The Beach : Oct. 2004


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20041031

 ハッピー・ハロウィーン、ということなのか、明け方に突如ドアをノックする音が。これが噂のトリック・オア・トリートかと思い覗き窓を見ると、見知らぬ兄ちゃんが呆然と立っていたのでシカトする。

 日本で終えることのできなかった原稿に勤しむ。近くのスターバックスは学習行為者で満杯。 1km離れた the Bordersのカフェも勉強する学生でいっぱいで、かろうじてひとつ席を確保する。日本だと私は孤独な学習行為者なのだが、ここに来ると、単に家で勉強できないお仲間の一人に過ぎない。
 一番人気という Mocaを頼んだら死ぬほど甘く、辟易とする。これだけ砂糖をどっちゃり入れた飲み物を何の注意もなく出しておきながら、コーヒーのミルクにはwholeとunfatがあったりする。変な国だ。そういえば、昨日、カリフォルニア巻きというのを試してみようとデリでパック寿司を買ったら、レジで「Heavy or Lite ?」と聞かれた。なんのことかわからなかったが、じつは醤油のことだった。寿司の醤油に濃口と薄口があるのか。パックの中には、罰ゲームに使うのかと思うほどどっちゃりワサビが入っている。中には、スパイシーな味付けをしたやつもあり、食感こそ寿司だが、味覚的にはスナック。アボガド寿司はけっこういける。愛用することになるかも。

  the Borderで「二次元の世界 flatland (by E. Abbot)」購入。19世紀ヴィクトリア朝の数学者が書いた、平面世界から見た立体世界というSF。 1838年に生まれたアボットはまさにステレオグラム勃興期の渦中にいたはずで、ヴィクトリア朝の立体感覚を考える上でもおもしろい。それにしても昔読んだ都築卓二の「四次元の世界」って、この本をヒントにしてたのかな。同じブルーバックスから翻訳が出ていたのだから、ありそうなことだ。

  ブレイクの「虎」を訳しておく。この詩は有名だから、たぶん他にもいろんな訳がありうるだろう。

 

 虎、虎、燃えさかる光
 そこは夜、森の暗がり
 どんな不死の手や眼が
 おまえ、恐ろしの対称模様を造りたもうたのか?
 
 どれほど海深く空高くなのか
 おまえの眼の火が燃えさかっているのは!
 どんな翼で神は高みに昇るのか?
 どんな手でおまえの火をつかむというのか?
 
 どんな肩で、そしていかなる方法なのか?
 おまえの心の臓をねじまげてしまうのは?
 そしてもしひとたび、その心が脈打ったなら
 どんな恐ろしい手で?どんな恐ろしい脚で?
 
 槌には何を? 鎖には何を
 どんなかまどがおまえの脳髄を作りあげたというのか?
 鉄床には何を? どんな恐ろしいこぶしなのか
 その途方もない恐怖をわしづかみにするのは?
 
 星々が光の槍を投げおろし
 天空がその涙で満ちるとき
 神は自分のできばえを見て微笑を浮かべたのか?
 子羊を作りたもうた神がおまえを作りたもうたのか?
 
 虎、虎、燃えさかる光
 そこは夜、森の暗がり
 いったいどんな不死の手や眼が
 おまえ、恐ろしの対称模様を造りたもうたのか?
 


20041030

 ホテルの朝飯はフロントのプラスチックケースに並べられたパン。サンタモニカ大通り沿いのこのホテルは、なんというかあちこち雑然としていて、いかにもアメリカに来たなという感じがする。部屋を出てすぐのところに本屋がある。朝から空いているので珍しいなと思ったら、モルモン教の本屋だった。さすが目の前にモルモン教会があるだけのことはある。ジョセフ・スミスの伝記とかNephiがどうしたとか三本の樹がこうしたというような本がずらり。しばし立ち読み。
 コンビニ。とにかく野菜が不足しがちなので、「Crunchie Munchies」という、ごつい野菜スティックの入ったパックを買う。日本の三倍の太さはあるな。なるほど、ぽりぽり、むしゃむしゃという感じ。

 ホテルからバス停までは数百メートル。大通りには横断歩道が少なく、交差点をコの字型に迂回しなければならない。車社会バンザイというところか。ついでなのでWestwoodをあちこち歩いてみる。徒歩圏内にBorderという大書店&CDショップがあったが、日本の郊外書店に似てピントのぼやけた品揃えだった。だって、クリス・ウェアがクインビー・ザ・マウス以外にないし、バラードが一冊もない。Yo La Tengoが二枚しかないし、グールドが二枚、ファジル・サイはなし。わたしからすればこれでサヨナラ。

 1番のバスでUCLAへ。大学内の地理を把握すべく(とにかく広いのだ)あちこち散策。シェーンベルク・ホールというのを見かける。そういえばシェーンベルクはナチズムの台頭時にアメリカに亡命してハリウッド音楽に影響を与えたんじゃなかったっけ。さっそく入ってみると、ここには音楽図書館があった。外部の人間でも自由に入れて、しかも蔵書が充実している。さっそく「シェーンベルクの旅 Arnold Schoenberg's Journey (by Allen Shawn 2002)」なる本をひもといてみる。と、やはりシェーンベルクは渡米後、ここ UCLAで教えていたことがわかった。

