月別 | 見出し(1999.1-6)



19990520
▼彦根近郊の愛知川にある「藤居本家」で、超絶口琴奏者アントン・ブリューヒン巻上公一のライブを9月に決行予定。酒造り直前の総ケヤキ造りの酒蔵で口琴そしてホーメイがびよんびよん鳴り響く日は近い。刮目して待て!

▼講義とゼミ計3本。結局どれもほぼしゃべりっぱなしだった。山本君が来る。なんか普段着で研究室にいるとまだ学生みたいだけど、もう就職してるのだなあ。
▼ゆうげい社から封筒。プリの公演はおもしろそう。あ、明後日名古屋じゃないか。

19990519
▼朦朧と講義。▼大型ロボ犬、AIBOのページをチェック。ロボットの一段階としてはすごい、のだろうけど、うちのシマより楽しいだろうか。少なくともシマよりは迷惑じゃないだろうな。でもあまり触りたくない外観。ひんやり冷たくて気持ちいい、とかいう人もいるのかしらん。

19990518
▼午後いっぱい会議と講義。頭の中で皿が二百枚ほど割れ、もはや足の踏み場もなく考えるだけで怪我をする。漱石は何歳で大学をやめたんだっけ?

▼うひー、なんとテックス・エイヴリーの上映会全24タイトルがどどーんとこの夏ユーロスペース、BOX東中野で、だそうです。Screwball Squirrelも赤ずきんちゃんも月に行った猫もドルーピーも「Who killed who?」もあるぞ。映画館であのフィルムギャグが見れる。そしてそのパンフレットに原稿を書くことに。

19990517
▼新幹線で朝一で帰ってきて講義。話しながら、明らかに疲れで論理に粘りがなくなりつつあるのが感じられる。しかし週は始まったばかりだ。平和堂に行ってニラだのモヤシだのを買ってきてやたらと炒める。

19990516
▼浅草へ。三社祭を見るのは始めて。勝手がわからないので、雷門ごしに見える御輿についてとりあえず仲見世へ。今日は雷門の提灯も首をすくめていて、御輿の高さがそれほどだと知れる。
▼人波に合わせてcm単位で前進し、その人並みを逆行してくる子供御輿に、街路を占拠するとはこういうことかと思い、やがて町御輿が宝蔵門をくぐると、金の鳳凰に朱塗りが映り、セヤセヤの掛け声に合わせて揺れる尾羽がきらめいて火の鳥のよう。
ようやく境内に出ると、浅草寺の階段にびっしり、まるで動かないので千体観音かと思ってよくみれば御輿見物の人人人、そんな風に並んだ人をみたことがないので、遠近が狂ってだまし絵のように見える。御輿が浅草神社の方へ方向転換すると、そのお堂びっしりから拍手が起こり、音が屋根にばちばちとはねかえってものすごく、境内の人混みからもつられてぱらぱらと拍手が起こるが、とてもお堂のそれには追いつかない。同じ見物客でありながら、あちらは観音様の霊験あらたかな上等客、上から見下ろしているから拍手のしどころもよくわかる、こちらは観音様のなんたるかを知らぬ衆生の者、といったところか。やはり何時間も待って寺の階段に陣取るだけのありがたみはあるのだ。

▼御輿について境内を右に。浅草神社の前を過ぎようやく人波にすき間ができたところで、一の宮、二の宮を見に行くことにする。といっても御輿は動き続けているので、どこへ行くかはあてずっぽうだ。浅草寺病院を北に上がり、そこからは半纏姿の人の流れから適当に見当をつけて角を曲がっていく。宮戸座跡あたりには通りにずらりと提灯のアーチが掲げられていて、その下でなごんでいる担ぎ手たちがどこか所在なさそうにしているのはまだ力を出していない証拠で、路におかれた象潟の字の入った町御輿が練り歩くのはこれからなのだ。檜前兄弟の人形が乗った愛嬌のある御輿。

