The Beach : Dec. a 2001


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20011215

 「浅草十二階計画」に江戸川乱歩「活弁志願記」よりを追加。

 ようやく自室の整理にとりかかる。




20011214

 相互作用は矛盾によってしか観察できない。矛盾のないものは相互作用ではなく、一つの作用にしか見えない。矛盾のない音楽はインタープレイではない。矛盾のないインナープレイに欠けているのは、多重人格の相互作用である。

 不合理ゆえに我信ず、とか、浮ぶ駅の沈むホーム、とか、グッバイからはじめよう、とか、昨晩お会いしましょう、といったフレーズはいずれも、矛盾によって相互作用を発見しようとする警句として読まれるべきである。どうでもインナースペース。




20011213

 イヤなニュースが続く。

 野村沙知代という人は、たぶんズサンさを強弁で乗りきってきた人で、周囲もその強弁を許してきたのだろうし、メディアはその強弁を肥大させてきた。そのことに別に興味はない。

 しかしどうも違和感を感じるのは、その証拠としてテレビで何度も放映される電話録音だ。ケニー野村という人は、被害者然としすぎている。一方の話し手だけが録音と公表を前提に自分の痛いところは隠しながら相手の痛いところを誘導質問していく会話には、明らかに話し手側のバイアスがかかっている。それを、テレビはなぜ証拠物件として何度も取りざたするのだろう。メディアは、母親の強弁から今度は息子の怨念へと、肥大の対象をスイッチさせただけのように見える。

 田代まさしは、事件を起す前から、自信のなさが言動に現れる芸人だった。バカ殿の横にいるときはいいが、彼がメインで司会するバラエティやスポーツ番組を見ていると、いつ進行が滞るか不安でしょうがなかった。ゲストで出るたびに何かしら小道具を用意して細かいネタを披露するところも、小心でセコく、そこが味だった。

 覚醒剤にのぞき、と聞いても、極悪人には感じられない。いかにも彼らしくしみったれた話だと思う。近所の家の風呂にいる男をのぞいていたというのだが、その話も、果して男の裸をのぞきたくてそこにいたのか、いろいろめくるめいているうちに風呂の前に立っていたのかわからない。

 事件前の早稲田での講演では「マスコミはちゃんと調べて報道してない」といった趣旨のことを言っていたらしく、テレビや新聞では鬼の首でも取ったかのように「あきれた」「とんでもない」などとさんざんだが、そのマスコミの方が居丈高に見える。




20011212

 ゼミをしようと演習室に入ったとたん、足下がぴちゃりと言った。
 それで、ああ海に来たのだなと思った。そういえば海はひさしぶりだ。このところ予感していた世界の変化はこんな形で訪れたのか。この海のない滋賀県の二階がひたひたになるほど世界は海に覆いつくされた。

 と、いうようなことを考えたのは一瞬のことで、じっさいには、天井から盛大に水漏れがしていたのだった。事務に連絡を頼んで修理に来てもらう。

 ドアをあけて、まず床を見てから足を踏み入れたら、こんな感覚には陥らなかっただろう。先に足先から水の感覚がきてそれからあたりを見まわしたので、意識に隙ができた。ずっと視覚によって活性化されて続けていた意識生活が、不意の足先の感覚に驚いたのだ。




20011211

 今日は学部の忘年会だったような気がするが、この二日酔い状態ではあきらめるしかない。古本屋と本屋をまわって、腕が抜けるくらい買い、喫茶店でぼんやり読書。喫茶店がたくさんある街は居心地がいい。

 「認知科学の新展開」シリーズの関連する章を拾い読み。ジェスチャー産出の逆モデルを考えるときのポイントは、まず最初にフィードバックありき、という点。そして、このフィードバックというのは、無限に短い時間でかえってくるのではなく、有限の、おそらく0.01sから0.1s単位のできごとなのだろう。Jeffersonの論文にあった発話のタイミング予測に伴う「blind spot」は、たぶんこのレベルで起るできごとだ。

