明治四三年二月の雑踏(2)撮影年代推定




 浅草六区の写真を推定する大きな手がかりは幟にある。幟には各館の見世物の名前が上がっている。浅草の劇場の多くは新聞に出し物の内容を広告しているので、照らし合わせればいつの写真かがわかるだろう。


 まずは幟の字を読んでみる。左から「スペインムール乃大戦争」「喜劇おばけの競争」「バンカラ滑稽」「酒井の太鼓」「物いふ活動写真」、遠く中央(大勝館?)に薄く「乳姉妹」、そして右に「新派 村田・福島一座」などなど。
 およそのあたりをつけるために、「Japan Movie Database」で検索してみよう。すると、「酒井の太鼓」「バンカラ滑稽」がともに明治43年に配給されたものだとわかる。
 次に『都新聞』の明治43年の広告記事を繰ってみよう。すると、二月上旬の広告に「酒井の太鼓」「バンカラ滑稽」をはじめ、写真に写っているタイトルがほぼ確認できる。これで、この写真は明治四三年二月上旬に撮影されたものと分かる。
 ちなみに主な上映館と出し物は以下の通り。
 
 冨士館:四方響智勇三略酒井の太鼓、新華族、実物応用バンカラ滑稽
 美音館:物いふ活動写真(音曲共進会)
 三友館:米国ジョンスタウン大洪水実況キ子オラマ
 オペラ館:後の浪子夫人
 紀念大勝館:乳姉妹
 電気館:サーベル(新派劇)
 
 明治四三年といえば、日本パノラマ館が閉鎖された翌年にあたる。写真には写っていないが、当時、カメラの左後方にはパノラマ館跡地に建った曲馬館、そして右後方には明治四〇年の上野の博覧会から移転された観覧車があったはずだ。
 現在とは違い、暖房設備の貧弱な館内は、人気がなければ文字どおり冷え込んだに違いない。曲馬館の新聞広告には季節がら「場内にストーヴを用意し」といった文句も見える。
 
 六区の通りをつきあたったところには仁丹の大看板も垣間見えている。
(2001 August 6) 






口上 | 総目次 | リンク | 掲示板