ピョンコ節・ブギウギ雑考




シャッフルはどう書く?

むかし、学校のブラスバンドにいて譜面を書いていたころ、
シャッフルをどう記譜するかというのは悩みのタネだった。

ジャズ系の人は、普通に八分音符を二つ並べても、「これはひとつめを長めに伸ばしてふたつめは短く演るのである」とわかる。というか、即、そうなる。ところが、ブラスバンド系の人には、これがわからない。たとえば、昔、スティービー・ワンダーの「愛するデューク」が吹奏楽用にアレンジされてあちこちのブラスバンドで演奏されていたが、ぼくは何度かこの曲が(あのスキャット部分も含めて)ただの8分音符で演奏されているのを聞いたことがある。ものすごくかっこ悪いんだ、これが。

どうすれば「シャッフル感」がわかってもらえるのか。4/4を12/8に開いて書いたり、三連符を多用してあちこちに「3」の字を入れてみたことがあるけど、「読みにくい」と不評だった。では、4/4で書いて付点8分16分で書いたらいいのか。いや、シャッフルは付点8分16分で書くほど後づまりしていない。個人差だってある。エルヴィン・ジョーンズのトップシンバルのリズムをどうやって記譜できるか。
そもそも、三連とか付点とかで、あのシャッフルは表現できるのか?

ピョンコ節というリズム

で、最近、*腹巻猫さんの劇伴倶楽部の掲示板で軍歌や軍国歌謡のリズムの由来の話を書いていて、これと似た問題に気がついた。それは日本のピョンコ節、と呼ばれるものだ。

ピョンコ節、とは、明治二十年代の唱歌ブーム以来、日本中を席巻したリズムだ。たとえば「うさぎとかめ」を歌ってみよう。「もっしもっしかっめよーかっめさんよー」ほら、ぴょんこぴょんこはねる。「うさぎのダンス」はどうだ。「たらったらったらったうっさぎのだんすー」ほら、ぴょんこぴょんこはねる。うさぎだけじゃないぞ。「汽笛一声新橋を」ほら、鉄道唱歌もはねている。「てーきーはいくまんあーりとてもー」軍歌もはねている。というわけで、このピョンコ節は、唱歌を中心に明治以降のさまざまな有名曲に使われている。日本の音楽教育環境に育つと否応なく身につくリズムなのだ。

ピョンコ節の記譜と実際のリズム

ピョンコ節がどう記譜されたかを見るとおもしろいことに気づく。
団伊玖磨「日本人と西洋音楽」(NHK人間大学テキスト)に「鉄道唱歌」と「うさぎとかめ」の作曲譜写真が載っているが、それは付点八分と十六分で書かれているのだ。しかし、じっさいに譜面に忠実なリズムでやってみると、これは後ろに詰まり過ぎていることがわかる。どちらかというと、三連に近い。12/8で書いた方がよいのではないか、と思える。 では、ピョンコ節はぴったり12/8のリズムなのか?うーん。個人的には三連より少し後ろの拍が短めのような気がする。シャッフルやスイングだけでなく、和製リズムにもまた、記譜するには悩ましい微妙な中間領域があるのではないか。

実際の演奏や歌の拍の割合がどれくらいになっているかは、いろんな演奏や歌を分析する必要があるだろう。もしかしたら世代間格差もあるかもしれない。いまなら、波形ソフトで拍の割合を簡単に測定できるから、老若男女に「うさぎとかめ」を歌ってもらったり、今昔の音盤などをゲットして、「ピョンコ節のリズム解析」なんてのはどうか。おもしろいポピュラー音楽研究になると思うんだけどなあ。それともすでにこういう仕事があるんでしょうか。音楽研究に詳しい方、教えて下さい。


ピョンコ節のアクセント

さて、ここまで考えると、いわゆるシャッフルやスイングとピョンコ節を比べたくなってくる。二つの音の前を長め、うしろを短めにする点では、どちらも同じだ。しかし、ピョンコ節とスイングとは圧倒的に違う。たとえばピアノで「セントルイスブルース」を伴奏するときと最近のいわゆるズンタズンタ調で「うさぎとかめ」を伴奏する場合を考えるとよい。もし「セントルイスブルース」をピアノで「ズンタズンタうさぎとかめ」風に伴奏すると、やけに跳ねて落ち着きがなくなってしまう。「ズンタズンタうさぎとかめ」では、前拍と後拍が均等に配分されているため、後ろの拍がクド過ぎるのだ。逆に、「うさぎとかめ」を「セントルイスブルース」風に伴奏してみると、これも妙にのたくっていておかしい。ピョンコ節から見ると、スイングは後ろの拍が物足りない。

