The Beach : December b 2002


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20021231

 さて年末なので喫茶でゆっくり指輪片手にコーヒーでも、と思ったが、愛好していた喫茶店はもはやファミレス的に混雑している。年末は家族のものなのだ。
 ゆうこさんの気鬱をなだめるべく、近くの本屋でマンガを大量に購入。ひさしぶりにマンガのコーナーを見ると、小田扉や陰陽師や黒田硫黄の新刊が(世間的にはすでに新刊ではなかろうが)出ていてどんどん買う。愛読していた桜玉吉「幽玄漫玉日記」がついに完結していたのに驚き、4,5,6巻と一気に読む。
 今年は部屋の片づけもままならぬまま暮れた。いつもなら死んでも買わないであろうハウツー本、『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』を買ったがまだ生きている。生きているどころか通読してしまう。内容は即日即効性のものではなく、家族や周囲の人々を巻き込む気の長い長期治療法である。一日で乱雑にしたわけではないのだから一日でかたづくと思うな、というキビシクもごもっともな話を読みつつ年が暮れていく。


20021230

 水窪の聞き取りビデオをダビングしつつあらましをばしばしパソコンに打ち込んでいたら日暮れた。
 夜、久しぶりに屋台に行き、アイラ樽で作ったラムというのを飲んでみる。ラムなのかアイラなのかはっきりしろ!・・・と言いたく味なのだが、飲み終わる頃には意外にいいではないかと思っている。最近、どんな酒であれ、ショットを飲み終わる頃には「ま、これはこれでよいではないか」になっている。鑑賞のメリハリというものに欠けつつある。

 夜、DVDで小沢昭一の「新日本の放浪芸」。まずは二枚目から。サムルノリの故郷の竹林。ムーダンの祭壇ジオラマ、そしてのぞきからくりの浮絵+押し絵にバナナ売りのとうとうたる語りなどなど、あまりにめくるめく内容。商業ベースに乗るぎりぎりの演出も含めて、すばらしいのひとこと。



20021229

 ゆうこさんの誕生日なので、アヤハディオに行ってあれこれ棚部品を買いオリジナル棚を組み立てて差し上げる。近くのフランス料理屋でお祝い。
 水窪行きで4日ほど空いた指輪読書を再開。フロドも4日ほど眠っていたらしい。"Many meetings"



20021228

 朝、高木さんがわざわざ宿に来てくださる。2時間ほどお話を伺ったが、若手でありながらじつにしっかりとした考え方をされていて、それでいて何の衒いもなく、菅原さんが思わず「好青年やなー」と感嘆したほど。

 午後、菅原さんご持参のジュリーのベストヒットをかけつつ帰還。「カサブランカ・ダンディ」のときに吹いたウィスキーがカメラにかかってしまった瞬間や、「渚のラブレター」へ宮川泰のつけたコメントに対しジュリーが皮肉を言ってるシーンを思い出す・・・ってもう20年以上前のことではないか。自分の「ザ・ベストテン」記憶があまりに鮮明なことに驚く。「G.S. I Love You」や「ミス・キャスト」をまた聴きたくなってしまった。あの頃のジュリーの、歌謡曲のエグさを残しながらあらゆる曲を歌いこなしていく力、それを加速するCocoloバンドのサウンドはほんとすごかったと思う。
 当時のヒット曲を通して聴くと、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」がかなり危うく、「晴れのちBlue Boy」で完全に歌謡曲の範疇を越えてしまっていることがよくわかる。当時は「ジュリーがここまで!」とコウフンしたものだが、ここまで行ってしまうと、もう歌謡曲の人ではなくなってしまう。つまり、歌謡曲のウソをただのウソとみなす立場の人になってしまう。じっさいこの後のジュリーの耽美には、翳りが見え始めた。
 途中、事故渋滞に会い、岡崎で降りて一般道へ。車に地図をつんでなかったので藤田さんがカーナビとにらめっこで菅原さんに指示。運転免許のないぼくは後部座席で無駄口係。結局、岡崎>春日井間に2時間半かかった。
 日暮れて彦根へ。

20021227

 午前中、西浦の坂口さん宅へ。あれこれ資料を拝見する。朝の10時から昼近くまで居座ってしまった。

 午後、沢谷さんの仕事先へ。沢谷さんはぼくが個人的にもっとも好きな舞を踊る方で、舞の話をいろいろ伺った。太鼓や笛と舞が合っているときはどんな感じがするのか、という菅原さんの問いかけに「ああ、うまくいってるな、と思いますね」というお答え。ふつうなら「うれしい」とか「おもしろい」とかいう情緒的な単語が出るところだ。「ああ、うまくいってるな」というのは絶妙に没入しつつ醒めていて、心動かされる。

