十二階計画掲示板011


<<前 | 浅草十二階計画 | 掲示板最新記事 | 次>>


一応関係者と 投稿者:石井貴志  投稿日:10月 8日(月)23時01分31秒

ブラントンは、バルトン人脈の中では、コナン・ドイル→作家スティーブンスン→スティーブンスン兄弟→ブラントンという間接的なつながりの中に入るでしょう。マードックやウッドの向こうに夏目漱石がおり、榎本武揚の先に徳川慶喜が来るのと同じ。直接の面識はなかったものの、相関図に入れようと思えば、入れられないこともないという当たり。風太郎的妄想につかれかかっているマニアックな研究家が、「面識があったらいいのに」という存在の一人。もっとも、スティーブンスン兄弟と父ジョン・ヒル・バートンなら、つながらないこともないのでは?


ニコニコ 投稿者:剛田明治  投稿日:10月 8日(月)22時26分46秒

小ネタですが、ニコニコ主義を鼓吹していた牧野元次郎(不動貯金銀行創立者)がつくった雑誌『ニコニコ』(明治44年創刊)を見ていたら、巌谷小波「東京むかし噺(下)」に凌雲閣のことが少し出ていました。第74号(大正6年3月号)です。その箇所を引用すると、「▲その凌雲閣も、出来た当座はエレベートルであげたが、その構造が不完全なので、間もなく其筋の差止める所となり、テクテク登らざるを得なくなってしまった。▲この凌雲閣の出来た時分は、その十二階の上から見おろすと、吉原までは青畳の様に、まだ田圃が見えたものだ。その證據には、あの草津亭の如きも、田圃の草津で通って居た。それが何うだ。今では縁側にある稗蒔で、僅かに當年を偲ぶに過ぎない。」


おっとまちがい 投稿者:細馬  投稿日:10月 8日(月)17時10分58秒

ブライトン>ブラントン、です。


>あれこれ 投稿者:細馬  投稿日:10月 8日(月)17時09分20秒

原稿執筆お疲れ様でした。エジンバラ滞在はおかげさまで
あれこれ考えることが多く(日記参照)ブライトンのことも
もう少し調べてみようかと思います。幸い彼の手記は英語で
刊行されているので、もしかしたらちらとでもバルトンのことが
出てこないかと思ってますが甘いかな。

8月に住吉踊りで志ん朝を見ました。
熱心な落語ファンではないものの、あの興行が最後だったのかと
思うと、胸がふさがります。


あれこれ 投稿者:石井貴志  投稿日:10月 8日(月)16時59分34秒

ようやく「下水文化研究」に掲載用の原稿を送ったところで、ホッとしています。内容は、2000年バルトン忌における発表を整理したもの。コナン・ドイルとの交遊から始まり、鴎外・漱石人脈との関わりまで、あれこれゴッタ煮です。バルトンの遺言状(写し)が掲載されるはずです。発送した後で、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思う点が多々ありますが、とりあえず一区切りです。
ホッとしたところで、下町風俗資料館の子規展を見てきました。十二階のレンガと模型が展示されています(来年1月まで)。
コンビニで『こち亀'91』を購入しましたが、「浅草七ツ星物語の巻」は、両津の初恋話で、仁丹塔が重要な役割を果たしています。
ホームズの相棒ワトスンが重傷を負ったアフガニスタンで、またまた戦争が起こり、なんとも残念。また志ん朝さんが亡くなって、もう江戸の落語は終わったとガックリです。


その 投稿者:細馬  投稿日:10月 3日(水)14時50分04秒

Book of Leviathanです。もっとも、あんまりおもしろそうなんで
さっと見てすぐ閉じちゃいましたが。現在注文中。


The Book of Leviathan 投稿者:じゃい  投稿日:10月 3日(水)00時29分12秒

blegvadの本はThe Book of Leviathanくらいしかわからないのですが、
そのほかに新しいのが出たんですか?
あ、それとも、日本訳が出たということかな?
まいど、12kaiに関係ないネタですみません。


ゴッドハンド 投稿者:細馬  投稿日:10月 2日(火)09時46分06秒

いやあ、そのヒキはすごいです。ゴッドハンド!