 シェーンベルクは8才でバイオリンのレッスンを受け始めたが、それとは別に、大きなヴィオラにチターの弦を張り、それをチェロのように足にはさんでバイオリンの運指で弾くという「自家製チェロ」奏法を勝手に編み出していたらしい。宇波くんがコントラギターでボサノバを弾くようなものか。
 シェーンベルクはワグナーとブラームスから大きな影響を受けた。ブラームスというとずいぶん古い人のような気がするが、彼はとても長生きだったので、19世紀末もまだ旺盛に作曲をしていた。シェーンベルクの室内楽マインドは、おそらくブラームスから学び取られたものだろう。シェーンベルクはワグナーのオペラをそれぞれ20回から30回見たという。世紀末、まだラジオもレコードもない時代、音楽に触れるにはコンサートに行くしかなかった。ウィーンならではのことだ。
 シェーンベルクはユダヤ人だが、意外なことに、最初はルター派の洗礼を受けている(1893年)。彼がユダヤ教に改宗するのは、ナチズムから逃れパリに行った際のことで、このときの立会人はシャガールだった。
 1933年、渡米した彼はニューヨーク、ボストンと移り住み、 1934年にここLAに来た。最初は UCLAでプライヴェートに教えていたが 1936年に正式に教授となり Brentwood Parkに居を構えた。ストラヴィンスキーの住まいとは数マイルしか離れていなかったが、二人は終生会うことはなかった。
 シェーンベルクは背が低かった。 Shawnは、「 Being short(ちびであること)」という一章で次のように書いている。

 ちびであること、それは地面に近いということだ。それは、這い回るミミズや甲虫、池の上を駆ける小さな生き物たち、死体を覆い、木の根を柔らかく包むビロードのような苔、アリたちが食べ物や葉や種を忙しそうに巣穴へと運び込む、そんな世界に近いということ、つまり、地球そのものに近いということだ。
 背の低い者は見上げることに慣れる。ルネサンス期の祭壇右下に描かれた聖人がみなそうであるように。
 ベルク、ブリテン、ティペットはのっぽだった。シューベルト、マーラー、ストラヴィンスキー、ウェーベルン、シェーンベルクはちびで、5フィート4に足りなかった。

 それにしても、カフェで本を読んだりパソコンを打っている人がとても多い。というか、大半がそうだ。

 1番のバスに乗って、ヴェニス・ビーチまで行ってみる。たっぷり40分はかかった。バス通りから西へ少し歩くと、もう海が見える。フロンティアが西へ西へと進んでたどりついた、だだっ広い海。もうここから先は海しかない、という諦念の波。空はやたらと青い。
 浜は人影が水面に映るほど静かで、しかし少し沖に出るとすぐに大きな波が来る。もしサーフィンが出来たらこれは楽しい場所だろう。 監視所の中では男がダンベルを上下させていた。
 ビーチ沿いの通りを散策。レストランの脇に「Small World Books」と示された小さな入り口がある。中は小さいながら、昼に行ったBorderよりよほど品揃えがよかった。
 薄暗い店内でずっと立ち読みしていたら、窓の外から薄赤い光が入り込んでくる。日が落ちたらしい。奇妙な感じがして、ふだんなら絶対買わないウィリアム・ブレイクの詩集を買ってしまった。

 今日の abcで流れているニュースは、新たに見つかったビン・ラディンのビデオテープ、アラファトの容態、そしてあとは大統領選の争点、ハロウィンの準備。イラクで海兵隊が9人ほど死んでいるはずなのだが、その扱いは小さい。ビン・ラディンを大きく取り上げ、海兵隊の死にあまり触れないという選択肢は、明らかに「War against terror」の正義の側に偏っている。この国の報道は明らかに戦時中のものだ。
 ケリーも、イラク問題に関しては柔軟と強行のあいだで揺れており、信用はできない。それでも「ブッシュではダメだ」と米国民が示すことができる意味では、世界にとって少しはましな選択肢だろう。

 電光掲示板のように流れるその他のニュースの中に、人質となっていた香田さんの死が政府によって確認されたとの文字。

 ウィリアム・ブレイクの「夜」を訳しておく。

 

 陽は沈み西へ
 宵の星は輝く
 鳥は声もなくねぐらへ
 我もまたねぐらを探す
 月は花のごとく
 そのあずまやは天高く
 静かな喜びをたたえる
 夜に座し微笑みを投げる
 
 さらば緑の野よ、幸せな木立よ
 鳥の群の憩いし場所
 子羊が静かに餌を食みし場所よ
 足取り輝かす天使たち
 注ぐは目に見えぬ祝福
 絶えることのない至福
 すべてのつぼみと花に
 すべての眠る胸に
 
 すべての危ういねぐらを見回り
 鳥たちを暖かく包む
 すべての獣の穴ぐらを訪い
 あらゆる害悪から守る
 もし泣く者あらば
 眠りにつけぬ者あらば
 その頭に眠りを撒く
 枕元に腰を下ろす
 