 夕方、少し時間が空いたので近くを散歩する。向市場の上の方まで歩いて、戻ってから駅のあたりまで。水窪町の商店街には、ほかの業種に較べて明らかに散髪屋が多い。なぜだろう。川を見下ろす散髪屋に心惹かれたが時間切れで今回は断念。

 夜は鮎の干物(これがまた生とは違ってうまい)に甘露煮(頭まで全部うまい)に刺身。
 池島の池田さん宅へ。池田さんは30を過ぎてから舞を始められたのだが、そのレパートリーは実に広い。山や狩猟の話も出て楽しくお話して帰る。


20021226

 午前中、西浦小学校へ。先生に田楽の指導に関してあれこれお話を伺う。学校の壁に小学生の作った西浦の地図が貼ってあって、子供のこの土地に対する関心事がわかっておもしろい。田楽の絵もいくつか掲げてあったがよく描けていた。
 小学校では毎年「山の子ほのぼの劇場」というのを2月にやっているという。名前からして学芸会のようなものかと思っていたが、ビデオを見せてもらったら、PTAや警察や消防団の出し物がけっこう多くて、単なる学芸会というよりは地区のお祭りに近いものだった。西浦田楽を紹介するコーナーもあり、「出体童子」と「君の舞」をやっていた。

 帰りに池島のさらに北にある足神神社へ。ここは健脚や足の持病治癒を祈願する絵馬がいっぱい飾ってある。最近ではワラジが奉納されているが、むかしは足型を供えたらしく、昭和ひとケタ台に奉納された木製の足形がいまも残っていた。
 その先の青崩峠をせめるも、途中ででかい松の倒木が道を塞いでいて先に進めず。

 昼過ぎに宿に戻ると、お手製の三色羊羹が出るのだが、これがまた、黒ごま、栗、ユリ根と、しびれるほどうまい。しっとりとしていながらぽろぽろと崩れる。そしてそのぽろぽろをかみしめるとまたもしっとりとしている。そのしっとりと染み出す液体に乗せて、三色のメロディが交響曲で奇想曲で狂詩曲なのである。ようかん革命である。朝飯もうまかったし、この旅館の食事は毎食楽しみ。

 これまで撮影したビデオを片っ端からHDに入れていく。80GのHDを持ってきたので、かなりの時間のテープが入る。これをiMovie上で編集して解析用のDVDディスクを作ってしまおうという計画。さっそく昨日の守屋さんのインタヴューの結果をまとめる。

 夜はぼたん鍋。猪肉をもうええっちゅうくらい食べる。
 その後、大里の守屋さん宅へ。あれこれ話してお酒までごちそうになり11時くらいまで。



20021225

 朝、ばたばたと書類を準備して、彦根インターそばのココスへ。菅原さん、藤田さんと合流し名神を浜松北で降りて水窪へ。食事を入れて所要時間約5時間半。レンタカーにはカーナビがついていた。カーナビというものを初めて真剣に見たが、ヘッドアップ(車の進行方向が上)とノースアップ(北が上)という二つの表示方法が、ほとんど自己中心参照枠と対象中心参照枠の違いと対応していておもしろかった。

 まずは宿で電話帳を調べ、能衆の方々に次々と電話をかけてアポイントメントを取る。年末の忙しい時期なので多少恐縮するが、菅原さんが事前に手紙を出してくれていたので、話はある程度しやすい。それにしても、こういうときにはつくづく携帯電話は便利だと思った。訪問先を番号登録しておけばいつどこからでもかけ直すことができる。

 今回初めて泊まる旅館は、飯がうまい。鹿肉の刺身はもちろんのこと、つけあわせに出てくるフキのあえもの(12月なのにフキノトウがとれたんだそうだ)、ニンニクの漬け物、コンニャクのクルミあえなど、小鉢がいちいちうまくて堪能する。この旅館はアタリだな。

 夜、まずは池島の守屋さん宅へ。初めて聞く話がたくさん出てとても楽しい訪問だった。その後、こちらはもう何度も訪問させていただいている別当さん宅へ。こちらの知識が深まってきた分、いままで気づかなかったことにあれこれ気づくようになった。



