美人や風景だけが絵葉書になるのではない。事件もまた絵葉書になる。いや、美人や風景もまた、事件だったのだ、なんて魅力的な論を展開しているのは、佐藤健二「風景の生産・風景の解放」(講談社メチエ)。この本では、明治・大正期の絵葉書が、新聞や写真雑誌のような機能を持っていたことが指摘されている。絵葉書趣味者必読の一冊。

 では、そうした「事件」絵葉書はじっさいにどう使われたか。ここに挙げたのは横浜グランドホテルの倒壊写真の絵葉書。消印は大正12年10月20日。つまり関東大震災の50日後だ。発信者は東京在住で、ロンドンにいる友人にその後の東京・横浜の様子を綴っている。文面は、お見舞いのお礼に始まり、震災後の「屋根から国技館がよく見え」といった生々しい描写を綴る一方で、「グランドホテルにはまだ大多数の死者埋没され」と写真についての新聞調の解説を行なっている。書き手は、絵葉書に印刷されたできごとの力を感じながら、自分の体験と事件との間を往復する。
 絵葉書は、事件の伝えるとき、マスメディアとパーソナルメディアという二つの段階を経る。絵葉書屋などの店頭で売られる段階では、マスメディアだが、いったん入手された絵葉書は、今度は郵便という手段によって、パーソナルに伝わる。裏には、写真という複製可能なできごとが印刷される一方、表の通信欄には、個人の手書きの記事が書き込まれる。
 読み手の前には、一枚の絵葉書があって、その表裏に事件が描かれている。印刷された写真と通信欄に筆記された個人の体験が組合わされ、事件を明らかにする。写真は事件の「表」を写し、通信欄は事件の「裏」を綴っている。
 写真という事件を見て裏を返す。通信欄の上の宛名書きに、読み手は自分の名前を発見する。事件の「裏」を知る差出人の名前がその横に記されている。  絵葉書の表書きは、写真という事件の「裏」だ。この表裏の逆転こそが、新聞や雑誌にはない生々しさを産む。

19991016


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