パリでは絵はがきに万札何枚はたいたかわかりませんが、おかげで、
歴史読本に載っているいくつかのタイプの絵はがきをゲットすること
ができ、喜多川氏のこだわる版画のテクスチャにも開眼いたしました。

なんかここまで来るとマジで江戸東京博物館の喜多川コレクションに
アクセスしたい感じです。ちょっといろいろ画策してみます。


浅草寺文化 投稿者:剛田 明治  投稿日:10月 2日(火)01時01分13秒

たまたま「浅草寺文化」を手に入れました。そこにはなんと喜多川周之氏の手紙も入っていました。達筆で読みやすいです。少し引用すると「…職人仕事の合間のことで、どうも予定通りにゆきませんが、必ず出したいと存じますので、よろしくご指導くださいませ。…”十二階メモ”といったもので、ダラダラといつまで続くのか、自分でも見当がつかないのです。…」
なんでこんなものが手に入ったのか。これは、神の思し召しか。安く買ったんですけど。なんだか抜けられなくなりそうでこわい。


あれこれ 投稿者:細馬  投稿日:10月 1日(月)12時24分00秒

悠宇さん<
ようこそ。ふくやまけいこ、ブックオフで探してみます。片山愁はまだあるのかな。
毎日上ると上り賃がけっこうかさむのでは・・・などと野暮な想像をしてみました。

じゃいさん<
ピーター・ブレグヴァドの新刊コミックス見たっすか。なかなかいいです。


12かいにまたまた関係ありませんが。 投稿者:じゃい  投稿日: 9月30日(日)02時52分08秒

自分のHPのレコードレビューで細馬さんの日記を一部引用させていただきました。
あー、事後承諾。

パサージュ、いいですねー、こんど、するっと、パリへ行きたい気分です。
パサージュって迷路みたいな印象があったのだけど、魅力再確認。

http://www.astrolabel.net/com4jai/


初めて御意を得ます 投稿者:悠宇  投稿日: 9月30日(日)01時22分57秒

偶然通りがかり、はまり込んでしまいました。
画像もさることながら、膨大なテクストが、本当に興味深いです。
暫らく通います。

浅草凌雲閣は、ふくやまけいこ著「東京物語」(昔、徳間書店のアニメ−ジュに連載され、単行本となりましたが、近頃見かけません)で知りました。それと、矢張り漫画ですが、片山愁の「君が居た夏」(新書館ウィングスコミックス)に収録されている話に、戦死した夫の帰りを凌雲閣の上から毎日待つ夫人の話が。結局再会出来るので、私はハッピーエンドだと思ってます。

「押絵と旅する男」も好きです。小説や漫画などの中で、イメージだけ伝えられてゆくというのは、面白いことだと感じます。


そうそう、明日テレ朝系で 投稿者:細馬  投稿日: 9月29日(土)23時50分29秒

「吉原炎上」の映画版をやりますね。十二階は映るかな。


戻ってきました。 投稿者:細馬  投稿日: 9月29日(土)23時47分52秒

まだ時差ぼけがなおらず、おまけに今朝宿舎の草抜きを
していたらハチにさされて泣き面にハチ。ひさしぶりに
スズメバチにさされたけど、けっこう痛かったです。

今回はあちこち駆け足でまわったので消化不良も多く、
とくにパリとエジンバラはあと数ヶ月深めたい感じ
でした。ぼちぼちと日記も更新する予定ですが、
なにしろノートとICレコーダーとビデオに散逸してる
ので、しばらく時間がかかりそう。

剛田さん<
その古通の写真、よだれが・・・調べ物がたまってるのですが、
来週から講義やらゼミやらで、しばらく図書館通いは
おあずけになりそう。阿久根氏は後ろの文献リストや年表からも
わかりますが、本当によくあれこれ読んでおられますね。マイクロ
フィルムどれだけ回したんだろう、ってくらい。


