月別 | 見出し(1999.1-6)



19990510
▼ユリイカに原稿。▼先週だした「文字の個人史」のレポートがおもしろすぎ。個人という通時性で文字を眺める。石川九楊氏にお見せしたいほど。

19990509
▼ACTでパーソナル・ミュージック・パーティー。24組、5時間に及ぶ。中で衝撃だったのは、DJサウンドチーム渚のリヴァーブ放課後放送室、Empty Orchestraの音はどこにあるのか、レインボーアクション孤独はビートたけしよりトラッシュ度の高いコマネチを演じる、の三氏。DJサウンドチーム渚のひとたちは客席にいるときの反応もなんかリヴァーブ放課後っぽかった。サンプラー派が多い中、レインボーアクション孤独はもっともラジオ的にサンプラーを使っていた。なにしろ、サンプル音が鳴るたびに「わお」とか「しっと」とか言ってるんだもんな。あとから思い出しながらじわじわ来たのが、香取氏のマラカ。Ken Kohda、 岩淵さんのは、PMPのスタンダード(スタンダードなどあるはずがないのだが、あの文脈の中で、そういうものがあるような気がしたのだ)という感じで安定した脱力ぶりを感じた。
▼他の固有名詞やそれにまつわる考えも、いまたまたま頭にのぼってないだけで、たぶん、思い出すたびに別の輪郭が浮かぶだろう。分厚い切片を顕微鏡を覗くとき、少しレンズを上下させるだけで、さまざまなレイヤーに焦点が移ってしまう、あの感じだ。五時間に渡ってあのあまりにバラエティのありすぎる時間を過ごしたのだから、そうなって当然だ。▼あのイベントが、彦根で起こったってことは、相当すごいことなのだが、あまりにスムーズに事が運んだので、まだ、すごいという実感がわかない。大阪でも京都でも東京でもなかった。呼び屋を介したわけでもなく、自治体の行事でもなく、ぴあにも関西ウォーカーにも載らなかった。かといってカラオケ大会でもインディーズレーベルのイベントでもクラブの○○ナイトでもなかった。しかしれっきとパーティー。PMPとACTのこれまでの財産が充実していたということなのだろう。ただ、それをラッキーのように拝ましていただいた感じだった。

▼PMP残留組来客、家に帰ってどういう経緯か、突然5年前のKBS京都「ハッスルわいど」のビデオ鑑賞会になる。ただのローカル局のワイドショーで、しかもなんらニュースらしいニュースが収録されているわけでもない。天気予報もTVショッピングもむろん現世的情報価値ゼロ。こんなものを録画していたぼくもぼくだがそれを1時間飽きずに見てくれる客も客だと思う。

19990508
▼原稿書き。東京写真美術館に電話してウラを取る。オチに近づいたところで苦しみ、その苦しみがふとつけたTVでやっている「ミンボーの女」に乗り移り、一時間ほど見入ってしまう。最近ピュア・イン・ゼリーの西田ひかるを見るととても腹立たしいのだが、そのくせ「きれいなコにはひみつがあるぴゅあー」などと彼女の声が頭の中で鳴って腹立たしさ倍。▼JAIさん来宅、あー、今日はもう書くのやめて飲もうっと。編集の話などあれこれ伺う。

19990507
▼小川一眞の話をまとめる。▼人工知能学会にアブストラクト。

19990506
▼声に出しちゃいけないよ。「かえるさんレイクサイド」第三十七話「名前をよばないで」。
▼おっと連休明けボケか、自主ゼミの時間をすっかり忘れていた。いかんいかん。

19990505
▼新宿歌舞伎町のカプセルホテルの休息部屋の敷布は人の足の湿気を何度も吸っては蒸散させ誰かがレンジで温めた焼きそばの匂いと混じって得も言われぬ臭気になって漂う、それにもたやすく慣れ向かいの24時間ストア塩田屋で買った思い思いの食事と自販機のビールでTVナイター鑑賞、イニングが変わるとアルコール飲料のCMに合わせてささくれだった声が流れて、なぜ焼きそばおやじもビールおやじもはっとした、いや、はっと見入ったのはぼくで、クレジットに「椎名林檎」、あ、これがあのしいなりんごかと思ったのは、以前PMPの岩淵さんからしいなりんご買って感想聞かせて下さいと言われていながら、月に一枚のCDも買うか買わずかの物欲希薄な音楽生活を送っていたから今日、珍しく買うか買わずかのCDを手に取ると「歌舞伎町の女王」なんてタイトルもあってそうかあの明快に扇情な声は歌舞伎町かと思ったのが昼間それから、ああこれはコンビニでポテトチップスを買うとき聞いたことがある、わかりやすいつくりごとのぺらのぺらにのびゆく声、脳内異人経験に裏打ちされたはすっぱな英語、それを男で聞き女で聞き、正しい性正しい街正しい歌から正しく遠く離れた直情を聞いてんのもういまごろカラオケで誰かがすり切れるほど唄ってぺかぺかに光ってんのがわかるほど聞いてる

