から大きなパイプオルガンが鳴り、人々が唄い始める。この、拍子の不確かな通奏底音の進行もまた、地上の声を天から包み込む技術に聞こえる。レゾナンスをあるときは減らし、あるときは加えながら、雲の厚さを測り、光の射し込む場所を告げる。そして、太い低音が響きわたり、暗い聖堂があまねく照らされる。その証拠に、ろうそくがさやかに揺れている。

 説教はマイクを通じてなされる。近代の声は体育会の指導教員の声やヒトラーの声に近づく。拡声を得るかわりに口という部屋を失った声。かつてはこの声もまた、聖堂の形を探したはずだ。神父は近代の引き際を心得ている。そしてまた聖歌。パイプオルガン。それが幾度となく繰り返される。

 教会を出て坂を下り、どこへ行くともなく歩くと、「3D ALPEN PANORAMA」と書かれた文字。4CHFを払って中に入ると、どうやら前世紀末に描かれたアルペンのジオラマ画の展示だ。手前にただの枠が幾重にも組んであるのだが、そのエッジが奥行き感を生む。非パノラマ的な枠があることでかえって生じる立体感。これはこれで楽しい見世物だ。
 絵の山のいくつかが別の平面に書かれていて、回り込んでみるにつれて、遮蔽関係が変わる。その遮蔽変化に捕捉されるように、立体感が生じる。枠に書き割り。つまり、このジオラマはピープショーの巨大版というべきものだ。

 そして立体感を強調するもう一つの道具として、19世紀末から今世紀前半にかけてのさまざまなステレオヴュワーとステレオ写真があちこちに展示されている。ステレオ写真を見たあと、しばらくの間、現実の立体感が妙に強調される感覚に陥ることは、ステレオ愛好者なら誰しも経験することだ。ここでのステレオヴュワーの展示も、そうした効果によってジオラマの立体感をより煽るのにあずかっている。
 ガラス乾板にプリントされたものを回転させて見るヴュワーには涙が出た。前の写真から次の写真に映るときの、クロスフェードでもワイプでもない、映像が折り重なり、遠ざけられていく交代。コインを入れる口がある。かつては金を入れて回して見ていたのだろう。いまはストッパーがはずされているのか、回し放題だ。
 ここは長いこと閉鎖していて2,30年前に再オープンしたそうだ。パノラマ館というよりはジオラマ館というべきものだが、たぶんブルバギのパノラマができてほどなく、それをなぞるように作られ、名づけられたのだろう。展示物は充実しているのだが、パンフもブックレットもない。もったいないことだ。
 係の女性としばし話す。「パノラマが好き?ステレオ写真も好きなの?じゃシスティナ聖堂には行った?まだ?じゃローマは?まだなの?ローマはマスト。システィナ聖堂こそあなた見るべきよ。わたしは一日中いたわ。あなたにはマストね。」なんだかこの女性も、ホテルの受付の女性と口調が似ている。イタリア系なのかな。

 ここからほど近い場所に修復中のブルバキのパノラマがある。掲示によると、修復後は図書館とレストランが併設されるらしい。メスタグのパノラマのような周到な修復だといいんだけど。

 ホテルに戻ってしばし休んでから、丘に沿って建てられた塔の連なりを見にいく。各国語の載っているパンフに中国語の名前が載っているのがおかしい。諾里塔、曼里塔、瞭望塔、守望塔、古鐘塔。で、昨日閉まっていた第二の塔、曼里塔の扉が開いている。そこから長い階段が続いて、もういいと思うあたりで屋上に出る。昨日、町から見えたおもちゃのような像は、勇ましい騎士の大きさになって目の前に現れた。これなら平地戦で敵が一望できる。
 瞭望塔は途中で行き止まりになっていてそばの扉からは外光が射している。その扉をくぐると、そこは古鐘塔への道だ。違う時間に訪れて違う道のりをさぐりあてる。なんかダンジョン・ゲームみたいだな。というか、ダンジョンとか迷路とかで使われる、知っている人だけが通過できるルートというのは、こういう戦略的な場所に端を発しているのだろう。