 狼や虎が吠えるとき
 憐れみをもってそばに立ち嘆く
 その飢えを除き
 羊たちから遠ざける
 
 それでもひどく吠えるなら
 天使はしごく用心深く
 やさしき心を受け止めたなら
 新たな世界を授けるのだ
 
 それ、獅子の真っ赤な眼は
 金いろの涙に流れ去る
 やさしき憐れみの声をあげ
 檻をぐるぐる歩き出す
 
 「いまこそ、いくじのない
 からだと病にまかせた怒り
 それらはもはや取り去られたり
 我らの日から永遠に」
 
 さて声を上げる子羊の横で
 わたしも身を横たえ眠るとしようか
 それともおまえに名前を与え
 おまえを飾り、嘆く者のことを考えようか
 
 なぜなら生の河で洗われる
 この輝くたてがみは永遠に
 黄金色に光り続ける
 わたしがこの檻を守る限り


20041029

 朝七時、大学を出て自宅へ。あれこれ荷物をパッキングしてなんとか10時前に終了。なんだか漏れがあるような気もするが、まあ、パスポートとヴィザとカードさえ忘れなければあとはどうにかなるだろう。彦根から関空へ。空港のインターネットポイントでちょいデジオ。
 機内でスパイダーマン2。これはかなりおもしろかった。1に比べて、情けなさの表現により磨きがかかった。地下鉄の乗客たちに磔刑のポーズで送られていくところも、キリスト教感と情けなさの絶妙なバランス。ってーか、このおっさんの背骨にはりついたメカの表現、ウィリアム・キャッスルじゃん! もっと大画面で見たいなあ。

 サンフランシスコで入国審査。以前にも増してチェックが厳しい。鞄のなかのものはほとんど外に出されたし、例の靴脱ぎ検査はもちろん、ベルトははずし、ズボンの腰回りもめくって無実を主張しなければならない。いやはや。
 再び飛行機でLAへ。窓から見えるハリウッド山の文字。
 空港のカートは$3なり。LAへようこそってところか。タクシーはだだっ広いフリーウェイを北へ。ラジオからはケニーG。初めて来たのに、もう判で押したようにロサンジェルスなのに呆然とする。

 宿はLos Angeles Travelodge。Santa Monica Blvd.に面したモーテル風のホテルで、真向かいにばかでかいモルモン教会がある。通りに面した部屋は車の音がうるさかったので、奥まった部屋に変えてもらう。部屋から通りを隔ててすぐにセブンイレブンがあるので便利。

 川島さんに電話をかけて、車で迎えに来て頂く。彼女はかのマニー・シェグロフのところで会話分析を教えていて、大学事情に明るい。さっそくUCLAへ。図書館やカフェテリアなど、あちこち案内してもらったが、主なリーディング・ルームにはネット接続の環境があり、蔵書も豊富そうで、文献渉猟しながら論文を書くにはもってこいの環境。これからの生活が楽しみだ。大学内はとても広いけれど、レンガ造りの端正な建物の中を歩くのは楽しく、そこここに緑もある。図書館が夜遅くまで空いているのもうれしい。これで大学のそばに居を構えることができればベストだな。
 Westwoodのタイ料理屋で川島さんと夕食を食べて、ホテルに戻る。さすがにまだ時差ボケが解消していないのか、すぐに眠くなり、気がついたら夜中だった。レフトオーバーのグリーンカレーを食ってTVの大統領選報道を見て、3時頃再び就寝。


20041028

 さらに仕事。アメリカに持って行くデータのバックアップなど。120GのHDを買ってビデオデータをかたっぱしからぶちこんでいく。その他さまざまな残務処理。結局徹夜。もっとも時差があるので昼から寝るくらいでちょうどよい時差ボケ解消になる。


20041027

 なお仕事は終わらず。あたふたと日本を発つことになりそう。

 イラクで再び日本人拉致。4月の日本人拉致で、政府は無策のうちに運だけで事なきを得、その政権はその後の選挙で支持された。最近砲弾が着弾したサマワについて、自衛隊を撤退する時期を早めに明言することもできたがそれも為されなかった。
 4月以降、イラクが日本人にとってより危険になったのは、単にザルカウィ氏グループのような外国組織の跋扈といったイラク側の事情だけではない。4月に行なわれた日本政府の対応、そしてそれ以降の「テロに屈しない」という紋切り型の現状維持によるもよっている。
 このような政府の対応が正しいとは思わない。しかし、現在わたしたちはそのような政権下で暮らしている。
 拉致された男性は、弱々しく「小泉さん」と呼びかけた。小泉さん、という言い回しは、井戸端会議やTVの街角インタヴューで「小泉さんにももうちょっとがんばってもらわないとねえ」という風に使われることはあるが、小泉首相に面と向かって、政治的な要求をするときに使われることばではない。思想信条ではなく、情に訴えることばだ。もう彼には、そこにしかよりどころがないのだろう。さらに彼は「すいません」と付け加えた。命をとると言われてなお、自分の言わされている要求の大きさと、自分の命との釣り合いがとれないのかもしれない。思想信条的にも、手ぶらでつかまったのだろう。
 囚われた彼は、イラク情勢に対して油断していただけでなく、日本に対して油断していたのだろう。このような事件における話し合いの余地のなさは、小泉政権下で、ゆっくり作られてきたものだ。わたしたちはもう、彼が首を切られてもしかたない、としか思えない場所で暮らしている。


