1940〜50年代の音楽について「曲調のすばやい変化」「引用の多さ」といった特 長がすぐ思い浮かぶ。じゃあくるくる変わって引用が多いことがつまりは魅力な のか、というとちょっと違う。 ここで唐突に大上段から振りかぶると、アニメーション音楽の魅力は、音楽が映 像に対して、比較の対象を思いがけない形で指摘するときに生まれる。 いっぽう、音楽が映像の意味を与えることでは、魅力は生まれない。 たとえば、「おもしろい曲調」によって「おもしろい」という意味が映像に 与えられたとき、そのアニメーションはまったくつまらなくなる。どんなに 曲調がすばやく変わろうと、ひとつひとつを「おもしろい曲調」「朝食の曲 調」「追跡の曲調」などなどと意味づけして回るだけの音楽はつまらない。
じゃあどうすりゃつまるのか? スコット・ブラッドリーが実際につけた音楽を例にとろう。 「Northwest Hounded Police (迷探偵ドルーピーの大追跡)」で、 監獄からウルフィが逃げるとき、 監獄の壁づたいに忍び足で歩くカットがある。 ウルフィは看守の部屋のドアの前を通り過ぎるとき、 歩けないはずのドアの縁づたいに歩く。こんな具合だ。
さて、これにどうやって音楽をつけるか? すぐに思いつくのは、「ドアの縁を伝う」という音楽をつけることだ。 そこが「ギャグ」の部分なんだから。 つまり、忍び歩きのテーマとドアの縁を伝うテーマの2つに分ければよい。 でも、ブラッドリーはそうはしなかった。 映像と音楽は時間を追って流れていく。「ドアの縁を伝う」というのは、 時間とともに明らかになっていくできごとで、はじめから判っているわけではない。 そこのところをブラッドリーはよーく知っているのだ。 彼はこのカットを次のように分けた。
1:忍び歩きの部分(オーボエのソロ) 2:ドアを上る(オーボエ + クラリネット) 3:ドアの水平部分を歩く(オーボエのソロ) 4:ドアを下りる(オーボエ+クラリネット) 5:忍び歩きの部分(オーボエ+クラリネット+フルート) |
1ではウルフィはただの忍び足。 オーボエがソロを鳴らしている。 1でオーボエは「歩く」という描写を担った。 2でウルフィがドアを上る。 1の続きだから、 2でもオーボエは「歩いて」いるように聞こえる。 しかし2にはクラリネットが加わって 別の上昇メロディを奏でている。 クラリネットが加わることで、 「歩く」ことの意味は1と2の間で変化した。 どのようにか。 3で、ウルフィは水平部分を歩き、 クラリネットは一旦音を止める。 ということは、水平部分で失われるなにかを、 クラリネットは担っている。 4で、ウルフィが下り、 再びクラリネットが別の下降メロディを奏でる。 つまり、クラリネットは上下に、重力に関わるなにかだ、 とここで分かる。 5で、ウルフィはドアを無事越えて、 再び水平方向の忍び歩きに戻る。 しかしクラリネットは止まずに、上昇メロディを奏でる。 クラリネットは上下に、重力に関わるなにかではなかったのか? だとしたら、5では何が上昇しているのか? 5ではそれまでと違う何かが起こっているに違いない、 だってそれまで聞こえなかったフルートが入っているから。 |