ピョンコ節にはいわゆるスイングと違う点がもうひとつある。それは、ほとんどのメロディが前拍で始まり前拍で終わる、という点だ。たとえば「もっしもっしかっめよ」と歌ってみればわかるが、「も」も「よ」も前拍で、構造はいたって平明だ。一方、スイング系の曲の多くは、後拍からのメロディ、後拍での終止を各所に用いることで、リズム隊の隙間に開始点を設け、音楽を揺らせる。 ピョンコ節、は単にタイミングの問題だけではなく、アクセントの問題であり、リズムとメロディの関係の問題でもあるのだ。

ピョンコ節とブギ

ところで、「セントルイスブルース」を「ズンタズンタうさぎとかめ」風に伴奏してみると、なにかに似ていることに気づく。そう、和製ブギ。服部良一・笠置シヅ子のコンビが戦後に放った「東京ブギウギ」に始まる一大ムーブメントだ。セントルイスブルースの後拍を主体にしたメロディと、うさぎとかめのはねるリズムの組み合わせが、あの和製ブギをほうふつとさせる。

服部良一のブギウギがいわゆるスイングと大きく違うのは、後拍の強さだ。「東京ブギウギ」の主な部分ではピアノやホーンの低音部がドドソラドドソラと常に前拍後拍を均等に奏でている。スイングというには後拍に力が入りすぎているが、これがピョンコ節に似たアクセントを感じさせる。ブギのリズムが戦後に爆発的に流行したのは、明治以降培われてきたピョンコ魂に、訴えるものがあったからではないだろうか。もしくは、ブギのリズムが、明治以来のもっちゃりしたフォックストロット調の「うさぎとかめ」を「ズンタズンタうさぎとかめ」として蘇生させたのではあるまいか。

吊革に揺れるリズム

といっても、和製ブギは、服部良一が日本従来のピョンコ節に浸ってスイングしそこねた結果生まれたのではない。服部良一・笠置シヅ子のコンビは、すでに戦前に「セントルイス・ブルース」をはじめ、「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」など、いま聞いてもゴキゲンなスイングをリリースしてピョンコ節から脱している。大阪のカフェーやダンスホールでサックスを吹きジャズバンドを結成し、フィリピンのジャズメンたちと交流し、ジャズに親しんでいた服部良一は、前拍に強弱をつけながら後拍を軽くそえていく非ピョンコなスイングを、早くから的確に奏でていた。その服部良一が戦中に「ブギウギビューグルボーイ」を聞きながら暖め、戦後に花開いたのが笠置シヅ子が歌う一連の和製ブギなのだ。

戦時中、「夜来香幻想曲」ですでにブギを使っていたという服部良一は、それが自分の体を通してわき上がってくる瞬間をいつも待っていたに違いない。 リズムはやがて、中央線の満員電車の中で、彼の体にわき起こった。
吊革にぶらさがり、疲れた体を電車の振動にゆだねていた服部は、レールを刻む電車の震動が、アフタービートに揺れる吊革にかぶさるように八拍子のブギのリズムとなって感じられた。(「服部良一の音楽王国/エイト社」)
「東京ブギウギ」が、ピョンコ節を席巻させるきっかけとなった「鉄道唱歌」と同じく、列車に関係しているのは、ピョンコ節との関係を考える上で興味深い。轟音の中でレールの継ぎ目を二つの車輪が越え、また二つの車輪が越えていく音は、体を縦に揺らし、独特の跳ねるリズムを産む。ピョンコ節もブギも、このリズムをなぞったものだろう。

しかし、吊革にぶらさがっているからだには、床からの縦の揺れは干渉され、そのかわり吊革の振り子のような揺れが強く感じられるに違いない。その揺れにからだを委ねながら、ブギをずっと考え続けてきた胸の振り子が鳴る鳴る。「東京ブギウギ」のリズムは、そんな瞬間を思い描かせる。

揺れる手、揺れるブギ

服部良一は後拍を鳴らすことで、従来のスイングとは全く違った前進感を得た。そして、それはピョンコ節とも異なる揺れを持っていた。揺れはどこから来るのか。それは笠置シヅ子の歌声からだ。彼女の声によって、リズムは揺らされる。後拍で始まり後拍で終わる彼女の歌が、曲を揺らせ続け、ピョンコ節にはない躍動感が生まれる。つまり、アクセントはピョンコ節、メロディのリズムはスイング、この奇妙な取り合わせが、ほんにそやそやそやないか、なブギ感を生んでいたわけだ。

記録映像の中で、笠置シヅ子は、てのひらを下に向け、何かの高まりを感じながら、何かをおさえるように、その手を左右に揺らす。そこで高まろうとしておさえられ、揺らされ、新たなリズムのゆりかごとなっていたのは、もしかしたら、明治以来のピョンコ節ではなかったのだろうか。



*この項を書くにあたっては、腹巻猫さんの劇伴倶楽部に多くの刺激を受けた。






to Cartoon Music! contents