 もうひとつ。ジェスチャー産出の逆モデルは、誤差計算が組み込まれている点が優れているが、いっぽうで、何が「錯誤」となり「誤差」として評価されるかという問題は残されている。言語とジェスチャー(もしくは分析的思考と空間動作思考)の齟齬は、ここでも問題となるだろう。




20011210

 午後、「コミュニケーションの自然誌」研究会で、藤田さんの「古典演劇としての能の特質 −− 登場人物の役割と謡の旋律性」。同じ平家物語の一場面を、平家語り、能、文楽、歌舞伎の間で比較するという趣向。あれこれ考えを動かされておもしろかった。

 平家語りでは、ナレーションと登場人物の語りの調子が互いに浸透しあっている。それが、能では、「問答」がワキ・シテなどの登場人物によってなされ、モノローグはクドキやクセによってなされ、調子がやや分化する。
 ここで、おもしろいのは、クドキやクセの中にじつはナレーションが交じっている点。たとえば俊寛のクセの部分で「もしも礼紙(らいし)にやあるらんと、巻き返して見れども、僧都とも俊寛とも、書ける文字はさらになし」という部分で、シテは自分で巻き返しながら、「巻き返して見れ『ども』」という。
 『ども』という逆接は、巻き返した結果を知っている者だけが使えることばだ。しかし、巻き返している者は、巻き返した結果がどうなるかをまだ知らないはずだ。つまり、ここには、行為をしながらナレーションをつけるという現象、つまり、自分の過去の行為をもう一度演じなおすという現象が起こっている。

 ジェスチャーに時制はない(手話とジェスチャーの違いはここだろう)。
 能のおもしろいところは、この、謡に乗って現在のジェスチャーが過去のものとして遠ざかるところだ。逆に言えば、現在のセリフは謡に乗るうちに、未来へと離陸する。

 モノローグは会話を拒絶する。だからモノローグには嘘はない。能ではモノローグは旋律を伴う。そのことで唱和を促す。対面するものとのコミュニケーションを絶ち、しかしそのことで観客とのコミュニケーションを図ろうとする。

 その後、忘年会。終電を逃して京都泊り。




20011209

 一昨日に続き、今日は台所を収納改善する。

 「収納」とはいえ、今日も半分以上は掃除の時間。冷蔵庫の下からはタバコ、銀杏の殻、ピンポン玉、ひしゃげたテニスボール、ライター、十円玉、ボールペンなどが出てくる。おそらくいずれも猫が蹴りこんだものだろう。うちの床は猫のサッカー場であり、冷蔵庫下はゴールである。ただし4年間、このゴールに気づいた観客がいなかった。

 近くのホームセンターには計3回足を運ぶ。自転車で5分なので、少し作業をして、必要性が明らかになったところで買いに行く。

 これまで探す気がなかったので気にもとめなかったが、世の中にはさまざまな部屋の隙間に合わせるべくさまざまな棚やストッカーの既製品が開発されているのだった。冷蔵庫の横の18cmの隙間に合うものがないかと思って台所用品のそばをみると、ちゃんと幅18cmのストッカーが売っている。なぜぴったりなのか。もしかして世界の隙間はすでに規格化されているのだろうか。

 カラーボックスの棚の位置を変えるには穴をあけなきゃなと思って電動ドリルのありかを店の人に聞くと、「ドリルドライバーですか、インパクトドライバーですか」と逆にたずねられる。そう言われてもどちらもわからない。結局、木工などに使うのは「ドリルドライバー」で、「インパクトドライバー」というのはコンクリートなどに穴をあけるのに使うそうな。へえ。
 収納にハマった世の中の主婦や主夫の何人かはこんな風に、「ドリルドライバー」とか「インパクトドライバー」といったカタカナを覚え、木ねじの直径に注意を払い、何ミリ径の穴をどこに開けるかを学ぶのだな。それにしては、esseの収納特集にはそんなこと書いてなかったな。それとも、カラーボックスの組み立てはいまだに「ダンナの仕事」なのかしらん。

