The Beach : June a 2002


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20020615

 忘れないようにメモ。16日は18:10から巻上さんの課外授業がNHK教育。20:00から新日曜美術館でやなぎさんの作品展。

 一日、ジェスチャー解析ツールのバージョンアップ。その合間にサッカー。

 ドイツvsパラグアイ(1-0)。つまらん。ただでも遅いドイツ戦に加茂解説で遅さ倍。せめて、PK戦にでもなればカーンvsチラベルトのGKとしての戦いが見れたのに。

 何度も書いているがぼくはサッカー音痴なので、加茂氏の解説内容がいかほどのものかはわからない。しかし、解説のタイミングのよしあしなら多少はわかる。彼の解説は明らかに眠たい。
 コメントの一文が長すぎる。選手がドリブルであがっていくときにまだ一般論を話している。そして固有名詞が出てこない。「この選手」「このプレー」と指示語が多い。いくつもの焦点が移動していくサッカーでは、これやそれがどれのことやらわからない。バッターやピッチャーを指してるんやないねんから。

 岡田氏の解説はけっこう好きだ。彼はときどき「ああっ」とか「すばらしい」とかほとんど解説ではないような感嘆詞を発するが、少なくともその感嘆はテレビの映像ではなくピッチを見る目から生まれている。画面中央で現在起こっている個人技ではなく、過去の軌跡、あるいは画面の端や画面の外にいる者との関係性に対して感嘆が発せられている。だから、彼が「あ」と声をあげるとき、時空間がぐっとワイドになって、見えない波が押し寄せてくる感じがする。

 夜、イングランドvsデンマーク(3-0)。目がしょぼしょぼしてきて後半は見ているこちらの集中力が切れかかる。一日二試合のTV観戦はかなりキビシイ。世間の人は何インチのTVで観戦してるんだろう。




20020614

 ある学生が「○○先生のところに頼みに行って今日休講にしてもらおうと思うんですが一緒に行ってくれませんか」とやってくる。サッカー見たいからだそうだ。甘すぎ。君は病欠するときに休講にして下さいって頼むか?そんなフヌケの後押しなんかできるわけないだろ。先生に頼まずに自分で休むかどうか判断しろ。というと、サボってて単位が危ない、ですと。大甘。ま、単位はあきらめるんだな。

 というわけで、私は勝手に休む。電話やら相談やら次にはどんなヤボ用がふりかかってくるかわからないので、自宅に逃亡する。通りにまだ小学生がいる。急がんかい。日本vsチュニジア(2-0)。最近、テレビでサッカーボールを見つめていると眼がしょぼしょぼする。50cmくらいまで近づいてみる。ぎゃーとかもーとか叫ぶ。ネコはネコろんでいる。ネコを抱き上げてヨロコブ。

 夜、韓国vsポルトガル(1-0)。しびれた。韓国には勝ってほしいがポルトガルにも残って欲しい。後半、韓国が得点してからのポルトガル9人怒濤の攻め。ぐわーとかもーとか叫ぶ。




20020613

 修論提出を前にいまいち気合いの乗らない田中くんにムービーを見せてほらほらデータを見るとおもしろいだろう、と強調。

 ゼミ、講義、ゼミ。やたら暑いが学内冷房が入るのは17日から。こんな日に視聴覚室でブラインドしめきってアニメーション見たら死んでしまう。というわけで、時間を変更して外でやることにする。

 情報室からプロジェクタを借り出し、食生活専攻の白壁にどーんと映す。思わず笑える。いつも見ている環境がスクリーンに変換されるヨロコビ。

 19:30をまわるとあたりも暗くなってくる。昼の健康診断のときに声をかけたクリンガー先生もやってきた。集まった人に手伝ってもらって中庭のベンチを移動すると、あっという間にオープン・エア・シアターのできあがり。
 白壁に映すならこれだろうと、ロッテ・ライニガーの影絵アニメーションの傑作「アクメッド王子の冒険」。悪かろうはずがない。影は白壁に溶け、舵をあげて上昇する馬は四角い輪郭を抜けて空に消えるかと思われた。




20020612

 早起きしてあれこれ雑用。そして講義ゼミ。この前のGesture Conferenceで悟った通り、ゼミではデータを見てあれこれ議論することにする。案の定いろいろとおもしろいアイディアが出る。キャラクタ・ヴューポイントの変更にはメタ言語が必要なのだが、その形式にはどんなものがありうるか。ジェスチャーは単に理解を助けるだけでなく誤解の起点ともなるのだが、それはどんな場合か。などなど。今年の一回生のデータはけっこう変なのが多くて、結論は必ずしもすっきりしないかもしれないが、いろいろ考えさせられる。

