絵はがき映画


カレル・ゼマン「彗星に乗って」



 絵はがきをのぞき眼鏡でじっと見つめている間に、だんだんそこに写っている世界に入り込めそうな気がして、気がついたらほんとに入っていた・・・と書くと、まるでジャック・フィニィの「ふりだしに戻る」みたいだけれど、絵はがき愛好家の中には、各地の風景写真絵はがきを集めるだけでは物足りず、かつて撮影された場所を探し当て、その場所にじっさいに立って絵はがきの時代を想像し、ないはずの建物や倒されたはずの樹や埋められたはずの湖の気配がして思わず鳥肌が立ってしまう、なんて経験の持ち主が少なからずおられるのではないかと思う。


 私もご多分に漏れず、現在住んでいる彦根の昔の絵はがきを片手に撮影場所を訪ね歩いたり、名所絵はがきに写っている看板や幟の文字を読みとって明治や大正の新聞記事とつきあわせたり、といったことをしていて、この「思わず鳥肌」体験をしたことがある。風景絵はがき、とりわけ解像力の高いコロタイプ印刷の絵はがきには、世界を喚起させる強い力がある。


 ところで、絵はがきには映画や小説や演劇に題材をとったものが多いけれど、逆に、こうした絵はがきの魅力を描いている映画や小説や演劇がないものだろうか。絵はがき映画、絵はがき小説、絵はがき劇、あれこれ思い出してみるのだけれど、意外に思い当たらない。
 私の乏しい映画体験の中で思い出せる映画が一つある。カレル・ゼマンの「彗星にのって」。ゼマンはチェコ・アニメーション映画の作家として有名で「水玉の幻想」や「悪魔の発明」など数々の作品を撮っている。「彗星にのって」もその一つ。タイトルからは想像もつかないが、これが素敵に絵はがき的なのだ。
 映画は年老いた将校の昔語りから始まる。かつての兵役時代を思い出しながら老人の手は数々のエキゾチックな絵はがきを繰っていく。その絵はがきに書き込むかのように重ねられるタイトルとスタッフ。このイントロだけでも、絵はがき好きなら参ってしまうこと間違いなしなのだが、物語の本編もまた絵はがきによって始まる。
 主人公は、ある北アフリカの街で一枚の美人絵はがきに魅せられる。その美人を空想するうちにうっかり崖から転落して溺れたのをきっかけに、別世界にまぎれこむ。
 この別世界というのが、なかなか楽しい。船体や建物のセットには版画のきめをなぞるように横縞が描かれている。鳥や馬などの動物、果ては人間の衣服まで縞模様。まるで、ぺらぺらの紙の世界。絵はがきを三次元化したというより、二次元の絵はがき世界に生身の人間がまぎれこんでいるといった風情。ゆったりとしたテンポながら全編絵はがき世界へのオマージュとも呼べる映画で、別世界から帰還するラストもまた絵はがき愛好家なら泣けてくるシーンだ。

 「彗星にのって」は、かつて日本でビデオ化されており、中古ビデオのコーナーなどで見かけることがあるが、ビデオでは画面の端が切れているのが残念。運よく上映会の案内に見つけたら、ぜひ出かけられるとよいと思う。


(日本絵葉書協会会報 2002)
*2003年8月から東京を皮切りにカレル・ゼマン・レトロスペクティブが行なわれている。京都は11/9からみなみ会館で。

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