 ともあれ、カラーボックス780円を買ってきて棚を作り、以前からあったプラスチックのカゴをばらして引き出し代りにする。これでいわゆる「野菜ストッカー」ができた。
 隣の古道具屋で小さいタンスを買い、さらに、100円ショップに行き、(メジャーでサイズを計った上で)いくつかトレイを買って仕切る。台所のテーブルにばらまかれていたさまざまな物品はこれに入れる。

 かくして台所は相当広くなった。

 で、この調子なら自分の部屋は楽勝だと思って片づけに取り掛かるのだが、どうもすんなりといかない。ひとつひとつの物品へのこだわりがじゃまをして、なかなか分類が進まない。




20011208

 彦根で米朝一門会。
 あさ吉「時うどん」の、汁をすする音。最後にず、ず、と二度すするところ。米左の「餅つき屋」の餅をつく手の音の確かさ。杵がモチに当たる。合い方が一手でモチに触れ、もう一手でモチを返す、計三つの音の鳴らし分け。
 米朝は中入り前で、自作の人情噺。以前より少し声が小さくなられたかと思う。しかしその分、嘆きの声の解像度は増して、その声の肌理を聞いているだけでしびれる。
 都丸のなめらかな噺があって、南光の長屋噺。美人の後家をめとる男をうらやんだ男たちが、前夫の幽霊を出して新婚夫婦をおどかしてやろうという筋なのだが、題名はわからない。南光の声は例によって人声というよりはシンセサイザーのようでこの世離れしている。ホワイトノイズと倍音がたっぷり入ったその声で「さぶーーっ」と言われると、声自体が幾通りもの速さを持つ木枯らしとなってこちらの身にしみるようですさまじい。かつて枝雀の声にも高い倍音がまじって、それが彼の狂気であったと思うが、南光の声にも以前に増して枝雀の狂気が混じってきたように思う。

 会場で本にCD。『米朝ばなし 上方落語地図』は米朝の語り口調が聞こえてくるよう。昔、夜の9時前だったか5分ほど、毎晩米朝がナレーションをする料理番組があって、本人が食べているわけでもないのに、その料理づくりの段取りを話すだけでいかにも美味そうなのに、聞いていて惚れ惚れとしたものだが、その番組のことを思い出した。お侍に切られる「胴斬り」の舞台が中之島なのは、「大名の蔵屋敷の多い中之島では、諸国のさむらいが、あの界隈をうろうろしていたところから出来た話でしょう」とのこと。

 「落語と私」は、平明なことばの中に、目うろこが満載。たとえば、次の部分は、表現としての指さしを考える上ではっとさせられる。


 人さし指を出して、物をさし示す場合でも、ちょっとした要領があります。お能の方に、謡に少しおくれて、動作をおこす・・・・・・という教えがあるそうで、たとえば「月」という謡をきいてから月をさし、「花」ということばが発せられてから花をみる。落語の場合もそれといっしょで、「火鉢」と言ってから指をだせば、お客には、その示された場所に火鉢が見えるわけです。
(桂米朝『落語と私』文春文庫)



 あるいは、講談と落語の違いを語る次の部分。


 講談の話法の一例をしめしますと、
 「文政十一年六月、風が死んだような暑い日盛り、年の頃、二十五、六の目つきのよくない男が、まくりあげた左の腕には刺青がチラチラのぞいて・・・・・・、右手で荒々しく格子戸をあけると『御免よっ』とはいって来た』てな調子になる。(中略)このくだりを落語の話法でやりますと、まず「御免よっ」というところからはいる。そしてあとのやりとりの間に、それが夏のあつい日ざかりのことで、その男が二十五、六のがらのよくないひとくせありげな人間であることを、表現してゆくわけです。
 (『落語と私』)


 ここでは、落語が、講談説教のような「説明」ではなく、「描写」であるということが説かれているのだが、この話にはもう一つ重要な点がある。それは、「説明」による講談ではハナからすべてが明らかにされるのに対し、会話という「描写」による落語では、ことは時間とともに明らかになるという点だ。落語における会話は、エレベーターの中で聞く他人の会話に似ている。話の背景は、会話が進むにつれて明らかになる。最初の「御免よっ」は、少なくともその口調から、どんな者からどんな相手に発せられたのか推測はつく。が、正確なところはわからない。やがて会話が進むにつれて、暮らしが明らかになり、季節が明らかになり、明らかになる暮らしや季節は、「御免よっ」を思い出させ、すでに過ぎ去った発話を思い出させ、それらを暮らしや季節を通じて捉えなおさせる。記憶が改変される。
 
