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20020902







 今日は教会の塔から聞こえるトランペットの響きがやけに明るい。昨日がチェット・ベイカーだとすれば今日はニニ・ロッソである。

 近くのホテルが斡旋しているアウシュヴィッツ、ビルケナウへのツアー。集合場所に行ってみると、客はわれわれ二人とブラジルから来たという夫婦二人のみ。ミニバスの後部座席に4人が乗り、前座席に運転手とガイドが乗り込む。

 クラクフからアウシュヴィッツ(オフシェンチウム)への道すがら、「あそこの修道院、とってもきれいな娘が尼さんになっちゃったりしてるんです。もったいないと思うわ」などといったトークも織り込みながらあれこれ解説が入る。「このあたりの農民は農地を150ヘクタールしか持っていないので生活が大変です」ヘクタール?アールじゃないのか。

 アウシュヴィッツに着くと、まず短い映画上映があって、それから当地のガイドに引き継がれる。着いてきたガイドは敷地内のツアーが一区切りするたびに現れて「次はあっちね」というとまたどこかに消える。相方曰く「女スパイみたい」。

 経験豊富な女スパイに比べると、当地のガイドはガイド研修をパスして間がない感じである。重い歴史に耐えようとするかのように、話すたびに眉をぎゅっとひそめる。
 ガイドについていきながら、この、次にどこに行くかもわからず時間を区切られては移動させられる事態は、収容されるという事態に似ているなと思う。
 そしてガイドツアーのせわしなさ、個別の物を点検する余裕を奪われてひとつの集積、ひとつの負の遺産としてこの場所を体験することもまた、収容されるという事態に似ている。ちょうど、狭い場所一面に遺物をスロープ状に並べて告発するプレゼンテーションじたいが、収容者の遺物をただ一カ所に集めるナチスの行為と、同じ力から成り立っているように。
 伊藤比呂美が昔、「おびただしくなる」ということばでアウシュヴィッツについて書いていたのを思い出した。個別のできごとどうしの質の差がみえなくなり、集積へと相転移させる、まがまがしい力。アウシュヴィッツで行われたことのみならず、ここでの見学のあり方もまた、その力をなぞっている。
 ガイドツアーでなく、一人で足のおもむくままに歩いたなら、あるいはこの感想は変わっただろうか。


 ビルケナウに移動すると、それまでの閉塞感はうってかわって圧倒的な広さ。わずかに残った木造の収容建築を見学して、あとは、ただ散歩する。木造部分はナチス撤退の際に火事で焼けて、煙突だけが残った。煙突二本分が収容所一個分。煉瓦煙突が延々と並ぶ平原を見渡す。
 おそらく日本人なのだろう、『ショアー』にも出てきたビルケナウの線路の上で8ミリカメラを構えて、一コマ撮っては移動している若い男性がいた。どんな映画になるんだろう。伊藤高志の「Spacy」のような?
 伊藤高志が80年代に撮った映画に、横浜のレンガ倉庫を映したものがあった。それは数え切れないほどの写真をコマ撮りしながら、一つの倉庫をゆっくりと回転させるというものだった。

 しばらく跡地を散歩するうちに、また女スパイが現れて、そろそろ行きましょうという。戦前に作られた柵に沿って小道を歩く。柵のコンクリートはあちこち朽ちて、作業員たちが修復を行っている。

 帰りのミニバスでは、「みなさんお疲れでしょうから、帰りは黙りますね」とのことで、無言のツアー。確かに疲れていたのでずっと眠ってしまった。
 終着点のホテルについてツアー代を払おうとしたら現金が足りず銀行へ。戻ってきたら女スパイはもう次の仕事にでかけたあとだった。フロントに金を預けて出る。

 眠ったら腹が減った。BARでスープ。二人で4ズォチ。
 近くのコーヒー専門店でコーヒー。絵葉書のある店。
 ホテルで一休みして、ポーランド料理屋へ。全粒粉の入ったマッシュルームスープに鳥料理にビール。二人で40ズォチ。パブでワイン。

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