それにしても。肝心のアルゼンチンvsスウェーデンを地上波でやらないなんて。どんなんやねん。

 喜多さんお薦めのEmmoreyの論文を読む。目うろこいろいろ。ジェスチャーが言語的構造を持たないのに対し手話が言語的構造を持つという違いが強調されていることもあって、二つは別物として捉えられる傾向が強い。が、こうやって空間表現の特性を見てみると、ジェスチャーと手話にはあらためて共通点が多いことに気づく。ASL関係の論文は後回しにしていたのだが、参照枠問題を考えるためにはあれこれ読んだ方がよさそうだ。

 スペインvs南アフリカ(3-2)。ゴール数はそれなりに多いのだが途中で寝てしまう。時差ボケ続き。夜中に起きる。




20020611

 一夜明けて会議やらゼミやら。
 テキサスで思いついたことをあれこれ考えるのだが、まとまらぬうちにドイツVSカメルーン(2-0)。
 なんやおもんないぞ。審判がやたらイエローを出して試合の流れが完全に寸断されてしまっている。休み時間に服装チェックする小学校の風紀委員みたいで実につまらん。
 で、その退場で10VS11になってからもカメルーンにはあまりいいところがなく、一点取られたあとは明らかに動きが落ち、もはや同点も逆転もないなと思ったら二点めまで入ってしまった。工夫なしかいな。審判の判定じたいはドイツに厳しかったが、流れが止まったことはカメルーンに災いしたと思う。
 しかし、こういうときにドイツは実ににくたらしくも手堅い。この前の対サウジ戦なんか弱い者いじめみたいだったし、どうもドイツ戦はおもしろくない。

 まだ時差ボケが続いていて、夜半を待たずに眠る。




20020610

 成田の入国審査や荷物検査の雰囲気が妙に柔らかいので、これはもしや?と思ったら、やはりスポーツ紙の見出しに「日本初勝利」。いや、サッカーの結果が入国の雰囲気に影響を与えるなんてのはマボロシだろうな。

 ロビーのTVニュースでもサポーターの熱狂ぶりとかいろいろ後日談をやってるみたいだったが、試合そのものを見ないうちにゴールシーンなんか見たらつまらないので、とっととTVの見えない席に移動し、思わず買ってしまったスポーツ紙を読む(ただし日本戦の記事は見ないようにして)。
 と、隣のおっちゃんが「なあ、昨日巨人勝ちました?」と声をかけてくる。「いや、昨日は試合なかったみたいですけど」「ああ、みんなサッカーばっかりですもんなあ」サッカーに興味のない人間としてシンパシーを持たれたらしい。

 成田から伊丹へ飛行機で。夕暮れの眼下に箱根、そしてものすごい富士山が見えた。湖もよく見える。上から俯瞰したのは初めてだ。このコースの窓際の席は最高だな。席も広いし。伊丹に近いところに住んでいたら、新幹線を使わずに伊丹-羽田を使いたいところだ。

 彦根に帰宅。相方に録画してもらっていた日本−ロシア戦の後半を見る。これはリアルタイムで見たかった。日本が勝つと分かっていてもディフェンスに緊張。

 会議前に「明治・大正・昭和 東京写真大集成」を読んで十二階絵はがきの数々のすばらしさに思わず石黒敬章さんにお手紙をさし上げたのだが、丁寧なお返事が届いていた。確か月あたまは丸善の古写真展でお忙しかったはずだ。ありがたくも恐縮。

 それからがっくり疲れが来て寝る。




20020609

 朝4時に起きてパッキング。5時にタクシーに来てもらって空港へ。ちょうどテレビではトルコvsコスタリカ戦。トルコの粘り腰にしびれる。
 とっととチェックインを済ませてしまい、ボーディングぎりぎりまで日本vsロシア戦を見る。結局前半は全部見た。悪くない展開だった。中田浩二が左からディフェンスを交わしてセンタリングしたシーンはしびれた。が、ロシアはがたいがデカいのでこの先どうなるかわからない。