20021224

 ばたばたと書類やら雑用やらであっという間に夜。院受験を考えているという学生さんが来る。三回生から行く先々を考えているとは感心。
 夜はゆうこさんとハッシュ@彦根で飯。ここのところハッシュを独占している感じ。付きだしのあん肝のテリーヌだけですでにホビット庄からきのこ畑(+風呂歌唱)くらいの物語感があった。寒ブリのかま焼きの皮がまたとろけるほど。
 相方が買った「ポーの一族」を十数年ぶりに読む。十代から二十代まではこのマンガをなめるように読んでいたのだが、またしても初めて読んだときのようにぼーっとなってしまった。密度が高すぎて宝石のように透き通ってしまったもの。そして、大島弓子「グーグーだって猫である」(2)。すでに「本の旅人」で読んでいた分ではあるが、改めてグーグーの模様に見入る。


20021223

 さらに「指輪物語」。Fog on the Barrow-downs, Prancing Pony, そしてストライダーに会ってBreeを出てからというもの、食事場面が減って辛い旅。英語読解速度の限界を感じながらも、Black Riders の影におびえながら疾走する読書。その結果、昨日と今日でぐっと歩を進める。「We shall see」を繰り返すストライダーについていく日々。
 "flight to the ford"で石のトロルに歴史がreviveする感覚。そしてようやくBook 1を読み終える。これでまだ「旅の仲間」の半分。先は長いな。



20021222

 「指輪」を読み続ける。各章必ずといっていいほど歌が入るのだが、そこで感情が練り上げられてぶっとい飴になる感じ。感情の可視化。この感じはミュージカルに似て非なるもの。音楽が鳴らずにテキストで読み続けているせいかもしれぬ。大声をはりあげるだけでなく、murmurやhumであることが多いのも、好感度大。テキストのセリフ部分にも微妙に調子のよいセリフがあって、地<セリフ<詩、の間でことばが揺らされている。翻訳がかなり難しい本だと思う。
 RPGで、敵をやっつけると財宝が手に入る、というのはおきまりのことだが、ときどき、植物とかうろとかをやっつけても財宝が手に入ることがある。相手の衣服をまさぐって財宝をいただくというのは想像がつくのだが、植物やうろをどうまさぐるのかと思っていた。で、Fog on the Barrow-Downs を読んで、ああこの感じかと、ちょっと得心がいった。霧や塚から財宝を得るってこういうことなんだな。

 研究室の忘年会。飲んで食って話す。結局ハッシュに6時間くらい居た。途中までは、そこそこいいペースで飲み食いしていたのだが・・・若いやつらを何時間も座らせておくと、見境がなくなるということがよくわかった。



20021221

 朝からパワーポイント書類を作って、名古屋へ。名古屋大学の齋籐研で「行為と認知の研究会」。発語-ジェスチャーシステムと空間参照枠の話をする。1時間の予定だったが、2時間に。もう一人、同志社の荒川さんの解析は、存在の身振り(condit) や対比の身振りについて、使われる手の左右性を調べるという内容。「Mivurix」というExcelのアドインを自作しておられたのだが、これがmpegデータにタグをつけていくもので、じつに強力なジェスチャー解析ソフトだった。

 夜、齋籐先生、山本先生や研究室のみなさんと懇親会。齋籐先生の「生命における連続性と研究」話。研究者人生は子供のあるなしで、深いところで違うなあと思う。
 山本先生はテニスをはじめとするスポーツの身体運動をダイナミカルアプローチで解析している。で、ぼくの卒論生だった竹田くんが昔やっていた、鍋振りの話をするうちに、上腕をとめて手首を返すといういわゆる「スナップ」こそ身体技法の極意ではないのか、という話になる。もっと抽象的に言うと、関節にマイナスの加速度変化(力の変化)を加えるとともに、関節を自由にしてやる。すると、突如新しい支点を得て関節の先がガクっとなる。このガクッ、が問題なのではないか。さらにそこから話はヨタヨタになる。痔のCMに代表される「止まって拡散する」あの感じもこのガクッではないか。そうなるともう、三段式ロケットも花火もガクッであって、世界はガクッである。
 もとい。走り幅跳びの解析をやっているという院生の人がいて驚く。踏み切り板から6メートルくらい前になると歩幅がゆらぐんだそうだ。なるほど、砂場の平面を動きながら認知するという問題は、「キメの勾配説」の矛盾から動きの問題へと移ったギブソンの話につながる。
 てな具合に談論風発、楽しくお話して帰る。

 さらに彦根に帰って成田君とハッシュで飲む。



20021220

 指輪。キノコへの近道まで。しかし、ホビット庄 Hobbiton を旅だってからというもの、歩いて食って唄って寝てるだけなのだが、それがなんと楽しいことか。Hot water / cold water の風呂歌唱がじつに楽しい。
 夜、ゆうこさんとハッシュで飯。ブイヤベースで煮込んだ魚介がうますぎる。残ったスープはリゾットにしてもらって二度うまい。