 マイクについて。音空間環境を捉える名人の感覚。


 落語や講談に限らず、講演でも講義でも、すべて話というものは、聞こうとつとめないと聞こえないという、つまりすこし低いぐらいの時は、かえって身を乗り出して聞き手は集中してくるものです。
 お客をひきつけるために、わざとしゃべりだしを低い声にする人もあるくらいです。場内もその方がシンと静まりますし、咳をしたり物音を立てたりすることが、他のお客へ気がねになるという・・・・・・これが本来の客席のマナーなのでしょうが、マイクがなければそういう雰囲気も生まれてくるのです。むやみに音が高いと、聞く気のない人にでも、音の方が耳をおしわけてはいっていくような感じになります。それでは芸の余韻というものが消えてしまいます。
 場内で子どもが騒いでいても、音の方はそれにも負けず、聞こえてきますから、これでいいんだてなもんで、なんとなくザワザワしています。そんな時に、マイクのボリュームを思いきってぐっと下げると、不思議に落ちついてくるものです。
 (『落語と私』)




20011207

 収納ブームだ。料理、ガーデニングと来て、最近の女性誌の記事に「収納」や「リフォーム」が目立つ。この不景気では、マイホームを買いなおす可能性を考えるよりも、今いる家を直すほうが現実的だ。しかし具体的にはどうすればよいのか。というわけで、「収納」や「リフォーム」は今の時代にどんぴしゃりのブームなのだろう。

 しかしそのことを除いても、「収納」番組は見ていてなかなかおもしろい。ぼくは、部屋をモダンにとか壁紙を貼るとかテーブルクロスをコーディネートするとかいった話にはとんと興味がないが、物の配置を変えるという行為はあれこれ想像力をかきたてられる。

 このところ昼の「ベストタイム」の収納コーナーを見ていてわかってきたのは、収納は空間認知の錯誤にかかわっているということだ。ドナルド・ノーマンが道具に着目したように、収納名人は空間に着目する。

 ヒトは目の前に穴ぼこがあると何かを入れてみたくなり、水平な台があると何かを置いてみたくなる。モノの上にモノを積みたくなる。これに対して、「ここにモノを入れないようにしましょう」とか「モノを積まないようにしましょう」と言っても必ずしも効果はない。ヒトは全体的なバランスを考慮するよりも、つい手近なところにモノを置き、モノを積む。

 つまり、モノが片づかないのは、ヒト=収納場所関係が、まちがったアフォーダンスを持っているからなのだ。ヒトは手近な空いた場所に物を置く。すると、置いた物がさらにその上や横に物を置くことをアフォードする。間違ったアフォーダンスがさらなるアフォーダンスを生み、アフォーダンス連鎖が積み上がり、部屋は物置きと化す。

 そこで、収納の基本は、手近なところに収納場所を確保すること、積まずにすむように収納方法を変更することである。つまりヒトの方ではなく、環境の方を変更するのである。
 収納場所を確保するには、天井までの空きスペースを有効利用し、またデッドスペースを作らないよう家具の向きを変える。そして垂直方向に高い場所にはあまり使わないものを入れる。と書くと当り前のことなのだが、自分の部屋となるとなかなか気づきにくいものだ。

 積まずにすませるためには、垂直方向のスペースを仕切るのが基本技。鍋の上に鍋を積むのは、鍋の上にスペースがあるからだ。そこでたとえば、流しの下の広いスペースには床にコの字型の棚を置く。こうすると、鍋はそれぞれ別々の棚に収まる。また、垂直の仕切り板をつけて、フライパンを縦置きにする。