 飛行機の中で、Sethの"It's a good life, if you don't weaken"を読む。途中で気がついたが、このSethというのは、ジョー・マットの「ピープショー」に出てくるあのセスのことだ。モノローグの時間とコマ運びの時間、複数の旅。窓をあけたらアラスカの上だった。

 amazon.com用に拙い英語で評を書く。英作文と英語を話すのは苦手だ。日本語に訳すとこんな感じ。


 ジョー・マットの告白マンガ「ピープ・ショー」を読んだ人なら、そこに、やはり自伝マンガを執筆中のセスという友人が出てきたのを覚えてると思う。というわけで、これがその自伝だ。といっても、ジョーとはずいぶんスタイルが違う(だからジョーは「感冒性流行におかされている」なんて思う必要はない)。物語はカロという古いカートゥニストの軌跡を追うが、それはセス自身の人生と重なっていく。カロをはじめ古きよきカートゥニストたちの描く線は、セス自身の描く洒脱な線と重なっていく。その踊るような軌跡は、雨に、列車に、木々に、髪に、電線に、凧に、トイレットペーパーに、そしてタバコの煙にすらあらわれる。これは、線を描くことでいかに思考が動くかについてのコミックだ。ひとつのコマ、憂鬱なモノローグの中のひとつのセンチメントにこだわらないこと。コマからコマへ、線から線へ、この作者がどんな風に旅していくかを感じてみよう。そうすれば、これが、新しいトラヴェローグだとわかるはずだ。




20020608

 朝、パトリシアとチャールズ・グッドウィンが話しているのを見かけたので、あいさつがてら剥がして床に置いてあるポスターの前に二人を連れ出し、あれこれと説明。グッドウィンは例によってものすごいスピードで、ポイントを質問してくる。これで、このポスターも成仏してくれるだろう。

 今朝のプレナリーはJohn HavilandとAdam Kendon。ハヴィランドの論文「Pointing, gesture spaces, mental maps」は、水窪でぼくが見ている関心にすごく重なるのだが、じつはスクリプトがいまひとつピンとこなくてこれまでちゃんと読んでいなかった。それが、このプレナリーでほとんどのムービーを見ることができたおかげで、ずいぶんと理解が進んだ。ムービーを見るという体験はものすごく理解を加速する。ジェスチャー研究にとっては、ムービーとスクリプトの往復は必須だと思う。
 最後のスピーチはケンドン。さほど突っ込んだ話はなく、ざっと総まとめという感じ。それでも、gazeの論文に始まりこの分野のパイオニアとして長年活躍してきた彼には長い拍手が。

 クロージング・セッションが終わってから喜多さんを誘って昼食がてらあれこれデータを見てもらう。共有スペースの問題と、キャラクタ・ヴューポイント,オブジェクト・ヴューポイントの問題についてあれこれ議論。やっぱり、ムービーをぱっと見てからの考えの反応がすごく速い。

 夜のバーベキューまでしばらく間があるので、一昨日散歩したときに見つけたコミック屋に行ってみる。ちょっと好みと違う品揃えだったけど、カウンタでマンガを描いてる店主のティムの絵がおもしろかったのであれこれ話。51th streetにあるコミック専門店を教えてもらう。
 1番のバスでずっと先まで行くと、だだっ広い郊外にぽんと立っているのがオースティン・ブックス&コミックス。すばらしい品揃え。クリス・ウェアの「クインビー・ザ・マウス」の立て看板は身の丈より高く、そのあちこちにポケットがついていてアクメ・ノヴェルティのバックナンバーがささっている。もちろんダブってないのは全部買う。リトルネモ完全版もあった。なんだ、ファンタグラフィックス版じゃないのがあるんじゃないか。その他、あれやこれやそれや見たことないのや、とにかくもうええっちゅうくらい買う。

 しかし帰りのバスがなかなか来ない。結局バーベキューの送迎バスに間に合わなかった。まあいいか。これだけ読む本があるんだから。それに明日は早いし。寝転がって「ソフボーイ」を読んでるうちに睡眠。




20020607

 「サッカーに鈍感な国」として知られるアメリカだが、それでもいくつかの試合は中継されている。しかもスペイン語中継だ。こちらではちょうどアルゼンチンvsイングランドが朝6:00から放映だと知り、早起きして見る。