20041026

 目の前に積まれたものを少しずつ片づける。


20041025

 どうも疲れやすくなっているらしくすぐ眠くなってしまう。こういうときは、体が睡眠を欲しているのであろうから素直に寝る。デジオもお休み。


20041024

 茂木健一郎「脳と仮想」新潮社。あれこれ留保をつけたいところはあるが、彼の現時点で言いたいことがストレートに出ている本だと思う。読みながらいろいろとノートに走り書きをする。以下そのメモ。
 名づけること、カテゴリーを分けることはカテゴリーを浮かび上がらせることと引き替えにカテゴリーから漏れるものを無意識に押しやること(小林秀雄の「蛍とおっかさん」)。カテゴリーで呼ぶな、固有名詞で呼べ。固有名詞を繰り返し唱え、思い出すこと。類から漏れるできごとを捉える方法。ことばの系譜とは、固有名詞で呼ぶことで、カテゴリーを豊かにすること。  リアリティは同時性と連鎖によって構成される。リアリティとは、「同時に何か別のチャンネル(もしくはモード)によって何かが起こること+できごとが連鎖すること」が意識にのぼること。
 ここで漱石の「草枕」を思い出す。

 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領である如く論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てた様に記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界も到底物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏の状況には、時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来り、二が消えて三が生まるるが為めに嬉しいのではない。初から窈然として同所に把住する趣きで嬉しいのである。既に同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳した所で、必ずしも時間的に材料を按排する必要はあるまい。矢張り絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。

 この漱石のことばを、単に空間か時間かという問題としてとらえるのではなく、連鎖が意識として折り畳まれる事を言い当てているのだ、ととらえてみること。
 ことばの系譜について。ことばに過去の記憶がまとわりつくときの口内感覚の問題がここでは抜けている。がさがさ、ということばに、過去の人々が放った膨大な記憶がこもっているのではない。むしろ、口内感覚を介して、がさがさということばを発する者は、過去の人々の放ったであろう行為にアクセスしようとするのではないか。記憶を自明の「もの」にしないこと。
 ヘルメット実験の本質。他人がパーフェクトに分からなくてもやっていけるということと、他人のことがかくも簡単な場面ですでにwかあらないと言うことの恐ろしさ。
 それにしても、「東京物語」を論じる人たちは、なぜあの老夫婦の会話に立ち入らないのだろう。ぼくにとって「東京物語」でいちばん違和感を感じさせるのは、子供達が見せる親への態度以上に、周吉のとるとみへの態度であり、そこには小津安二郎という人のある種の酷薄さがとても出ていると思う。二人の会話のペースがあまりにゆっくりしているので、会話の中身までゆっくりしているように錯覚するのかもしれない。この件については「『東京物語』の忘れ」に書いた。

 ピチカートVの「メッセージ・ソング」をどんな風に歌ったらいいのか、少し分かった気がするので吹き込んでみる。「誰が見るのか」ではなく「いつ聞こえるか」。
 音楽が聞こえる、とは言うが、絵が見える、とはあまり言わない。絵は(写真は)注意を必要とする。見るための構えを必要とし、見るための場を必要とする。「絵が見える」というときは、むしろ、目をとじている。


20041023

 ホテルで2時間ほど寝るとチェックアウトの時間。新幹線の中でさらに眠りをむさぼる。
 小沢信男「悲願千人斬りの女」。自分の生年にピンを立て、過去に向かって自分の年齢分だけ折り返す、という導入がおもしろい。そうするとぼくの場合、1960年にピンを立て、1916年まで遡ることになる。まだ明治は遠い。芦原将軍の章と稲垣足穂の章がめあて。

 二度寝して起きてネットにつなぐと新潟大地震の速報。タレルの「光の館」から望んだ十日町だ。川西町から小千谷への曲がりくねった道は、そのときに通ったところでもある。TVの映像から離れて、一度通ったところのある場所のことを考える。TVの映像は、あらゆる情報を伝えるかに見える。しかしじっさいには、情報に向かわないこと、情報を選び取らないことを強いる。情報を取捨選択できるということは、情報に接しながら捨てるということを引き起こす。


20041022

 東京へ。ヒューマンルネサンス研究所で研究会。日高さん、奥野さん、佐倉さんというメンツに中間さん、本郷さん。日高さんに会うのは久しぶり。相変わらず「君の話はどうもごちゃごちゃしたところへ行ってわかんなくなるんだよ」と言われる。これは院生の頃から日高さんに言われ続けていることで、自分が不肖の弟子であることをあらためて確認したような気分。不肖であっても師弟関係を持っていられることは、ちょっとうれしい。
 ホテルに戻ってから、三茶のバーテラへ。直に終電もなくなり、これは長丁場になると思ってゆっくり飲む。結局、店を閉めるまで居て、そこから西麻布、新宿と移動し、最後はマスター、デコさんと24時間焼肉屋で朝の7時からビールとサムギョップサル。


20041021

 村上春樹「アフターダーク」。現在形で語られるほど、記述が現実から突き放されるという奇妙さ。おそらく「わたしは○○した」というような過去形で語ることは、そこで想起が為されていることを読者にさとらせているのだろう。想起が介在することを感じ取って、読者は、想起をする者に対してより親密な感じを抱くのだろう。現在形は、想起を介在しない。目でしかない(たとえ、じっさいにはその「目」に編集が介在していたとしても)。
 ハードボイルドになるためには、現在形の記述はどこかで過去の想起に押し込められる必要がある。そのことで、緩やかな卵の現在は、固ゆでの過去にされ、あともどりのできない変成を経た現実となる。しかし「アフターダーク」ではその方式がとられていない。現在形の叙事的な記述が連なることで、村上春樹のハードボイルド文体は壊れている。壊れているから、読んでいて居心地が悪い。その居心地の悪さがそのまま、「私たちの視点」をとらされることの居心地の悪さにつながる。つまり、これは、文体によって、読者に居心地の悪さを与えようというたくらみなのだろう。