 というわけで、「近藤マジック」はノーマンの「誰のためのデザイン?」なみに、さまざまな人間の認知の落とし穴を暴いてくれる。

 さて、本日もまた仕事をしながら「痛快エヴリデイ」のタージンと近藤典子の収納特集を見ていたのだが、家に帰って、洗濯を始めたところで、突如、洗面所のデッドスペースが気になりだす。
 あの体重計はなんだ。たんすと洗濯機の間、人の入れない隙間に置かれているではないか。そして、この洗濯機の両側の半端なスペースはなんだ。片側にはネコの砂とエサのストックが詰め込まれ、もう片側には洗剤が漫然と置かれている。そして、なぜ脱衣かごがないのだ。うちでは洗濯物は洗濯かごに、脱衣して後でまた着るものは洗濯機の上に置いているのだが、その脱衣ものが洗濯機の上に乗り切らずにネコの砂の上やら洗剤の上やらにこぼれ落ちる。これはいかん。ここに住み始めてすでに4年になるが、以上のような事態にかくも切実に「これはいかん」と思い始めたのは今日が始めてだ。これこそメディアによる洗脳、いや、近藤マジックというべきだろう。

 というわけで、収納改革を決意する。まずカオスと化したたんすの上から、キーホルダー型のメジャーを発見する。武器を手に入れた。メジャーこそは収納の必須アイテムである。収納の基本は空きスペースのサイズを測り、それにぴったり合う家具を見つけてくる(あるいは作る)ことであり、メジャーとは収納におけるムラサメブレードである。

 というわけで、まずたんすと洗濯機を移動し、隙間をメジャーで計り、ホームセンターに行き、めぼしい家具を見つけてはメジャーで計りまくり、たんすの横のデッドスペースにぴたっと収まりそうなやつを見つける。

 さて、やってみるとわかることだが、収納改革の行程の半分以上は、じつは掃除である(TV番組ではこの過程はつまらないせいか省略されている)。棚をどければ、なくしたと思っていたボールペンだの百円玉だの時計だのかわった形のいしだのが埃やらネコの毛にまみれてごっそり登場する。金を除いて全部捨てる。天然の接着剤と化し床にこびりついた汚れをごしごしふき取る。
 ついでに押し入れの服も整理する。放置が長すぎて使えないものも山ほど出る。10年くらい前の黄ばんだ服がわらわら出てくる。ばんばん捨てる。ゴミ袋4袋ぶん捨てる。

 デッドスペースに収納棚を置きなおし、ものを入れ直す。おお、まるで「近藤マジック」。ひろびろ。




20011206

 データ見直し。Language & Gesture (ed. McNiell)の喜多論文「How representational gestures help speaking」を読み直す。

 この論文では、従来の「イメージ活性化仮説」「語彙引き出し仮説」に対して、「情報パッケージ仮説」が提唱されている。その特徴は、ジェスチャー→言語という過程だけでなく、言語→ジェスチャーという過程も含めていること、また、言語/ジェスチャーという二分法ではなく、分析的思考/空間動作(spatio-motoric)思考という二分法を用いることで、言語とジェスチャーの背後の相互作用を扱おうとしている点にある。

 情報パッケージ理論じたいもさることながら、それを考えていく過程に生まれるアイディアにいろいろ考えさせられる。たとえば「パッケージ」ということばには、時間の制約が含意されている。ことばとジェスチャーの産出にあたっては、「分析的思考」と「空間動作(spatio-motoric)思考」の相互作用が行われるのだが、もし無限の時間をかけることができるなら、ことばとジェスチャーは矛盾のない完成されたものになるだろうが、それはもはや相互作用としては感知されないだろう。短い時間内でとりあえずパッケージしなければならないために二つの思考は矛盾した形で現れうる。そしてこの矛盾にこそ、話し手の「分析的思考」と「空間動作思考」の相互作用が現われ、それは会話のリソースとして運用される。