宝探しの地図が… 投稿者:剛田明治  投稿日: 9月27日(木)01時39分37秒

ついでに。
すでに紹介されていますが、「元祖・玉乘曲藝大一座」を三鷹の古書店で入手。5年ほど前から、先輩のK氏に存在を教えてもらっていたのですが。自力で(まぐれで)探し、発見したと思った、「新演芸」「浅草公園……」が参考文献に。他にも役立ちそうな、新聞、雑誌記事がごろごろ。喜多川氏の著作もそうですが、わたし自身が、調べたと思っても、後追いしているだけじゃないか、宝の地図に従っているだけじゃないかと思うと、ちょっと楽した、しかしむなしい気分が。自分が必死に調べても、先人が「地図」に書き残していたと気付くのか、先人の「地図」を先に見つけるのがいいのか、先人が残していないものを発見すればいいのか。こんなことはどうでもいいことですが。とにかく、この本は、事実を淡々と記し、原典を引用するという、わたしの嗜好にぴったり合った本です。


福助足袋 投稿者:剛田明治  投稿日: 9月27日(木)01時13分02秒

十二階の「福助足袋」広告の写真掲載は私の知る限り、2種3回。前述の「古通」で喜多川氏が、昭和17年の社史に写真の掲載がない。戦後に発行された「日本広告変遷史」には珍しい広告塔の十二階が見られるとあるが、ご存知の通り、17年刊の「福助足袋の六十年」に写真掲載されており、36年刊の「図説広告変遷史」にその写真が転載されていたに過ぎない(「日本…」は誤り)。「古通」のものは、一番よく写っていて、「袋」も読める。大正12年5月何日に取り付けられたかは、当時の新聞を必死こいて見ればわかるかもしれぬが、「大正の読売新聞」が出ればたちどころにわかるんじゃないかという気が…。


寄席切絵図 投稿者:剛田明治  投稿日: 9月26日(水)01時30分19秒

小ネタですが、9月23日付「朝日新聞」の「寄席切絵図」六代目三遊亭圓生著(青蛙房・3000円) 書評に「…しかも喜多川周之が文献を調べ、東京・横浜の寄席の位置を特定し、切絵図にして添えた。大変な労作だ。」とあります。喜多川周之ファン(?)のために、情報まで。


す、すごい 投稿者:細馬  投稿日: 9月25日(火)00時34分18秒

いやはや、短期間で十枚も。十二階絵はがきは割と見つかり
にくいのに、それはすごいです。
ちょっとまだ旅先なのでうかつなことは書けませんが、
雷門前の様子は、自働電話があるかどうか、看板がどうなっているか、
市電が通っているかなど、いくつか年代推定の手がかりがあるように
思います。と言ってもぼく自身まだはっきりこれらの手がかりを
把握してるわけではないです。

大勝館は何度か改装しており、付近の活動写真も様変わりしてるので、
実物を拝見すれば何かコメントできるかもしれません。
幟の字が読めれば、新聞広告と対照させて年代推定するという手も
あります。

ご開帳はどうだったかな? これも帰ったら調べてみます。


十二階の絵葉書 投稿者:剛田明治  投稿日: 9月24日(月)20時49分07秒

ご無沙汰しました。
ここ最近で十二階の絵葉書を10枚ほど手に入れました。たいしたものはありませんが、花屋敷からの2枚と、六区からのもの(国技館ありとなし)は、少しおもしろいと思います。1枚は富士館と大勝館の辺りから撮ったもののようです。もう1枚は「浅草観世音開帳記念 公園六區」と題しています。十二階が右に少し傾いて見えるのは目の錯覚(気のせい?)でしょうか。
浅草のことは詳しくないので、教えていただければと思いますが、同時に買った絵はがき「(浅草正観世音開帳記念)浅草正観世音雷門」の中の立て札に「大正四年四月…」と読めます。前述のものと同時期のものなんでしょうか?それとも開帳は毎年行われているのですか。当然ながら、「雷門」絵はがきには、雷門がありません。雷門も細かい時代特定はできるのでしょうか。


垂直ではなく水平方向世界ですが 投稿者:細馬  投稿日: 9月24日(月)18時04分04秒

パリのパサージュについていくつか文章を書きました。
下記URLからどうぞ。

http://www.12kai.com/rue.html