20041020

 amazon.co.jpからロビン西「マインドゲーム」「ぽえやん」を一気に読む。ぶっとい妄想にしばし呆然。ケツの穴を貫かれたオヤジとしていかに生をまっとうすべきか考えていたはずが、気が付いたら大島弓子全集に手をのばしていた。


20041019

 台風接近中ではあるがゼミ合宿。藤井君の車で余呉へ。飯浦(はんのうら)から竹生島に渡る。竹生島には何度かきているが、神社の天井画と襖絵を見たのははじめて。狩野永徳・光信の筆致を手が触れられるほどの近さで見るという贅沢。菊の花びらを二筆で描くその迷いのなさ。梅の枝の隆起を筆の停滞によって表わしながら、枝はするすると軌跡を伸ばしていく。植物とは異なる論理でたどられる成長の早回し。
 余呉湖は雨。琵琶湖のすぐそばでありながら、賤ヶ岳に隔てられ、山で囲われ、湖のためだけにあつらえられたかのような空間。その山々を雲が走っていく。
 夜9時を過ぎて、カブレラのものすごい二の腕が振り抜かれて満塁ホームランが放たれるのを横目で見つつ、よもやま話。途中、とつぜんビデオ解析が始まってしまい、一人一人がパワーブックを持ってきてはデータの細部について相談をしにくる。眠気と酔いでうわごとのようなアドバイスをする。午前三時に終了。


20041018

 コミュニケーションの自然誌研究会。前半は水谷さんによる、Davidsonの論考をめぐる話。5分で終わるかも、との予告に反し、ほとんど3時間。
 respond(答える)ということばには、なぜかrespond(責任)という意味が重なっている。沈黙の所有権:「B:・・・」という表現には、その沈黙がBの所有物であるという含意がある。という話が印象に残った。
 後半はぼくのヘルメット実験の発表。一昨日思いついた「逆ハノン」の話からはじめて、水谷さんのDavidson論考を借用しつつ。さすがに学会以上にあれこれとおもしろいコメントをいただく。
 くれないで二次会を夜中近くまで。
 男子による少女マンガ需要の歴史について雑談。いまもそういう抵抗感があるのかどうかわからないけど、1970年代って、まだ、少女マンガを男子高校生が買うのってめちゃくちゃ恥ずかしかったんだよな。花とゆめコミックスがぎりぎり許容範囲で、フラワーコミックスとかマーガレットとかりぼんコミックスを男の子が買う図というのは、かなり異様だった気がする。ぼくは妹経由で少女マンガにアクセスし、高校生のときには自分でも立ち読みしてめぼしいのを買うようになっていたが、店のおばちゃんは露骨にヘンな目で見てられており、それなりに勇気がいった。具体例でいうなら、「エスの解放」とか「はみだしっ子」はさほど買うのに抵抗がなかったけど、「ポーの一族」あたりはちょいと抵抗感があり、高橋亮子やくらもちふさこあたりになると、レジにぽんと置いたときにかなり緊張したと思う(買ってたけど)。
 小学館文庫はなんとなくそういう性差のにおいの少ない装丁で、「11人いる!」も「ねじ式」も「ゴルゴ13」いっしょくたで、だから、萩尾望都はに早くからなじんだ。それに「百億の昼と千億の夜」はチャンピオンコミックスだったしな。大島弓子の場合、サンコミックスのギラギラした装丁が壁となって最初はなかなか手が伸びなかった。「綿の国星は泣ける!」てな話は大学に入ってから幼なじみの女友達としていた。しばらくして、橋本治「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」が京都のふたば書房で平積みになってたのを覚えているが、これが70年代末だったか。この頃からようやく男子が少女漫画を読む、というのがどうやら社会的に認知されはじめたのではないか。


20041017

 朝、川村さん夫妻と川村記念美術館で「ロバート・ライマン」展。2Fのフロア一面、白い絵。
「アシスタント」という非対称な絵の白い絵の前にしばらく佇む。目の前に丸い白い領域が広がり、周辺の塗り跡が白と黄色のチェックのようにきらめく。立ち位置を変えると、また目の前が白くなり、その周辺が白と黄色で輝く。これがじつに不思議で、何度も立ち位置を変えては眺める。彼の絵には、白の領域がじわっと広がったり狭まったりするものが多く、その周辺で筆のあとがよりクリアになる。おそらく両眼視している目が、どこに参照点をとってよいのか迷いながら輻輳を次々と変化させているのだろう。その過程で予測できない模様が現われ、絵が遠く近くなる。
 ビデオインタヴューの中で自分はartistではなくpainterです、というロバート・ライマン。そのとき、painterということばが単に画家であることを示すのではなく「paintできるものを塗る」という職業であることに気づいた。

 そのあと、川村さんの案内で駒沢大学そばのタイカレー屋でカレーを二杯。最後は茜屋のコーヒーでしめる。
 新幹線の中で明日の発表の準備。


20041016

 横浜へ。活画館を経営していた高木喜代吉の子孫の方にお会いする。活画館オリジナルの立体写真(浦には「第五回内国博覧会褒状受領」「東京勧業博覧会褒状受領」「東京大正博覧会銅牌受領」といったことばが刻まれていて興奮する。それだけでなく、昭和初期に撮影されたとおぼしき紙焼き写真が数十枚見つかり、しかもどれも構図が(立体写真として)すばらしいのに驚く。近景・中景・遠景がたくみに配置されている。はじめてお邪魔したお宅で、長々と見入ってしまった。