▼そこから左に折れ右に折れすると、向こうの四つ辻に突然右から人がわっと湧きだして、みるみる人波になり、その波の上をゆらゆらと浮くようにこちらに進んでくる公家装束の人、人波から出たその人は馬に乗っていて、それまでの喧噪などどこ吹く風、かっぽかっぽと通り過ぎていく。露払いのようなものなのか。四つ角はもうえらい人でこちらは警視庁です、あぶないですからやくいんかつぎていがいのかたはみこしからはなれてごらんくださいと拡声器の声がする。そこに御輿が来る。本体に布を巻き七つの丸鏡でこちらの目をはねかえしている。明らかに町御輿と違うこの意匠は二の宮?。それにしても思わぬ狭い路を通るんだな。横の小道からコの字型に回り込んで先回りしてみる。やはり同じことを考えたのか、車椅子をものすごい勢いで押して走る人が前をいく。至近で御輿。駐禁の看板がぐらぐらする。ミラーが押されて揺れる。街路を占拠する。マンションの二階の窓から親子が知り合いの担ぎ手に声をかける。顔を真っ赤にした女が交代して御輿を離れていく。その姿を目で追って振り向くと、後ろは人がまばらになってなんの変哲もない住宅街の通りだ。この変哲のなさ。そこに転々と脱げた草鞋が散らばっている。ピューリファイ!っていう詩を思い出した。ピューリファイ!

▼公園通りで青年部による御輿の担ぎ方の説明。


中の人間は、交代の合図をする人間です。交代の合図をして肩を叩かれたら、すみやかに出てください。そして今度は次の方を入れます。次の担ぎ手は、青年部の棒のうしろに、青年部の先導で担ぎ手に並んでもらいますから、それで順番にかつぎます。みなさんそれにすんなり言うことを聞いてやってくれれば、だいたい二回から三回くらい入れるかと思います。で、長時間ゆっくり担ぎたい、という方は、後ろにまわっていただいて、心地よくかついでいただくのがいいんじゃないかと思います。とくにいちばん前に入った方には、はっきり言って1分くらいしか時間はさしあげられません。ゆっくりかつぐにはなるべく奥か、うしろにまわったほうがよいかと思います。

▼新仲見世からオレンジ通りに天狗が出てくる。それが合図なのか、角の舟和が売り台をかたずけはじめる。喫茶ブラジルも余荷解屋(よにげや)もそそくさと店じまいしてシャッターを降ろす。ブラジルの二階からはシャッター越しに御輿見物だ。ほどなく三社囃子がやってきて、オレンジ通りへの出口を蓋するように止まる。やがて新仲見世のアーケードにワッショイワッショイの掛け声が響く。シャッターに人ががしがしと当たり御輿が通り過ぎると、早くもブラジルの自動シャッターがしずしずと上がり、余荷解屋が店頭の品を並べ始める。この用意周到さは、お祭りというよりは市街戦の街路封鎖演習のよう。

▼より道でひとやすみ。みぎーみぎー、ひだりーひだりー、と子供の声。おてらのおしょーさんがかぼちゃーのたねをまーきーまーしーた、めーがーでーてーふくらんで、はーなーがさいてかれちゃって、いっぽんむかってそらとんで、くるっとまわって、じゃーんけーんぽーーん。

▼再び仲見世に戻って、宮入りを待つ。境内の東側は金網の袋小路になっていて、なかなか前に進めない。人垣越しにちらちらと御輿が入るのを見物。


けちけちしないで見せろよい、こちとら、病院から許可もらって出てきてんだい。去年はあすこで3時間待って足痛くなっちゃったんだよ。こんなんじゃみえやしねえよ。

▼祭りが終わると景気のいい店には半纏姿の人々の憩う姿。夜は土地っ子のもの。参加者と見物人の間に圧倒的な格の違いが感じられる一日。
▼夜中に「がらん堂」。ジャズ喫茶に入るのはひさしぶり。「モーニン」に「ワルツ・フォー・デビー」という直球メニュー。どうもこういうジャズのタイトル並べると「美味しんぼ」とか「課長島耕作」みたいだが、当方にソルトピーナッツ食って懐かしむよな時代の記憶など皆無。「Waltz for Debby」のA面を通して聞いたのは20年ぶりくらいだが、ほとんど初めて聞くように聞いた。ええやん、ビル・エヴァンスの左手。




19990515
▼ユリイカから赤瀬川原平特集原稿依頼。ぼくより赤瀬川さんのことを書きたい人はたくさんいそうなもんだが。まあほどよい遠さってことなんだろう。ステレオ魂にはそれとわかる距離が大事。それにしてもどう書こう。ねじ式→おざ式変換の距離のココロを。〆切は来月24日のココロ。