19990504
▼雨はかえるを詩人にするのか?「かえるさんレイクサイド」第三十六話「哲学の雨」。

▼人が読んでる新聞のこちら側が気になる。釣りにまるで興味がなくても「大漁勝負だ!」とか見出しが出てると、そんなに景気のいいのはどこかしらって思うし、「ひなの大泣き!」ってあると、サプリが必要なのかって思うし、あ、動かさないでめくらないでって思う。

▼資料を当たっていて、ああ、これはすごいと思うのがときどきある。たとえば面識はないけど、阿久根巌氏の「元祖玉乗曲藝大一座」(ありな書房)。これは明らかに、膨大な年数のマイクロフィルムを、一日一日丁寧に見た仕事だ。おそらく「淺草」「六区」の文字が見えたらその記事は必ず読む、くらいの労力がかかっている。しかも、おそらく各小屋の新聞広告もあたっている。雑誌なら、台東区立図書館の淺草文献はほぼ全部読んでいる。なおかつ、江川マストン氏をはじめ、芸人の聞き取りにも相当な時間を使っている。そこにご自身の戦前からの東京風景のさまざまな記録が折り重なっているに違いない。

▼いわゆる新聞集成のような抜き書きではなく、元の新聞や雑誌を当たると、読むことの不思議さが強く感じられる。集成では一つの流れに見えたことが、紙面の上ではさまざまな文脈の錯綜になって見える。ひとつのできごとがその錯綜の結び目になって容易にほどけないことがわかる。それを容易にほどかないこと。

▼たとえば、明治のパノラマの基礎資料に「パノラマ叢話」というのがある。これはもともと雑誌「太陽」に載ったもので、いまは中央公論美術出版の「明治洋画史料」に編集されているので、他の美術史料と合わせて読むことができる。
▼が、あえて原典の「太陽」を手にとってめくってみる。すると、同じ号に、レントゲンの発明の紹介があり、カナリヤや死人の手の骨が透けているのが載っているのに気づく。▼あるいは電気サイクロラマの紹介が載っている。これは円筒の中央に映写機を置き、円筒内部に風景を投射する仕掛けだ(小川一眞が渡米したシカゴ万博で展示されていたものだ)。▼つまり、この号だけで、幕/膜をめぐって、描写(パノラマ)、透視(レントゲン)、投射(サイクロラマ)という、異なる質の技術が描かれているわけだ(あ、いま気づいたが、幕と膜は同じ訓だ、白川静はどう書いているだろう)。膜は筆で触れられ、X線で貫かれ、光で浮かぶ。膜をめぐる接触非接触の戯れが、太陽二巻第七号という一冊に凝っている。

19990503
小川一眞という明治の写真家のことを書くためにとりあえず基本的な年表整理。で、その年表整理のために年表作成ソフト改変。まあソフト作りにあくせくするなんちゅうのは文房具選びに時間を費やすようなものだ。
▼で、できたのがこれ。関連事項を自由に増やしたり減らしたりできて、しかもHTML出力ができるんだけどどんなもんでしょう。とりあえずぼく自身はけっこう役立ててます。もう日記も年表もこれで書いてるんだもんね。で、せっかくなので、年表のコーナーを作りました。とりあえず、いま、ぼくの手元にはあと、エレベーター年表と浅草十二階年表があるんだけど、これらもまとまったら公開します。図書館に通って年表作るのが好き、なんて人はどうぞ。
▼いま近くに欲しいもの。読売と朝日と東京日日と都と郵便報知の創刊以来のバックナンバーが完備してる図書館。できればマイクロだけでなく縮刷版もあるとベスト。結局国会図書館の近くに住むしかないかしらねえ。あと十年くらい経ったら、こういうもんのデジタル化も考えられるかもしれないけど、それまで待ってらんないもんね。
▼年表といえば、倉谷氏のこの年表はすごいよ。
▼あるできごとを、単なるシンクロニシティではなく、複数の文脈どうしの齟齬と考えること。

19990502
フロッケ6に「Get Frog!」CD他、かえるさんグッズあれこれ。原宿に行ったらかえるさんをかいましょう。
▼5/9は彦根でパーソナル・ミュージック・パーティー。詳細はこちらを。わたくしは司会、およびあれこれやります。

19990501
▼ユリイカ5月号に「覗かれるパノラマ」。▼以前、鹿島茂「『パサージュ論』熟読吟味」(青土社)に皇帝パノラマ館をジオラマの間違いであるとする珍説が載っていて、首を傾げたことがあったが、あの本の読者にはぜひ今回の文章を読んでいただきたいもんです。▼ベンヤミンの開かれたまとまりのなさ。それが体験の細部へのこだわりから来るのだとすれば、体験の細部ができあいの考えの整合性を破綻させないベンヤミン論など無効だろう。もちろん、体験の細部をとらえる大いなる凡庸な力だって待ち構えているわけだが。
月別 | 見出し(1999.1-6)
日記