 夕方、神奈川県民ホールで「演算するからだ」展。足立智美「方法音楽8番c」左右の譜面台をある規則に従って見るというピースだが、譜面を見る「方法マシン」メンバーの両手が下がり、前屈みになり、しだいにゾンビ化しているのがおもしろい。人間のからだがマシンになる過程でゾンビを経由するのである(おそらく)。
 トム・ジョンソンの「Counting duets」は総じて、安定したおもしろさだった。本来二人でやるピースを多人数でやっていたらしく、そのおかげで失敗が「演奏がそろわない」という形で明らかになっていた。マイクに向かってやる漫才形式の楽章も楽し。
 鈴木悦久の環・カルテット、そして休憩中、ロビーでの中ザワヒデキ「金額」のプレゼンテーションをはさんで、松井茂「純粋詩」。舞台上手から下手に、ある数列に従った歩数ずつ歩いていくというもの。もしこれが、舞台上手から下手へ、数列に縛られずにただ歩いたとしたらどうだっただろう。けっこういけたのではないか。となると、フルクサスのやっていたようなことと、「方法」との差はなかなか際どい感じもする。じつは「方法」を演じるほどに、「方法」のほうではなく「形式」のほうがおもしろくなってしまうのだ。もちろんそれはそれでおもしろいのだが、それが「方法」の目指している地点なのかどうかはわからない。  三輪さんの「またりさま」は「方法」とはいっても、「新しい時代」以来の、儀式的な形式をとるもので、こちらもじつは「方法」以上に「方法」にぶちあたる生身のほうに注目がいく仕組みになっている。他のピースとやや違うのは、「またりさま」では、演奏者がシークエンス全体を見渡すことが難しい仕組みになっている。具体的に言うと、直前の他人の演奏(他人が自分の左右の肩のどちらを叩くか)が、次の自分の演奏を決める構造になっている。おそらく演奏者にとっては、シークエンス全体に対する感覚が切り詰まり、直前の肩たたきに対する反応がより浮き上がってくるはずだ。そのときに、単純な反応系に徹することのできない身体の限界が現われる。その限界が次の演奏者に伝わり、ビートは不規則な波となって乱れる。
 最後に安野太郎「ペペ・ビリンバン・ポイ野2」。オートマタ風。「方法」にしては演出の強い演奏だった。

 終演後、少し打ち上げに参加。そのあと、久しぶりに会った川村さん夫妻と近くのスカンジナビア料理屋へ。おいしいディナー、おいしい酒。今日の演奏について夜中近くまで話す。「方法」を演じる演奏者ははたしてどのような立場にあるのか。「方法」に身を捧げる演奏者の悲哀じたいは、「方法」に似つかわしいものか。など。方法ブルース、というフレーズを思いつく。
 したたかに酔ってホテルに戻ると、ロビーに、やはり酔ってふらふらの三輪さんがいる。なんだ、同じ宿だったのか。声をかけて、近くの飲み屋でゆっくり飲みながらさらに方法の話。
 ここで、逆ハノン、ということを思いつく。ハノンでは、各曲に「5−4−3の指を広げます」というような効能書きがあって、その効能を目指すべく曲を弾くのだが、逆ハノンでは、とにかく曲を弾いて、その結果、5−4−3の指が失敗する。それで「あ、これはもしかして5−4−3の指に限界があるのでは」ということになる。つまり、失敗によって身体の限界が露呈するという仕組みになっている。
 コミュニケーションというのは本質的に逆ハノンではないのか。失敗の露呈が相手とのやりとりのなかに投げ込まれることこそ、むしろ会話の本質ではないのか。
                   


20041015

 鼻水とくしゃみ。急に冷え込んだせいか。

 昨日不備だったSEVIS費用を払い込もうと思ったら、すでに領事館に提出済みのDS-2019の記述が必要なことがわかり、あわててfaxで送ってもらう。領事館の対応は早くて助かった。
 昨日、鼻水で寝られなかったせいか。寝不足で、彦根へ帰るなり寝てしまう。3時間ほど寝て復活。

 「地球の歩き方」の姉妹編で「住み方」というのがあるのを見つけて、西海岸事情をあれこれ考える。旅慣れした人には必ずしも評判がよいわけではない「地球の歩き方」シリーズだが、すべてを鵜呑みにしないのであればエントリーとしてはとても便利。少なくともUCLA界隈の距離感がつかめただけでもだいぶ助かる。会話分析の創始者、H. SacksはVenice beachあたりからUCLAに通っていたらしいが、これは近所というわけでなく、山科あたりから京大に通う距離感覚だ。

 おそらくはワンブロックがやたらでかい、徒歩には不向きな街並みなのだろうな。できれば車なしで5ヶ月をすごしたいが、どうしても我慢できなくなったら向こうで免許を取ってしまうという選択肢もありそう。英語の教習所なら、最初にペーパーテストを受けたあと、一回45ドルの実地試験を10回で修了し試験を受ければよい。つまりストレートで行けば数百ドルで免許が取れてしまうわけで、日本のカリキュラムに比べると格段に安く、「習うより慣れろ」形式だともいえる。ぼくのような不器用な人間にとって、これがいいことかどうかはわからない。