▼言語・音声理解と対話処理研究会(6/4)用の原稿。内容はまるで会話分析なのだが、無理矢理あてずっぽうに音声対話処理風アレンジ。そのイントロ。


 コミュニケーションにおいて、問題は単に解かれるのではなく、表現される。
 インターフェースデザインにおいて対話における「問題解決」「調整」「処理」を考えるときには何が「問題」か、何が「ゴール」かが想定されている。むしろ、うまく「問題解決」過程をデザインすることこそインターフェースデザインの目標だとさえ言える。その際、ユーザーが行う言語的・非言語的行動がどのような機能を持つかは、それらの「問題」「ゴール」との関係で語られる。
 いっぽう、コミュニケーションの現場では、「問題」や「ゴール」はまず参与者の行動によって表現される。しかも、その表現は一意的にひとつの問題やゴールとして参与者に共有されるとは限らず、参与者の反応との間に齟齬が生じることすらある。たとえば、一つの過程が複数のゴールに関与するような現象を考える必要がある。
 問題解決過程は、参与者の人数が増えれば、それだけ多くの齟齬の可能性を生じ、複雑になることが予想される。こうした複雑な過程は、どのように特定の問題解決に結びつくのだろうか。また、その過程は参与者間の齟齬を完全に解消するのだろうか。
 問題解決をめぐる齟齬は、特定の行動の中断や遅れに注目することによって、観察することができる。本研究では、日常的会話における問題解決過程の場面を取り上げ、微細な行動の中断や遅れのマイクロ分析を行い、その結果をもとに、問題解決という考え方じたいに含まれる「問題群」が何かを考える。うんぬん。

19990514
▼夜中に文献を取りに自転車で大学へ。橋を渡るとき、うしろでブーンという音がする。どこかで発電機がまわってるのかと思ったが、橋を渡り終えて川沿いに曲がったところで、まだブーンと音がする。リアルに聞こえている。背筋が寒くなる。▼ああ、ついにこういう音が聞こえるようになったか。ドグラマグラになっちゃったか。枝雀に一歩近づいたか。自転車を止めてもまだ音がする。首をまわすと、音は背中から聞こえる。リュックの中を見る。暗いので手探りでかき回すと、うなりの原因にさわった。電気カミソリだった。旅行用に放り込んでおいたのが振動でスイッチが入ったらしい。▼それでようやく人心地がついた。スイッチを切って、自転車を走らせると、さっきの余韻なのか、まだなんだかなにかが鳴ってるような気がする。リアルではない。でも、リアルすれすれで鳴ってるような気がする。ああ。
▼手元に音声処理関係の文献が少ないので、とりあえずWWW文献を洗い出し。どうもWWWで探すと人間−コンピューター関係の文献が多くなるような気がする。最近のmultimodalインターフェース研究の動向を知りたかったんだが、やはり雑誌を直接洗い出すほうが楽か?ところがうちの大学にはその領域の本ってないんだよなあ。

19990513
▼生協の売店と食堂の間の廊下にディジェリドゥのスイ君が。「ここがいちばん響きがええんですよ、ここミュージックストリートにしよ思うてるんですよ」▼ゼミの懇親会。というわけで、毎週木曜6時からはゼミということに決定。▼せみ餃子(あのいちばん安いパック餃子だよ)を薄いチキンコンソメで2分煮ると意外なうまさ。

19990512
▼かえるはグルメのナンバワン。「かえるさんレイクサイド」第三十八話「夕暮れのレストラン」。
▼一日2コマ講義やっただけでどっと疲れるようになった。体力温存が課題なり。▼資料をもとにユリイカ原稿を大幅改訂。どんな歴史でも「日本初」とか「世界初」というのは取り上げられやすいけど、じっさいに事が動き始めるのはその「初」から何年か後だったりする。小川一眞という人は、どちらかというと、その事が動き始める時点でうまく立ち回るタイプの人だったように読みとれる。つまり、新しいものを持ち歩いてほうぼうで「これすごいでしょー」と言ってまわり、異なるジャンルの人間どうしで仕事をさせちゃう、という、いわばプロデューサー的な役回りを担っていた。それが博文館の「日清戦争実記」を成功させ、「太陽」や「少年世界」のヴィジュアル化を促した。
▼まなざす時代とまなざされる時代を明らかにすること。たとえば、「乱歩と東京(松山巌/ちくま学芸文庫)」は乱歩というまなざしを据えることで1920年代が時代の変曲点として表現される点がおもしろいが、いっぽうで、20年代的でないものまでそこに集約されるきらいがある。▼変曲を運命としてとらえない編年体で書くこと。

19990511
▼岡塚さんからの膨大な小川一眞資料。横浜美術館から美人fax。明治の写真がコピーやファックスでさらに粗い粒子になって、心霊写真の趣。
月別 | 見出し(1999.1-6) | 日記