 スペイン語中継はときどきすごいと思った。ぼくは例によってサッカーのことはきちんとわからないので、ジェスチャー分析と同じように見る。つまり、音声と実際の所作との前後関係に注意する。すると、パス回しやドリブルで、ときどき実況がボールの軌跡に吸いつくように固有名詞を唱えることがあるのに気づく。日本の実況だと、パスが渡ってから「宮本」「戸田」という風に名前が呼ばれていくのだが、スペイン語実況では、パスが渡るときにすでにして名前が告げられようとしていることがある。つまり、実況アナウンサーがパスを読んでいるということになる。これが、アルゼンチンの波のような攻撃とからまると、音と画像とが大きなうねりとなって、まさに波状攻撃として感じられる。

 しかし、結局、弔いのような「ゴーーーール」の声。

 朝からすっかり消耗するが、今日はサイン言語研究の第一人者のリデルに、御大マクニールという、ジェスチャー研究者にとっては涙がちょちょ切れるようなメニュー。マクニールの生データを見ることもできて、充実の午前だった。
 それから、音楽演奏とジェスチャーのセッション、エスノメソドロジーのセッションなど。
 夕方さんが、リードの「アフォーダンスの心理学」に出てくるPatricia Zukow-Goldringと食事をするというのでご一緒する。パトリシアは30代に入って大学院に行ってたそうで、その頃は片やガーフィンケル、片やギブソンという、うらやましいような環境で発達研究をやっていたという(実際には流派間の交流はさほどスムーズではなかったらしいけど)。相互行為の重要性を何度も強調していた。
 宿に戻って、古山さんと丸山さんの部屋にお邪魔して、パソコンに入っているデータを見せまくる。インストラクターと聞き手のつづれ織りのような相互作用が見られるぼくのデータは、きっと折り紙研究をやっている古山さんの頭にピンとくるはずだという予感があったからだ。じっさいおもしろがってもらえたらしく何より。




20020606

 朝の三時に起きてポスター仕上げ。しかし後で分かったことだが、ポスターにはほとんど観客がいない。なにしろほとんどの時間がパネルとダブっていて、しかもそのパネルが延長するので外に人が出てこない。会場で知り合った人に聞いてもらうのみ。ちょっとこの扱いはひどいな。パネルセッションに申し込むべきだった。

 早朝のオースティンを散歩。すごい声で鳴くwagtailがいる。なんて鳥だろう。

 それはそれとして、朝からまたまたジェスチャーだらけ。あちこちのセッションでクイックタイムムービーが大はやり。

 スタンフォードの(あの共有知識のClark & Marshallの)クラークたちがやってるセッションが、いかにも楽しそうにムービーを味わっていてうらやましかった。
 クラークがあつかってたのは、レゴを二人で指示役・作業役という役割分担をして組み上げる場面。指示側の発語(e.g.「緑の色をとって」)に、作業側は発語が終わらないうちにもうその色をとって「これ?」といった感じでレゴを上に向けて見せる。非常に緊密なやりとりを要求する場面だ。たぶん送信キーを押すチャットではけしてできないだろう。リアルタイム性を要求する設定で、データとしておもしろいと思う。
 クラークの口からはmutual knowledgeならぬmutual believingということばが飛び出していて、なんか多幸感にあふれてる感じ。まあ、隣接ペアに相当するものをジェスチャーに見つけたくらいでそんなにシアワセになっていいものなのか、という違和感もあるが(だってそんなのジェスチャー論ではとっくに乗り越えられている)、言語学者はいまジェスチャーに驚いているところなのだろう。そして驚く能力に長けているのはいいことだ。
 日本でもこんな風にムービーをとことん味わうサークルを作るといいんじゃないだろうか。とりあえずゼミでやるかな。

 あと、Bavelasたちの発表で、向かい合わせの対面行動をそれぞれの正面から二台のカメラで取って合成してたんだけど、これがじつに見てておもしろい。単に二人の正面図を合成して並べただけで、同期が手に取るようにわかる。これも学生にやらせてみるにはいい方法だと思った。

 つまるところ彼らの言いたいことは、人間のことばとジェスチャーはすごく反応が速いということに尽きる。そしてパソコンの発達によって、ムービーを簡便にコマ送りで見ることができるようになり、そのおかげで、人間がじつに素早いということがあきれるほどよくわかるようになってきた、ということなのだろう。
 つまり、この興奮はテクノロジーの速さによって人間のすごさを再発見した、という驚きなのだ。

 さっきも書いたように、人間の、というか生物の速さに驚く能力があるのはいいことだし、研究者の必須条件だと思う。このジェスチャーはすごい、というのを一発で分かる感性はあった方がいいし、ゼミであれ学会であれ、そういう研究集団が集まってるほうがあれこれエンカレッジされることが多いだろう。

