1月後半 | 携帯 | 月別 | 2月後半

2001年2月a

20010215
 朝までやったのはよかったがゼミを寝過ごした。ポカミスを多発しながらさらに執筆は続く。

20010214
 気分転換にエディタを変えてみようと思い、LightWayText 3.2.1にたどりつく。縦書きをサポートしているのが選んだ理由。
 いやあ軽い軽い。縦書きにするためにこれまではT-Timeを使ったりWordを使ってたんだけど、どちらも打ち込みにはいまひとつ重過ぎて不満だった。しかしこのLightWayTextはほんと速いわ。

 そして、いざスムーズな縦書きが実現されてみると、実に妙な感じ。縦に思考がずらずらと表示されていくことに対する抵抗感のようなものが自分の中にあることに気づく。下に打ち込んでいくほどに、ぐーっと考えが押し詰まるような感じがある。そして上に戻ってすっと開放される。
 書きながらジェットコースターに載っているようでおもしろい。重力によってとめどなく落ちるかと思えばまた浮上する考えを朝まで。



20010213
 「オードリー」春夫の死という衝撃の展開。せめて金曜まで持つと思ってたのだが。しかし、「ローマの休日」といい、倉木麻衣の歌詞内容と裏腹な「アハハ」の声といい、このドラマ全体を流れる独特のアキラメ感は、まさに花袋の「時が過ぎ行く」だな。

 寒くてイヤになるが、しこしこと原稿に校正。




20010212
 あいかわらず原稿と翻訳校正。ごく遅々と。

20010211
 ジャンパーのファスナーが壊れて難儀していたのだが、彦根市街の仕立て直しをやっている店に行ったら15分ほどで直った。500円なり。付け替えしなきゃいけないかと思っていたが、引き具を交換するだけで済んだ。店の主人はファスナーのぎざぎざのことを「虫」と言う。

 ここ1ヶ月くらい、デスクトップに明治30年代の浅草の地図を張っている。手元にある浅草六区の写真資料がどのポイントから撮影されたものかを特定して、写真の中を頭の中で歩いてみるため。さらにそこに現在の浅草を歩いた記憶を重ねる。
 たとえば明治30年代に開運館のあったあたりは、やがて三友館になり、そこではキネオラマがかかり、啄木はそこを訪れ「児戯に以て然も猶快を覚ゆ」と記している。
 今ではそこは浅草演芸ホールになっていて、その横の北側入口ではかつてビートたけしがエレベーターボーイをやっていた。エレベーターを上るとフランス座だ。今は東洋館としてお笑い演芸場になっている。以前から「寒空はだか」という芸名の芸人がとても気になっているのだが、まだタイミングが合わなくて見たことがない。

20010210
 人は人生においていくつのゲームをプレイできるのか。なんて考えてもまったく詮ないことですが、まあこんなもんでっせ。というわけで、突然ですが、私的ゲーム日記リンク: Re-Questを作りました。
 CGIをvirtualaveで作るときの注意点:virtualaveではどうやらページを移動するときにARGV変数がデフォルトでいくつか引き渡されているらしい。だから、よそのサーバで使ってるCGIをそのまま持ってきても動かないことがあります。ARGV[X]をARGV[X+2]に書き換えることでなんとか対処できた。はー。こんな重要なことちゃんと教えて欲しいわ。

20010209
 同僚の山根先生がGujaraatに旅立たれるという。インド西部地震支援のためだ。この地震に関するページを作ったのでリンクを張っておく。地震から二週間近く経とうとしているが、被害状況はますます深刻なことが明らかになりつつある。死者16,480名、負傷者144,927名、全壊家屋22万9千戸余り、半壊家屋39万8千戸余り。TV放映の回数は減ってきているが、生き残った人の問題はむしろこれからだろう。
 卒論諮問。

20010208
 さらに。
 卒論諮問のために論文を数本査読。

20010207
珈琲をいれては原稿。
明け方ようやくひとつ上がる。

20010206
 原稿。
 日記を検索できないと自分でどうにも不便なので、あれこれスクリプトをいじってなんとか復帰。たとえば「パノラマ」で検索するともうええっちゅうくらいずらずらと表示されるんでご活用ください。

 ついでに日記のおいてあるvirtualave.netのバナー広告を止めることにした。virtualaveが自動的に表示する広告は、ページを去った後も点滅するのでたぶん鬱陶しいと思ってた人も多かったと思うけど、これで解消しましたんでご安心を。ちなみにバナーフリー代は年間$99。無料のつもりがまんまとのせられた感あり。

20010205
さらに。
夜、ビデオで「素晴らしき哉人生」「バグズライフ」。なぜかライフに関するもの二つ。

明治の日記について追加情報。


(博文館は)明治28年10月には「懐中日記」を出版した。当時、日記帳は大蔵省印刷局が毎年発行していたが、あまりにも粗末なものだった。それに比べてこの「懐中日記」は、紙質もよく付属の鉛筆も精選されたものであった。つづいて次年から四六判の「当用日記」を上製35銭、並製25銭で発売した。以後「日記」といえば博文館日記といわれるほど利用者に愛用され、100年後の今もなお博文館新社より発行されている。
(共同印刷百年史 平成9年6月 共同印刷(株)社史編纂委員会 p17)


 明治四一年は啄木がもっともコンスタントに日記をつけていた年だ。啄木はそれまで縦書きにしていた日記をこの年から横書きにしている。啄木というと、四二年の「ローマ字日記」が有名だが、その前に、彼の日記が縦書き>横書きという移行を見せていることは覚えておいていい。明治四一年の彼の日記は洋横掛のノート4冊に、ペンで横書きで記されている。
 翌明治四二年、彼は初めて博文館の当用日記で日記をつけ始める。そして四月三日、この日記が一部ローマ字で記され始め、さらには四月七日、当用日記とは別の洋横掛のノートに場所を移して記されるようになる。これが有名なローマ字日記である。

20010204
原稿。
夜、ビデオでマルクス兄弟の「ココナッツ」。

20010203
 41になった。41、で思い出すのは「41才の春だからー、元祖天才バカボンのパーパーだーかーらー」。すなわち、41になったということはバカボンのパパと同い年になったということであり、つまりは年齢不祥になったということだ。誕生日に欲しいものは植木鋏。

20010202
 原稿。パノラマ、訳者あとがき。夜、この世がどうにもイヤになり、「Broadway Melody 1929」と「ローマの休日」を見てなごむ。前者はトーキー最初期の作品で、音声のぶつ切れ感や、セリフ以外の雰囲気作りの喧騒の音の取られ方がおもしろい。踊りと歌と筋書きは「これがブロードウェイ?」ってくらい雑然としてて時代を感じさせる。
 ヤな気分をなだめるべく「幽玄漫玉日記」。

20010201
 母から歌集。最初から通して読む。知っている団地、知らない軍港としての呉のことを考える。ぼくに関する歌も多い。あるものは面はゆく、あるものは意外な発見で、あるものは今だに受け入れがたい。それも含めていい歌集だと思う。

 佐々木君と吉田君に自宅のISDN導入について相談。TVチャンピオンのキティラーたちの目つき怪し。
 前に書いた原稿をどんどん上塗りしてあちこち粘着する自分の書き方は、確か中学生以来のことだったと思う。宿題の作文でも、いくつか別のバージョンが出来てしまった。
 それでも当時は鉛筆書きだったからまだよかった。今やパソコンではあちこち直しまくれてしまう。そして直した痕は、はっきりとは分からない。わずかに文章の屈曲によって少なくともぼくにはそれと知れるが。

1月後半 | 携帯 | 月別 | 2月後半 Beach diary