20021219

 あれこれ書類を書いて一日が暮れる。夜、指輪物語。The shadow of the past まで(一日一章か)。

 ハッシュに新しいシェフが入ったので行ってみる。10時半をまわってすでにメインの時間は終わっていたが、付きだしのピーマンのムースを食べただけで、いいシェフが入ったことがわかる。



20021218

 あれこれと会議があって、夕方、彦根から大阪へ。ワークルームで吉田さんと「談話室」。ピープショーの話に透かし絵はがきの話。ワークルームに来るお客さんは関心度が高いのか、とても反応がよく、話していてラク。
 吉田さんのピープショーは10点ほどあって、いずれにもそれぞれ異なるアイディアが。サーカスのピープショーで、空中ブランコで手をつなごうとする二人が違うレイヤーに描かれているのにぐっときた。
 談話室でも話したが、レイヤーの端にかすかに見えているものがじつはピープショーでは重要。視点を固定して覗いているのに、何か正体のしれないものがレイヤーの影から影へ移動するかのような通り魔感覚。

 例によって急行「きたぐに」で帰宅。指輪物語はまだ"the long expected party"を読み終わったとこ(指輪通の方は、暖かく見守っていただきたい)。いやあ、このビルボとガンダルフのセリフ切りつめたやりとりはたまらんなあ。謎は謎のまま、謎の力だけを濃くしていく。
 パーティーにおけるビルボの消え方の見事なあっけなさ。111才(eleventy-one)のビルボが、指輪からも財産からも解放されて唄いながら旅立っていくのだが、こういうオトナのoff on the Road 的ヨロコビを十代の読者が「そうなのよねー」なんて読んでいるのかしらん。二十代のぼくなら、きっとビルボの残した財産に群がるホビットたちの側に共感したと思う。喜んで捨てると書いて喜捨。




20021217

 夜、本屋のほんのわずかな洋書コーナーに、the Lord of the Rings の合本版があるのでつい手にとってプロローグの1頁だけ読み始めると、ホビットの記述のあまりの巧みさに、ポケットの中の指輪に触れたかのようなよこしまな感覚が立ち上がる。いかんいかん、こんな分厚いペーパーバックを買って読めるはずがない、仮に読むとしても必要な投入時間はおそらくゼルダ並みではないか、喫茶店に持っていこうにもかさばりすぎて往生するのではないか、それよりやることがいろいろあるのではないのか、せめて日本語版の「旅の仲間」あたりからはじめて様子を見てはどうか、などと考えるうちにも、手のひらはぶっとい本の背をがっちり握ってレジに持っていってしまう。ああ、やめとけというのに。

 さて、この1000頁以上あるやっかいものをどうしよう。まあ、「失われた時をもとめて」を「スワン家の方へ」で放り出している前科があるので、ゆるゆると読めるところまでたどりつこう。まずはプロローグだけ。Appendixで発音など確認しつつ。



20021216

 コミュニケーションの自然誌。分藤さんのバカ・ピグミーの「ベ」(歌と踊り)の話。「濃密なポリフォニー」と呼ばれるピグミーたちの合唱だが、意外や意外、集まっている人の中で実際に歌と踊りに参加しているのは数人から十数人というところらしい。歌や踊りというと、すぐに熱狂とか盛り上がりとかをわたしたちは期待してしまいがちだが、人があまり集まらず、これといった盛り上がりのないまま終わってしまう「ベ」もあるらしい。それでも彼や彼女らは「いい『ベ』だった」という評価をくだす。これをことば通り受け止めるべきかどうかは留保が必要かもしれないが、少なくとも、日本のコンサートのような盛り上がり強迫観念に支えられた場と「ベ」とは区別してかかったほうがいいのかもしれない。また、「ベ」の歌声や喧噪は村内の家々にいてもはっきりと何が行われているかわかるほどに聞こえるらしい。となると、歌と踊りの行われている空き地のみならず、周囲の家々も「ベ」なるものの場の一部と見る視点もありうるかもしれない、と思う。

 忘年会。ヨタにヨタ。「感情奉行」というフレーズがうける。感情論の本を書くとしたら、タイトルはこれだな。黄昏亭でちょい飲んで、急行「きたぐに」で帰宅。急行で帰るとつくづく「旅行」感が増す。あ、上着を忘れた。


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