 でも、その先も見据えておく必要がある。速さにただ驚いてるだけなら、テクノロジーによる興奮が冷めたときにたぶん何も残らないだろう。
 速いが、ゼロ時間ではない速さで、事が並行して起こっている。それを束ねる意識のあり方、そして意識を拘束する環境のあり方を明らかにすることが問題だ。そして、束ねる意識を持った者が複数いて事を起こすときに何が起こるか。

 速さを丸めずに、速さにキャッチアップすることばを考えること。

 飯を食いがてらいっしょにクラークたちの話を聞いていた古山さんとあれこれ話。おもしろかったけど、あの先どうするんだろうねー、とか。彼のやっている呼吸と所作のダイナミックシステムのことなど。

 午後のセッションではGullberg&Kitaの、聞き手が相手のジェスチャーをどれくらい注意しているかに関する研究がスマートだった。アイトラッカーにはこういう使い方もあるのだな。意外にも聞き手は相手のジェスチャーをほとんど見ていない。おもしろかったのは、話し手が自分のジェスチャーを見ると、聞き手もそれに(少しだけど)注目しやすくなる、という点。
 Seyfeddinipurのmonitoring of errorsの話も興味が重なるところが多かったが、addrresseeの話が入っていないのが別れ道って感じ。


 ともあれ、今日まで聞いた範囲では、実験派と人生派の隔たりはけっこう大きいということを痛感する。

 近くのレコード屋に行くと、ダニエル・ジョンストンのカセットが山ほど置いてあったので、ダブリをのぞいてごっそり買う。元マネージャーがときどき補充しにくるとのこと。外に出てレンガの壁を見たら、例のナメゴンの頭をしたやつのイラストがスプレーで書いてあった。
 




20020605

 というわけでオースティンでGesture Conference。朝ぶらっと食事に出かけたときに知り合ったLorenzaは博士号をトラベローグで取ってから会話分析とジェスチャー分析に入ったというおもしろい経歴の持ち主で、フンボルトのトラベローグは最高だよねー、とか、パノラマ館の話とかエレベーターの話とかで盛り上がる。ドイツにエレベーターの密室性の研究をしている知り合いがいるらしい。

 長身のStreekはテキサス的にのんびり話す。それに続いて短身のグッドウィンの機関銃のようなしゃべり。ムービーを駆使した観客を飽きさせない内容でプレゼンとしてはすばらしかった。なんといっても、これまで論文で読んでいて、隔靴掻痒の感のあったaphaziaの話やHopscotchの話が、目の前でムービーになって動くといっぱつで分かるおもしろさ。論文という言語はジェスチャーに追いつかない。だからその追いつかなさを論文に書く、という人生。

 以下、一日ジェスチャーの話。




20020604

 朝、心残りだった原稿をあげて関空へ。

 ああつまらん。日本vsベルギー戦のそのときに、ユナイテッドの機上だなんて。乗客全員(ぼくも含めて)マヌケ面に見える。しばらくポスターを作っていたが、じきにふて寝。

 サンフランシスコからデンバーへ。考えてみると、このエリアを空から見るのは初めてだった。荒涼たる土地。アメリカは月に行かなくともここに月があるじゃないか。涙の跡のように乾いた川が毛細血管のように走り、ほとんど人の手がついていない砂漠。観光にすらならない場所。
 しばらく飛ぶと、たまに、宇宙人が作ったとしか思えない丸い緑地がある。それでわかったが、地球人は宇宙人の一種だった。

 デンバーで3時間待ち。新しそうな空港なので、トランジットを抜けてあちこち見学。シャトルのアナウンスが京都も顔負けの「うるさい日本の私」で、「Hold on, for the departure to Concorse, B」といちいちバカ丁寧。
 キングサイズの従業員の差し出すキングサイズのキングバーガーを食って、ああまたアメリカに来たもんだと思う。9・11以来は初めてだ。さすがにセキュリティは厳しくなっていて、係員が身体のすみずみまで細かくチェックする。にこやかにSorry, It's a great job を連発するので、それが頭の中で「どうもすいません、もうほんとたいへんなんすから」と、林家三平の声に変換され、三平に言われるままジャケットをはだけ、靴を脱ぐ。三平に足の裏を差し出すのは恐縮である。
 ポスターの準備の続きをするが、なにしろ時差ボケで頭が朦朧としている。もういいや、オースティンに行ってからにしよう。