20041014

 ビザって10回言ってみて。ここは。ビジ。というわけでビザ取得の面接に行ってきた。顔写真のバックがブルーだとか、書類が一枚足りないとか、9月から導入されたSEVIS費用なるものをはらっていないとか、さまざまなダメ出しを食らう。驚くべきことにほとんどの人は一発合格だ。ぼくの書類処理能力が低過ぎるのだろうか。さらに驚くべきことには、これほどダメだらけな書類を出す奴でも、当日なんとか処理すれば、軽くパスさせてくれるということである。もっとも、ダメ出しで時間を食った分、たかだか1分の面接に3時間以上待たされたのだが。
 領事館前では荷物チェックが厳しく、ペットボトルも持ち込み禁止。赤ちゃんのほ乳びんまでチェックされていた。どうかしている。さすがに係員の人たちも仕事の上とはいえ困惑気味の表情で「すんません、これやらんと首が飛んでしまうでね」などと、荷物検査を待つ行列あいてに幾度もなだめるようなトーク。

 キティーEX.展@大丸梅田店。総じて、キティーとワイルドを組み合わせることに頼った作品はぴんと来なかった。素材やヴィジュアルを豪華にしたキティー販促風の作品も多かったが、それも別にどうということはなかった。そんななか、映像の三作品(佐藤可士和+谷田一郎、タナカカツキ、高木正勝)は、あの単純な記号でできたキティーが単純な記号以上になってしまうことについて、それぞれのヴィジョンを打ち出していてすがすがしかった。
 それにしても、中央の部屋はその映像と福耳と八谷さんの作品の音がかぶって、ほとんどゲーセン状態。っていうか、福耳、あれ、べつにキティーと関係ないやん!あんなんミュージアムショップにながしとけばいいやん!あまりにひどい音環境だったので、帰りに入り口に戻って、「あの展示の音空間はヒドイ!」と丁重に意見を申し上げた。
 展示の歴史的課題なのかもしれないが、今回の展示に限らず、展示業者のノウハウには、音に対する感性が不足していると思う。音つきの映像作品が増えているというのに、音と映像の両方を考えながら観客を誘導していく展示技術が未熟すぎる。

 実家に戻って両親とあれこれ話。昨日ゼミで話題になったばかりの、岐阜名産栗きんとんが目の前に現われて驚く。


20041013

 ゼミ二本。合宿の計画。さて、日本にいる日数も限られてきた。明日のビザ取得面接のために書類を揃える。過去10年間に訪れた国をすべて列挙せよ、などという項目があって、頭が沸騰しかけるが、この日記の過去ログを見たら、なんだ、全部載ってるじゃん。つけておくものだな、日記。
 出身校の住所と電話番号を中学から書くという欄もあって、これまた発狂しそうになるが、ネットで検索をかけるとさいわいすべてヒットした。出身中学の姿を何十年かぶりに写真で見たのだが、あまり校舎が変わってないので不思議な感じがした。
 そういえば、以前、この日記で正岡子規の立体写真体験にからめて、かつて東京にあった「活画館」の話をちらと書いたのだが、それが縁で、なんと活画館のご子孫の方からメールをいただいた。なるほどGoogleで「活画館」を検索してみると、ぼくの日記のページしかヒットしないのだ。たった漢字三文字なのに。


20041012

 夕方、京都へ。京都造形大学でRESFESTの上映会後に、タナカカツキ+佐藤直樹のトークショー。デジオで鍛えたしゃべりでばんばん笑いをとっていくカツキ氏と、意外すぎる経歴で観客を翻弄する佐藤氏の好対照。カツキ氏の京都精華大学時代の話は、ぼく自身、京都在住が長かっただけに、妙になつかしかった。あの精華の坂を上り下りしながら考える美大生の将来。そこに笛 or サラリーマンという二択。
 デジオ関係者というRESFESTとはなんの関わりもない立場でありながら打ち上げに混入させていただく。刺身の大盛りというリアルな肉を前に、「人体の不思議」展でいかに筋肉や肉がびらびらしていたかを詳細に語る佐藤氏に、一同箸が止まる。カツキ氏とぼくはぱくぱく食ってたけど。


20041011

 午前中、しばらく休日だと気づかなかった。午後、シュテフィ、まりこちゃん、ゆうこさんと琵琶湖畔で昼食。山のてっぺんは雲をかぶっているにもかかわらず、強い風が湖上の雲をはらって、山の稜線がはっきり見える。不思議な景色。風は暖かい。


20041010

 夕方、虹を見る。想念が映像化したような虹。
 ユリイカに画像送付。結局、透かし絵はすべてデジカメで撮影した。色味がちょっとじっさいより緑がかってしまうのだが、補正をしているとキリがないし実際の印刷はモノクロなのでえいやっと送る。夜中に椅子が壊れる。京都にいるとき以来使い続けてきたものだが、ついに背もたれの付け根がダメになってしまった。
 まりこちゃん来訪。四人で「はらぺこ」に行き晩飯。夜は女三人のガールズ・トークに参入したり離れたり。

