Texture Time: 016 February 1998
京都 -> 南彦根
眠るということは信頼だ。
98.2.16 11:35 PM
人が眠るときに、何かを仮託している。
98.2.16 11:35 PM
死に対して仮託している。
98.2.16 11:35 PM
覚めたときに対する信頼。
98.2.16 11:36 PM
それは死にたいする信頼でもある。
98.2.16 11:36 PM
たとえば、ぼくはいま、近江八幡に着き、「おうみはちまん」とかんていりゅうに似たフォントで書かれた文字を見た。
98.2.16 11:37 PM
その文字に違和感を感じた。
98.2.16 11:37 PM
と同時に、それを「違和感」として受け容れる自分を感じた。
98.2.16 11:37 PM
違和感を受け容れる条件。
98.2.16 11:37 PM
そこでは赦されている。
98.2.16 11:37 PM
赦されないことが赦されている。
98.2.16 11:38 PM
どこででもそれは生じるわけではない。
98.2.16 11:38 PM
列車は、赦されないことを赦す場である。
98.2.16 11:38 PM
列車で眠るということは、赦されないことを赦すということである。
98.2.16 11:38 PM
ぼくはいまこうした思考を書かねばならない、という責務を自分に課している。
98.2.16 11:39 PM
だから眠れない。
98.2.16 11:39 PM
もし眠ったら、この責務を完了できないような気がしている。
98.2.16 11:39 PM
いま書いているこの時間は、寝過ごす、という時間と対極にある。
98.2.16 11:39 PM
寝過ごせない時間をぼくはいま生きている。
98.2.16 11:40 PM
この列車に対する不信を生きている。
98.2.16 11:40 PM