20020603

 大阪へ。博覧会研究家の寺下のコレクションを、こんど乃村工藝社が引き取ることになったのでその内覧会。主催は橋爪さん。

 部屋に入ったとたん、異様な空気に浮き足立ってしまう。自分の見たいものがあまりにあり過ぎる。さりげなく机に広げてある絵はがきフォルダはどれも東京勧業博と大正博のものばかりだったりするし、部屋のすみに洋服を重ねるように吊ってある石版画はこれまた博覧会、東京勧業博だけで10枚以上ある。

 そして、古本屋が開けそうなほどの書架に収まっているのはすべて博覧会関係書籍。うわあ、シカゴ博の生写真だ。え、これ日本展示のジオラマだ。「The department of War」だって。なんだこりゃ。といったぐあいで、どんな古本屋に行ったってこれほど自分に波長のあう本がずらりと並んでいるなどということはあり得ない。盆と正月とクリスマスが一度に訪れると人はただ途方に暮れる。というわけで、なんとなくぼんやりしつつ寺下さんのお話を伺う。70年万博の開会式で、お祭り広場の上から紙吹雪が一面に舞う場面がある。これは万博記録映画でのハイライトシーンなのだが、あのとき、寺下さんはビニル袋からまいていたのだとおっしゃる。で、その紙吹雪も「とってある」そうだ。

 十数年前に出版された「博覧会強記」(いいタイトルだ)を拝見。十二階の項目を見てまたしても驚く。わずか二ページほどなのに的確に、きわめて詳しい情報が盛られている。どちらかというと博覧会のテーマからは傍流の十二階についてこれほどのまとめかたがなされてるとなると、あとの博覧会ものの充実ぶりはいかばかりか。

 というわけで、ただただ敬服しつつ、集まったメンバーと乃村工藝社の方々とともに寺下さんを囲んで飲み会。コップ酒をすっと飲みながら、清水さんと漫才さながらに楽しそうに話される。

 帰ると夜半過ぎ。さてもうひとカルマ落とさなくては。




20020602

 貯まりに貯まっていた原稿を一つ。といいつつ、じつは日に二試合はワールドカップを見ている。延長がないから正味3時間ちょいTVにかぶりつく程度。




20020601

 びわ湖ホールでピナ・バウシュ「炎のマズルカ」。ピナ・バウシュ公演を見るのは初めて。

 暗転したと思ったらもうたたたと一人の踊り手が駆けおりてくる。その軌跡のすばらしいこと。
 マイクを持ってため息をつく女が現れる。軽々と倒れ、持ち上げられる。ため息をつくための体重しか持ち合わせていない生き物。歌うための体重しか持ち合わせていない小鳥のような女。笑いすれすれの緊張。いいすべり出だしだ。

 しかし、そこから少しとまどう。
 たとえば、プランテーションのバンドネオン演奏のビデオが投射され、その光景はそのままにクレーメルのピアソラ演奏に入る。このそぐわなさはわざとなんだろうか。
 意外にもセリフの多い演出。たどたどしい日本語は鼻っ柱の強い語気のおかげで愛敬すれすれの高邁な味を出している。ときどき何をするでもなく舞台を通過するダンサーもいる。
 とくに複数の出来事が進行しているシーン。が、これらの底抜けな感じはわざとなんだろうか。だとしたら、この舞台にどうつきあったらいいのか。

 ・・・と前半は正直とまどったが、幕間に流されていたソシアルダンスの安いビデオを見ているうちに、そうか、確信犯なのだな、この安さにぐっと来て作られた舞台なのだなと分かり、あとは疑念をさしはさまずに全肯定で見る。走る走る。男の胸に男が飛びこみくるりと回されて放り投げられる。
 そう、じつに何度も踊り手たちは体を放りだす。するとじつに適切に放り投げられる。どうにでもなれと他人に預けた体が、他人から空中にパスされて、気がついたら着地している。うらやましい。ぜひぼくもやってみたい。放り出すほうも放り投げるほうも。

 掘立小屋を立ててその中で踊る人々。そして花と波の長い夜。

 最後の10分ほどで、一晩すごしたような濃密な気分になった。

 ということは会場を出たこの時間はまだ朝か。得した気分だ。琵琶湖畔でなごむ。

 帰って、ドイツvsサウジアラビア。ドイツやりたい放題。なんか巨人と子供みたいな試合だった。というかそんなにやられっぱなしでいいのかサウジ。

 そしてまた夜。





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