20011205

 講義ゼミゼミ。




20011204

 ジェスチャー実験の続き。三回生や東山研のゼミ生に協力してもらう。やはり、予想しないバラエティが出る。




20011203

 講義のあと、大阪で会話分析研究会。Jeffersonの会話の重複の遅れに関する論文。相手がすでに発話を始めているのに、それに少し遅れてついこちらの発話が重なってしまう現象について。
 Jeffersonによれば、話し始めようとするとき、ヒトは相手の話の終了点を予測し、さらにはそれに伴う短い沈黙(間)を予測した上で、予測される終了点+沈黙の時点からしゃべり始めようとする。ところが、相手はときどき、予測される終了点を過ぎてまたしゃべり始める。いっぽう、予測をもとに発話を始めるとき、こちらは相手の発話への注意を怠っているので、一種の「blind spot」状態になっている。というわけで、相手の発話に少し遅れてこちらの発話が重なってしまう。

 天満橋でさんざ飲んでカラオケに行き、終電を逃して天満泊り。




20011202

 朝、みなみ会館で「サイレント」(マフマルバフ)。昼から国際会議場で石川九楊・吉増剛造講演会。帰りに万年筆と原稿用紙を買う。

 筆圧の反映される環境で書く。原稿用紙を膝の上に乗せて書くと自然と前かがみになる。「か」という字がかつて持っていた屈曲(それは女手によるひらがなの連続性への違和感として、藤原俊成の書においてあらわれた)について今日は聞いたので、自然と「か」とかくときの「か」の字に力が入る。「か」と柔らかくひらがなで連なろうとし、しかしその一画一画は、ひらがなへの違和感から折れ曲がろうとする。
 字もまた声と同じく、文脈によりその要素の形は変化する。「か」は書かれるたびごとに違う形を纏おうとする。かがむ。
 「永」という字にはすべての方向が含まれているという。だから今日のように新しいペンを買った日には、まず「永」の字を何度も書いてペン先をならせばよい。しかし、永の字だけを書くというのは、どこか功利的で、ただ功利のためにこの四百字づめの原稿用紙を埋めるのなら、なにもペンで書くことはないと思う。もう三百字になろうとしている。ふしぎなことだ。子供のころ、四百字は苦行だった。それは長距離マラソンだった。あるまとまったできごとを書こうとして、しかしその全貌が見えないとき、子供は見えない全貌に向けて軽々と書くことができない。筆先に体重を乗せつづけてやがて現われるであろう未来を信じることができない。これはきっとまとまらない。まとまらなければ終ることができない。終ることができなければ、自分は一生この宿題やら感想文やらにつきあわされることになる。自分は、もう書かなくて済むという場所にたどりつきたくて書いている。
 しかし、ある日、転機が訪れる。書かなくて済む場所に、もはや思いわずらわされなくなる。このままずっと書いていても構わない。いや、構わないというには苦しすぎるが、いやでも、このひらがなは次のひらがなに続いてしまう。夏休みが終っても、このペンは手から離れない。終りを考える必要はない、必要はなくとも終るのだから。
 久しぶりにペンで長い文章を一気に書きつけていくと、驚くほど指や掌がこっていることに気付く。紙面とペンとの間にかかる圧力変化を得て、それを線の太さの変化にのせてやるには、充分に筆圧をかける必要がある。この新しいペンで書くには、紙の粒子ががさがさと金属に引きずられて剥がれるほどに強く音を立てなければならない。インクを紙にのせるのではない。紙の上に運河を掘り、その水路にインクを流してやるのだ。紙という乾いた土地を耕し、開墾地に水を引き入れる。
 「インク」と書いて、その字のとりつくしまのなさから富岡多恵子のカタカナを思い出す。カタカナがとりつくしまがないのは、そこにはひらがなの筆蝕、すなわちひとつのかなから次のかなへと流れていくような線の契機が失われ、カナが一つの音と確実に対応し、単語から分かたれた音と記号の結びつき、すなわち「文字」が現われるからではないか(逆に言えば、ひらがなは「文字」ではない)。
 そう考えると、外来語がカタカナで書かれるというのは、実に歴史的な必然なのだ。音を表わすはずの記号が、ことばとしてのまとまりを帯びようとして流線化したのがひらがなだとすれば、あくまで音にとどまり、ことばではなくことばへの違和感を表わすのがカタカナである。そのカタカナが、異国のことばに使われる。
 このペンはまだ新しく、インクの潤いが追いつかない。筆先は水路を掘り、しかし水はまだ流れつかない。かすれたインクの奇跡を、線路のつぎめが揺らしていく。それに抗うようにペン先に力をこめる。窓の外で月が揺れている。私はテキストを見ている。月は地平線からゆるやかに顔を出し、着実に空を掃いていく。あまりにゆるやかで着実なので、空には何も残らない。月のような書はありうるだろうか。月の単位で満ち欠け、日の単位で表れ消える、二つの時間をひとつながらに動かしていく天体。運行を予測させ、予測できる運行によって非情に掃かれていく時間。