20041009

 夕飯に鍋。シュテフィーとゆうこさんが過去の恋愛話で盛り上がり始めたところで、猫がいないことに気づく。ベランダに出てしばらく名前を呼んでみたら、隣のベランダでうずくまっていることがわかり、かつおぶしでおびきよせる。ようやく部屋に連れ戻したら話はすでに佳境を過ぎていた。シュテフィーに「気をきかせて席をはずしたんでしょ」と言われる。むしろ聞く気まんまんだったのだが。


20041008

 こころとからだ研究会。今年やったヘルメット実験についてシークエンス分析あれこれ。とくに「あ」の問題について。松島さんから「二人の思考のためのジェスチャー」というナイスなネーミング案。
 ぼくはパワーポイント書類を作るときいちいち読み上げ用の原稿を書かないので、いままで「ノート」欄を使っていなかったのだが、プレゼンテーションが終わったあと、質疑応答で起こったことをこの「ノート」欄に書き留めておくのはいいことだなと思った。質問はたいてい特定のスライドに関わるので、あとで便利。ひとつの発表はたいていの場合バージョンアップして別の研究会でお披露目するので、手直しのきっかけにもなる。
 久しぶりにハッシュで飲み会。

 夜半前に帰宅。シュテフィーが久しぶりに来る。夜中、 flirtingという体験が日本では少ない!という話を ICレコーダに吹き込む。これ、英語だけど、編集してデジオにアップするか。それにしても、英語で談笑していると、自分がいかにまともに英語で話せていないかがよくわかってがっかりするな。
 じつは吹き込みが済んだあとにしゃべった、日本における英会話教師事情のほうがずっとおもしろかったのだが、いったん空中に放たれた声は二度と戻ってこないのであった。


20041007

 久しぶりに成田君と田邊さんが来る。京都の智恵光院今出川あたりにパン屋激戦区があるらしく、そこのパンをもらったのだが、どっしりしてうまいパンだった。夜、阿吽で飲む。あとから酒井くんも参加。
 磯じまんとかフリカケっていつから食べなくなったんだろう、という話。子供の頃はポリポリ歯ごたえがするほどフリカケかけてたのに、あれ、いつからやめちゃったんだろう。いまでも「ポケモンふりかけ」とかがあるところを見ると、時代がふりかけを求めなくなったわけではなく、子供にはあいかわらず人気があるんだろうな。 磯じまんや桃屋の江戸むらさきのCMはTVではすっかり見られなくなってしまったが、店にはおいてある。こちらにも静かな需要があるのだろう。そう書いてると、妙に食べたくなってくる。
 7時頃から飲んでいたのだが、急激に眠くなってしまい、10時ごろおいとまする。


20041006

 いつもながら土俵際でユリイカに原稿送付。「つぎは25日でお願いします」と郡編集長ににこやかに釘をさされる。ほんといつもご迷惑かけております。透かし絵はがきとスキャンしようとするが、なかなかうまく透けない。透過原稿アダプタが必要か。と思い、いくつか透過原稿アダプタをあたってみるが、どうやらスライドやネガを前提としているものが多く、透かし絵はがきのサイズではどうも苦しいようだ。しかたないので、プロジェクタの光(かなり強烈)を裏から当ててそれをデジカメで撮る。


20041005

 会議、ゼミ。こういってはなんだが十月末まで講義がないのはほんとうに助かる。いきおい余ってデジオを二度吹き込んでしまう。


 

20041004

 携帯の電池が切れたので、朝のめざましがない。結局徹夜。朝いちで別冊太陽の原稿を送付。次はユリイカ。しかしとりあえず睡眠だ。新大阪から彦根まで泥のように寝る。家に帰ってまた寝る。デジオは早めに吹き込んだのだが、iDiskの同期にやたら時間がかかってしまい結局夜のうちにはなんともならなかった。ここのところ、デジオを聞くときはギターのスケール練習をすることにしている。これまでコード弾きしかしたことがなかったので、メロディを弾くのは新鮮。ハノンの一番がゆっくり弾けるようになった。


20041003

 午前中、塾におけるコレクション・スイッチ、コレクション・シフトの話。話しながら論理の穴がかなりはっきりした。塾生と学校の生徒という二重の立場のあいだをスイッチしています、という話よりも、それがどのようなときに困難になるかという話のほうがおもしろいのだ。簡単なことだが、見逃していた。

 午後、新大阪に移動。原稿。夜、築港赤レンガ倉庫で関西デジオ連絡協議会。屋台の名前は AAAA。ナポリ生まれの陽気なルカが、スプーンの砂糖にアブサンを垂らしては火を付けてみんなにすすめる。これってノックアウトカクテルではないか。こんなもんかぱかぱ飲んだらあとが怖いのでなめる程度にしておく。それでも眠気に襲われてうつらうつら。ヘビーリスナーの miniminiさんからデジオの近況を伺う。いまやリスナーの方がデジオやってる人よりも詳しかったりする。小林さんは写真デジオをやる気になったらしい。楽しみだ。


20041002

 午後、ボトムアップ人間科学研究会。高橋登さん、田垣さんの発表。高橋さんの、「複数のシステムへの同時参加」という考え方は、あちこちに応用できそう。夜、飲み会。一杯だけおつきあいして、宿に戻り、明日のppt書類を作る。


20041001

 後期の開始。とはいえ、今年の後期は前期にすべて講義をかためてもらったので、ゼミと会議のみ。LA行きが延びたので少し助かった。パノラマの資料が散乱していてどうしようもないので少し整理。原稿。