 日本ならそろそろ日暮れだがまだここは明るい。チラシでみたOpen Air Kino Luzernに来てみる。オープンエアで映画とは幻燈的でいいじゃないか。Latsの「Mat Sam」や「恋恋風塵」の、薄暗がりの野外上映を思いだしてしまうよ。それにしても地図も開始時間も書いてない愛想のないチラシだ。通りの名前を頼りに、日曜の人気のない工場地区を抜けて歩いていくと、どうやらそれらしい人々が集まっている場所に来た。

 ab. 19:30 UHR とあったので、少し早めに来てみたのだが、開始は21:00らしい。そりゃそうだ、まだ明るすぎるもんな。じゃ、1時間半も前から集まってるこの人たちはこれからどうするんだろう(ぼくも含めて)。とりあえずチケットを買って場内に入ると、スクリーンの後ろには湖畔が開けていて、対岸のLuzernの町並みが見渡せる。まずは席取り。60席31列と、けっこう大規模の特設場だ。オープンエアだからむろん屋根はない。そのど真ん中にウィンドブレーカーを置く。
 次は腹ごしらえだ。ミーゴーレンがなんと15CHF(約1200円)。値段もとんでもないが中身もとんでもない。スタッフのねーちゃんがソバがわりの茹で置きのパスタと作り置きの具を、中華鍋にてんこ盛りにして、電気コンロの上でどっちゃりざっくり混ぜて作ってくれる。このなんともすさまじいミーゴーレンが、またやけに売れているのだ。ぼくの後ろの長い列を見て、ねーちゃんは鍋にもうこれ以上入らないというくらいパスタを追加する。そしてそれが目の前で、にちゃりにちゃりとかきまぜられていく。えらいことになってきたな。
 さて、そのにちゃりにちゃりから無理矢理引き上げるように取り分けられたミーゴーレンの味は。うーん、これはですね。とんでもなく塩辛い。瓶詰めのオイスターソースをじかに食ってるみたいな味です。アジアの一翼を担うものとしてミーゴーレンのなんたるかを教えてやりたい。が、いやというほど肉が入っていたので、この3日間、肉といえばホットドッグしか食っていなかった敬虔なわたくし、あっというまにたいらげてしまいました。

 そしてゆっくり暮れていく曇り空と山と湖を楽しみながら、腹の中のにちゃりにちゃりとつきあっているうちに、1800余りある席は満員になってしまった。今日かかるのは「Waking Ned」というアイルランド映画。ぼくはこれを飛行機の中で見て、バイクを素っ裸でぶっとばすイアン・バネン、デヴィッド・ケリーという二人のジジイに参ってしまったのだ。
 まずは広告映画。暮れなずむアルペンの空と湖の土手っ腹にあいた、どでかいスクリーンの穴、その中で西部劇風のガンマンが見栄を切り、ちゃちなセットに砂塵が舞う。その、ごう、という音だけはまるでこの暗い曇り空からかぶさってくるみたいじゃないか。笑っちゃうような立体感。サーフィンで肌を焼く男の汗は、四角い枠から飛び散って、湖に落ちて湯気を立てるようだ。
 そして本編は、ブラウンビールの色をした丘、スタウト色の森、鈍いオレンジ色の海だ。映画の水平線と湖の水平線が危うくすれ違う。豪雨の音が鳴り響くと、幾人もの観客が空を見上げる。映画の雨の冷たさにぞっとして、ぼくも思わず見上げる。すっかり暗くなった空にカシオペアが見える。
 ご都合主義で得た聖なる金を、フルーツ石鹸と豚の匂いとアイルランドなまりの会話で言祝ぐ、香り高い物語。デヴィッド・ケリーの痩せた裸に会場は爆笑の渦。ここ、銀行とアルペンとキリスト教の地に、四角くぶち抜かれるにふさわしい映画だ。

 スクリーンの後ろを、遊覧船の灯がすべるように進んでいく。湖の冷たさをなぞるかのようだ。夏とはいえ、スイスの夜はしんしんと冷える。周到な人は毛布を用意してきているほどだ。1時間半の上映するのに、途中10分の休憩が入る。みんないそいそと暖かい珈琲を買いに行く。そうやって一本の映画を、日曜の夜を、ゆっくりと解かし、味わいつくすのだ。

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Beach diary