20011201

 京都へ。みなみ会館で「サイクリスト」「キシュ島の物語」。

 サイクリスト、もしくは回転男。父親のこぐ自転車の前後のほんのわずかな空間にちょんと乗る息子、その服の青が体温を感じさせるほど近しい。そしてそこで頬を寄せ合う父子の表情がすばらしい。この父子には自転車の上にしか親密な空間が存在しないということが、はっきり伝わってくる。よろめく自転車の上でしか成立しない家族。そんなにわずかな場所でさえ、家族を成立させることができる。そこにしか居場所がない、しかしそのような居場所で家族を成立させる力を持っている。それがアフガニスタンから来た、ということ。

 窓やドア、穴を通ってくる光線に独自の感性がある。これは「キシュ島の物語」にも感じたから、もしかしたらマフマルバフだけでなく、イラン出身の映画人に共通するものなのかもしれない。
 「サイクリスト」の冒頭に、窓から現われる男、見下ろす穴と見上げる穴。井戸。回廊。病院の受付の狭い窓口。母親が安いビニルごしに見る父子。そのビニルの向こうの笑顔は、いかにも膜らしく、たやすく引き剥がされそうに見える。
 父ナシムの走らせる自転車はサーカス小屋ほどもない、ほんの小さな丸い土地だ。狭い回転場でよろめきながら自転車を走らせる姿は、映画館を出たあともフラッシュバックのようによみがえる。京都はよろめく自転車だらけの街だ。彦根に帰ればぼくもまた自転車に乗るだろう。人間はもう終りだ。

 「キシュ島の物語」は三部からなる。ぷかぷか浮ぶ段ボールという記号の恐怖「ギリシャ船」(タグヴァイ)、貝の口にきらめく鉛の美しい「指輪」(ジャリリ)。
 ドアを背負って歩きつづける男の話、「ドア」(マフマルバフ)。美しい浜辺に、ほんの小さなヤギ一頭を無理矢理連れ込み、父娘は波打ち際のぎりぎりというところまで下がってドアのかげに隠れる。広々とした空と海と砂漠の下で、海と陸地のまさに瀬戸際に押し込められる。
 マフマルバフはどうやら、騒然とした街を撮っても広々とした海や砂漠を撮っても、極小に追い詰められた居場所をそこに見出してしまうらしい。それは彼の獄中経験から来るのかもしれないし、アフガニスタン経験によるものなのかもしれないが、もう少し他の作品を見てみなければ分からない。

 「ドア」は、彼の書いているある門を思い出させる。
 まだアフガニスタンの人々が一人に一頭の羊を持っていた1986年、マフマルバフは「サイクリスト」の取材で彼の地を訪れた。
 屋根に麻薬を満載したバスは、彼らを乗せて砂漠を行き、やがて「ダリの絵のような、超現実的な門」に到着する。

それは、何かを分けるための門でも、何かをつなぐための門でもなかった。それは砂漠の真ん中にまっすぐ立てられた、単に想像上の門だった。バスは門のところで止った。そこにバイクのグループが現れ、私達の運転手に車を降りるように言っていた。彼らは少し話すと、お金の入った袋を取り出し、運転手とそれを数えていた。バイクで来た二人がバスに乗った。我々の運転手と助手はお金を受け取り、バスを降りてバイクに乗った。新しい運転手は、これからは自分がバスとバスの中にあるすべてのもののオーナーだと行った。我々は、バスと一緒に自分たち自身も売られたと気付いた。

 「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」モフセン・マフマルバフ(現代思想10月臨時増刊「これは戦争か」)より





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